風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

2012-8北海道・青森ドライブ周遊記4

2012-08-24 | 東北
[函館→青森→五所川原→鶴田町→青森]


○ 函館フェリーターミナル

早朝4時50分、バスは予定通りに函館フェリーターミナル前に到着。
乗客はみんなここで降りるものと思いきや、降りたのは私含め3人だけでした。あれ?

夏なので、日こそ上っていないものの、もう辺りは白々と明るく、明かりも必要ありません。
寝ぼけた頭のまま、ボーッと歩き出しながら、ふとポケットに手をやりました。
寝過ごさずに起きられるようにと、夕べケータイをマナーモードにして、ポケットに入れておいたのだけれど
・・・ない!!

まさか、今のバスの中に置き忘れた?うそっ!?
すぐに振り返って走り寄っていきましたが、バスは気づかず走り出します。
めげずに後を追いかけたけれど、バスは全く気づく様子がなく、次第に加速していきます。

うそでしょー。ケータイがないと、連絡取るのが大変。
これから会うイトコたちに(つながらない!)と心配かけちゃう。

待ってーー!と必死に追いかけますが、起きたてで身体が思うように動かず、声も出ず、さらに旅の荷物をしょっている私の足ではバスを追い抜くことはとうていできません。
もう、あきらめるしかないのかしら、ううう~。

と絶望して足を止めたら、バスもなんだかスピードを緩めて、その場に止まりました。
気のせいかな?一時停止かな?と思いましたが、やっぱり止まっているので、淡い期待を抱いて、さらに近寄り続けたら、運転手さんが転がるように走り出してきて、「どうかしましたか?忘れ物でも?」と聞いてくれました。
助かったわ~。

もう涙がでそう。「ケータイを忘れたようで。20番の座席です」と言ったら、バスに戻って私の座席まで行って探してくれました。
そして、私のケータイを差し出してくれたときには、「あなたが落としたのは、金の斧ですか」の女神様に見えました。

運転手さん、どうもありがとうございます~!ご迷惑かけちゃって、ごめんなさい。
ああ、よかったわー(ToT) 明け方に、ひとりど根性ドラマをやってしまいました。
函館フェリーターミナルでの黒髭危機一髪。
もうチャロもユキさんも、一緒ではありません。
一人になると、なにかしらやらかす自分が不安だわー。

眠かったけれど、この騒動でぱっちり目が覚めてしまったため、フェリーで寝ることにして、出航までの時間はターミナルで昨日の日記を書いて過ごしました。
2日目のウトロはネットがつながらず、3日目は夜行を使ったため、ようやくたまった旅日記とメールをこなしました。
早起きのイトコから、「いよいよ今日だね♪」とメールが届きました。

 

フェリー乗り場のウッドデッキには、ハート形のオブジェと鐘がありました。
「恋人の聖地モニュメント」というラブラブな感じですが、(早朝だしいっかー)と、一人寂しく鐘を鳴らしてみました。
ひっそり鳴らしたはずが、思わぬ音量でカラーン♪と鳴り響き、フェリー待ちの人たちに(え…一人で?)と注目されてしまいました。
はずかしーい。

○ 津軽海峡フェリー

 

フェリーの放送が入り、乗船します。
荷物をまとめて、ほかの乗客よりひと呼吸遅れて向かいました。
係員に教えられるままに向かったはずが、トラックが列を作って入り込んでいる口に着いたため、(車の入口に来ちゃって、間違えたかな)と思いましたが、人間も同じ場所から入るとのこと。
私がとてとてと歩いて中に入る間は、トラックに止まってもらいます。
背中に車たちの存在を感じて、(待たせてすまないねえ)と申し訳ない気持ちになりました。

 

客室までの道は、エスカレーターでした。しかも2層になっています。
階段じゃないのね。フェリーの中に電動式があることが、なんだか不思議。
どのブースにしようかなと、船内をひとしきり散策します。
3階の展望客室は、子供連れのファミリーなどがいますが、全般的にかなりまばら。
とーっても空いています。

デッキから見送る函館の町は、霞に覆われていました。

 

眠っていく気満々の私は、外が見られなくてもまったく構いません。
寝られる場所を探して、2階の婦人専用室に行ってみました。
誰もいません。船が出航しても、誰も来ません。
えー、私ひとりきりなんだー。40名用の部屋を悠々と独り占めしました。
そうはいっても、はじっこに陣取り、暗くなるので、カーテンで仕切られた、着替え用の場所の中に入って寝ました。
隅っこが好き。まったく部屋の広さを活用していません。

以前、青函連絡船の最終運行に乗ったときには、とにかく酔って酔って死にそうになり、荒れた津軽海峡を体感しました。
今回、かなり不安だったため、眠って行こうと、早々に横になります。
7:40発のびるご号。びるごってなに?
ヴィゴ・モーテンセンを思い出します。
あとで調べたら、ゼウスとテミスの間に生まれた女神の名前だそうです。

しばらくして、なにかの声で目覚めてみると、係員が部屋をのぞいており「あと少しで到着です」と教えてくれました。
お礼を言いながら、寝ぼけ眼で時計を見たら、11時20分。
熟睡できていました。なにも用意ができていないのに、もう到着時刻。
あわてて身支度をして、降りようとしたら、さっきまで出口近くのソファでスタンバイしていた人たちの姿がありません。
(みんなもう船を降りたのかな)と思ったら、下から上ってきた係員が、私を見て「あ、今動かします」と、鍵をとりだし、エスカレーターを作動させてくれました。
ビリになって、エスカレーターも止められていたなんて、とほほ。遅れてしまってごめんなさい。
そのまま係員にフェリー出口まで誘導してもらいました。

○ イトコたちと再会

もうすっかり日は高くなっています。
青森も暑く、(うー、帽子かぶらなくちゃ。日焼け止めはどこいったかな)とハンドバッグの中を見ながらぽてぽてと歩いていたら、「りかちゃん!」と声が聞こえました。
顔を上げると、イトコのまみちゃんとまきちゃんの笑顔がありました。
「まきちゃーん!まみちゃーん!キャー、久しぶりー!」
待ちきれなくなって、待合室から出てきてくれた様子。
「もうフェリーの底もあげられちゃったし、ちゃんと降りれたかなあって話してたとこ」
ぐっ、さすがに行動パターンを読まれています。ええ、うっかり乗り過ごしかけたの。。。

まみちゃんとまきちゃんとは年が近く、小さい頃から仲良くしてきた、一番身近な親戚。
二人のイトコに会えて、テンションが一気にあがり、堰を切ったようにめいめいがいろいろな話をしました。
親戚が多いため、三人だけでいられるなんて、めったにない機会です。
最後に青森に来たのは、3年前の真冬。葬儀に参列した、悲しみの再会でした。
夏にはじけた感じで観光に訪れるのは、10年ぶりくらいです。

○ 五所川原

はじめは、まきちゃんの車で浅虫水族館に連れて行ってもらう予定でしたが、その後あれこれと計画が動き、新たにジョインしてくれることになったまみちゃんの車で、私がリクエストした鶴の舞橋へと、行き先を変更しました。
楽しいおしゃべりの中、車は快調に進み、五所川原市へ。
リンゴ園の間の道を通っていきます。両側の木々は青青としており、目に爽やか。
「きれいなリンゴはみんなほかの県用になって、私たちは不格好なものばっかり食べているから、たまには美しいリンゴを食べてみたーい」とまきちゃん。
あら、大切なのは見た目じゃなくて味よ!逆に不格好なリンゴを食べてみたーい、と思う私。

 

青森といったらリンゴですが、今ではスチューベンも「NY生まれ、青森育ち」というふれこみで(こういうところがまたミステリアス!笑)、かなり有名になって来ています。
「ほかに、あんまり知られてないけど、カシスも日本一なんだよ」と二人。
えー、そうだったんだー。知らなかったわ。
じゃあこれからは、せっせとカシスソーダを飲むことにしようかな。りんごジュースを飲む方が早いかー。

座席には、ピカピカの「るるぶ・青森版」が置いてありました。
「今日買ったばかりなんだ」とまみちゃん。ああ、お世話をかけます。
かなり郊外の奥まったところに橋はありました。
実際の距離感がよくわからずに、今回「あそこへ行きたい」「ここにも行きたい」と希望を出していたため、かなり二人を悩ませてしまったのではないかと思います。
でも、この橋を写真で見た時から、母と「青森に、こんな美しい橋があるのね」「行ってみたいわー」と心奪われていたのです。
橋好きとして、ぜひとも渡ってみたいと切望した木橋でした。

○ 鶴の舞橋

鶴の舞橋は、青森県鶴田町にある津軽富士見湖に架かっています。
割と大きな湖。本当なら、湖の向こうに岩木山が大きく見えるそうですが、この日は残念ながら、もやがかかったように山は見えませんでした。
なるほど、岩木山のことを津軽富士というからこの湖が命名されたんですね。

 

長さ300mの、日本一長い木造の橋。
青森県産一等材のヒバ製で、橋の上に立つと、ヒバの香りがふわっと立ち上って辺りに漂い、とても気持ちがいいのです。
なによりもヒバの香りが好きな私は、もううっとり。猫のまたたび状態です。ごろにゃーん。

 

橋は優美にアーチを描いて、湖面にたたずんでいるよう。
鶴が舞う様子を模した形だそうです。
橋の真ん中にあるあずまやのようなステージの真ん中にたって手をたたくと、鳴き竜のように音が反響しました。

 

昔の祖母宅もヒバでできており、遊びに行くたびに、そのかぐわしい香りを胸一杯にかいでいたので、ヒバ香はとても懐かしく感じます。
その話を、祖母宅に住んでいたまきちゃんにしたけれど、「えっそうだっけ?」と反応がありません。
香りに慣れすぎて、気付かなくなっているのね、きっと。

 

まきちゃんが以前この橋を訪れた時に、丹頂鶴もいたということで、辺りを探してみました。
すると、ちゃんと2羽、飼われていました。あれ、タンチョウは渡り鳥じゃなかったの?
大きなゲージの中におり、目下、旭山動物園から脱走中のフラミンゴのことを思い出しました。

 

とても暑くて、じりじりして、タンチョウも夏バテしていそう。湖面も少し水が減っているような感じ。
橋を渡ることができて、大満足しました。いつかまた、岩木山がくっきりと見える時に行きたいな。

 

「北海道の旅行の後なら、青森はちっぽけに見えるでしょう」と言われたので、「北海道は雄大な自然に圧倒されるけれど、青森の謎めいたミステリアスなところに惹かれるの」と、チャロに話したことを二人にも伝えましたが、「謎めいてるってー、アハハ」と失笑され、反応はいまいち。
住んでいる人には、外から見ると青森がステキ秘密王国だっていうことが、わからないのねー。
八戸の光星高校が今年の甲子園で銀賞を勝ち取ったとのことで、あちこちで盛り上がっています。
冬のハンデが大きい東北勢が準優勝、しかも3回目なんて、すごい快挙ですね。

青森市内に帰る途中、たか久で遅めのランチをとりました。
「TAKA Q?」と、スーツ屋さんを連想しますが、青森の人気和食レストランなんだとか。
それからまきちゃんは一旦帰宅し、まみちゃんとドライブを続けます。

 

○ 青森市内ドライブ

岩木山だけでなく、青森市内ももやがかかっています。
青森を訪れるたび、親戚宅へ向かうタクシーの中から見つめる東岳さえ、全く見えなくて残念。
関ガラス店の前を通りました。これまで故・ナンシー関のご実家とは知らずに、幾度となく通っていました。

 

父の実家と母の実家の前も通りましたが、今回はおしのび訪問なので、そのまま素通り。
親戚は、みんな元気でいるかしら。
青森駅の夕焼けは、昨日見た北海道の夕焼けとはまた一味違う、郷愁たっぷりの雰囲気でした。

 

○ ワ・ラッセ

今晩のホテル前でおろしてもらい、まみちゃんとも今日はお別れ。
チェックインして一休みしました。
夜はまきちゃんと再会して食事をとる予定。それまでの間はフリーです。
日差しもかげってきた夕方になって、ホテルを出て、駅前を散策しました。

 

駅前の港側には、ワ・ラッセというねぶた博物館ができていました。モダンデザインの赤い建物がおしゃれ。
中に入って、ねぶたを見ました。梅沢富美男の女形のねぶたがすてき。

 

 

お土産コーナーでは、太宰治の「如何せんイカせんべい」があって、笑ってしまいました。

 

「生まれて墨ませんべい」というのがあるのは知っていたけれど、第二弾も出たんだー。

 

ワ・ラッセの隣には、A-Factoryという青森産の食品を取り扱うこぎれいな倉庫風の建物が建っていました。
3年前にここを散歩した時は、この辺り一面は公園で、すべて腿までの雪に覆われ、中に入っていけなかったのに、ウォーターフロントはなんだかとってもおしゃれに変わったのね。

 

○ ラブリッジ

ドライブ中、橋好きだと目覚めたことをイトコたちに告白したら「ラブリッジって知ってる?」と聞かれました。
知っていましたが、前の訪問時は雪に覆われて通行できなかったため、今回通ってみることにしました。
名前の感じから、カップルが渡る橋かなと思いましたが、連れがいないので一人で歩きます。
函館の愛の鐘も一人で鳴らしちゃったしね!(淋)

 

ラブリッジは、海沿いの木の遊歩道で、歩くと心地いい海風が頬を撫でていきます。
青森ベイブリッジの下を歩くような感じ。
思ったよりも長く、(どこまで行くんだろう)と思ったら、アスパムの前まで続いていました。
アスパムでは、にぎやかに盆踊りをやっており、会場裏ではハッピを着た人たちが津軽三味線の練習や調律に励んでいました。

 

そろそろまきちゃんとの待ち合わせ場所に向かおうと、ふたたび橋を戻っていくと、とつぜん一人の男性に「こんばんは。お一人ですか。もしよかったら僕と食事でも」と、明るく声をかけられました。
えっ、やっぱりラブリッジは、一人で歩いちゃいけない橋なの?
それにしても、まさか青森でナンパされるとは思っていませんでした。
実直でシャイな人々だと思っているのに。まあ、旅行者かもしれませんが。
さらにもう一人に声をかけられ、混乱しながら「待ち合わせをしているので」と足を早めて、急いで橋を渡り切りました。

まきちゃんとは駅ビル・ラビナで待ち合わせ。お子さんのヒナちゃんとユウくんも一緒です。
さっそく「ラブリッジって、カップル用の橋なの?」と聞いたら、「夕方はカップルが多いかもね」という答え。
ということは、別にナンパ橋というわけではなさそう。
「いまナンパされたの、ハハ」と軽く話してみましたが、真面目なまきちゃんは、笑わず目を見張っていました。
いや私もびっくりですよ。
ヒナちゃんは私をまじまじと見つめていました。
こんにちは、あなたのママのイトコでーす。

○ 鮨処あすか

まきちゃんが結婚した式場の一階にある「鮨処あすか」に行きました。
建物名はアラスカビル。はっ、アラスカだからあすかなのね!? 洋風から和風への華麗なる変身!
ヒナちゃんは、東京ライフにとっても興味津々のよう。
まきちゃんもまみちゃんもそうだったわー。
ユウくんも、3年前に会った時よりもぐんと大きくなっています。
青森は今日から新学期が始まったとのこと。すくすく育ってねー。

 

青森の海の幸をいただいて3人とお別れし、ホテルでゆっくり休みました。

2012-8北海道・青森ドライブ周遊記3

2012-08-23 | 北海道
[ウトロ~網走~常呂~サロマ湖~湧別~興部~西興部~下川~名寄~士別~道央道~南千歳~札幌]

朝、早めに起きて、温泉へ。お湯の熱さに、しゃっきりと目が覚めます。
お風呂場にいた女性と「熱いですね」とおしゃべりしました。
大和市の人で、以前ここでアルバイトをしていたため、小学生の息子さんと一緒に連泊しているとのこと。
昨日は漁船に乗り込んで、かれいを採ったと教えてくれました。
「刺身にするのよ」「えっ、かれいって、焼くか煮るかかと思っていました」
新鮮だと、刺身にもできるんですね。

それから朝食。見たところふつうの和朝食だけれど、メニューを見ると、ウトロ産の銀鮭や、道内産の長いも、オホーツク産の昆布、北見産の大豆など、どれも北海道のものばかり。地産地消ですね。

のんびりと出発。天気予報で今日は暑さが和らぐと言っていたとおり、すずしくて気持ちのいい朝。
北海道3日目にして、ようやく快適な気候を味わえました。

○ 滝二つ

三段の滝、そしてオシンコシンの滝を見ます。
三段の滝を訪れるのは初めて。首を伸ばしましたが、流れが少し曲がっていて、二段までしか見えませんでした。
オシンコシンの滝は、以前、ツアー旅行の時に見たような。
うーん、でもよく覚えていません。銀河・流星の滝とごっちゃになっています。
ダイナミックに広がって落ちていく滝を間近で見られる、迫力満点の場所で、十分に涼を取ることができました。

 

この辺りの場所は斜里(しゃり)。
ふと思い出して「ブッダの弟子に舎利子(しゃりし)という人がいてね」と言ったら、チャロは「うわあ…」と、明らかに引いていました。
マニアックすぎる発言だったかしら。

 

それから海岸線を伝って、網走方面へ。
とても気持ちのよいドライブルートです。
畑には、今にも転がり出しそうな稲わらロール。

 

○ 小清水

道端の看板文字に目を向けたら、運転中のチャロが「今の看板になんて書いてあったの?」と聞きました。
「“清里で作った牛乳をヨーグルトにしています”だって」と言うと、「なるほど」と納得。
逆に私が気になりだします。「清里の牛乳なんて、遠いところからわざわざ持ってきてるのね」
「違うよ、この近くに清里っていう地名があるの」と教えられて、ようやくスッキリしました。
北海道斜里郡清里町という住所があるそうです。てっきり清里高原から牛乳を取り寄せているのかと思ったわ。

小清水の道の駅で休憩しました。浜小清水というJRの無人駅に隣接しています。
チーズかけジャガバターを食べました。
クマザサ茶好きの私は、ドリンクではなく、茶葉を買って帰りたいと、お店に入るたびに探していますが、どこでも缶かペットボトルしか売っていません。
茶葉はないのかしら?笹だけに?うーん。
北海道ではガラナも有名なようです。

 

近くの丘の上には、宇宙人を召還するような、気になるピラミッド型の建物がありました。
フレトイ展望台だそうです。
この近くには、小清水原生花園がありますが、横目で見つつ通り過ぎました。

○ 濤沸湖

道路の逆側には、濤沸湖(とうふつこ)という湖がゆるやかに広がっていました。
ラムサール条約登録湿地。字だけ見るとなんだかあたたかそうです。

馬がいたので、車から降りてそばにいってみました。辺りに人の気配はなく、放牧されているようです。
道産子ではない、普通サイズの馬たちなので、今度は近よっていけました。

 

馬たちは一か所に集まって、てんでばらばらの方向を向いて、静かにじっとしていました。
バタンと寝そべっている馬もいます。
みんな、何をしているんでしょう?無言の集会かな?
ここの馬たちは、夏の間、雑草を食べて、原生花園の花を守っていると聞きました。
役に立っているんだわ。まるで合鴨農法ですね。

 

湖のほとりにぽつんと立つ一軒家を見つけました。
緑に囲まれた水色の家は、まるで北欧のよう。ああ、こんな家に住めたらすてきだわー。

○ 網走

そのうち網走に着きました。網走イコール監獄というイメージがどうしても強く、なんとなくこわいなという印象。
今の刑務所は、クリーム色のおちついた建物になっていました。

道路沿いを釧網本線が走っていきます。
一両電車が、草原の中を走っていく様子は見ていてなごみます。

 

稲わらロールを積んだトラックが前を走っていたので、しばらく追いかけました。

 

愛別という地名表示を見かけました。哀しい涙の伝説がありそうですが、別は川という意味。
つまり愛の川ということですね。愛が流れる愛の川、ステキです。

○ サロマ湖

サロマ湖にも、以前ツアーバスで来たことがあります。
秋だったので能取湖のサンゴ草を見た後に、サロマ湖のほとりに立つホテルのラウンジで休憩しました。
それがホテルグランディアだったのかは、もう覚えていませんが。
北海道ツアーの旅行記を残していなかったので、いろいろと記憶がおぼろになっています。
車での旅行は、ツアーバスよりもはるかに大変な分、ちゃんと心に残ります。
加えて忘れっぽい私は、やっぱり日記を書いておかないといけません。

今年はアブや蚊が大量発生していると、サロマ湖の道の駅に張り紙が貼られていました。
いやだわー。暑いからかしら~?

ここで運転を交代し、サロマ湖の行けるところまで行ってみようということになりました。
キャンプ場があるので、そこまでは道路があるだろうと向かっていきました。
確かにキャンプ場前まで車で行けるようになってはいましたが、閉鎖されています。夏なのに?
なんと、キャンプ場がオープンしているのは、7月20日~8月20日まで。
ちょうど数日前に終わっていたのね。というか、一年のうちたった一ヶ月しか開かないキャンプ場って、贅沢だけどとっても実用性に乏しくないですか?
「北海道民も、キャンプをしてみたいからじゃない?」とチャロ。
じゃあ、もっと温かいところに行けばいいのに・・・という発想ではないのかもしれませんね。

 

敷地内は、もうすっかり無人。管理事務所の横にある自販機は、コンセントが抜かれており、完全に人が引き払った後です。
遠くに灯台が見えます。昨日歩いた野付灯台より、はるかに遠い距離。
どうしようと思いましたが、行きたいので行くことにしました。
しばらく歩いていきます。スタンド・バイ・ミー気分。
今日は暑くなく、それどころかむしろ寒く涼しいため、しばらく歩いても苦になりませんでした。

 

ようやく辿りついて、見上げた灯台はタイル式。
白に赤いラインが入った色です。赤灯台と白灯台を一つにしているということでしょうか?
灯台好きの私は「11月1日は灯台の日で、あちこちの灯台が公開されるんだって」とウキウキ話しますが、灯台萌えではないチャロの応えは「11月11日はポッキーの日!」。
あいかわらず、かみ合わない会話が続きます。
本当に無人。海と湖のつながった場所を見て、小石を投げて水切り遊びをしました。
流れが変わるこの辺りの水底には、おいしい海産物がいっぱいいるんだろうな~と思いながら。

 

知床五湖がとにかく観光客でワサワサだったことに、昨日は驚きましたが、ここは人っ子一人いない、完全に静かな場所なので、ほっとしました。
やっぱり北海道はこうでなくっちゃ。
ひとしきり堪能してから、また延々歩いて車まで戻ります。
キャンプ場の一本道を通って本ルートへと戻る途中、いかにも旅行者風のバイクの人とすれ違ったので、「閉鎖を知らずに泊まりに来た人だったりして」「それはがっかりするだろうね」と話しました。

○ 興部

紋別郡湧別町という場所も通りました。ここまでくると、さすがにもう「別」の地名にたじろがなくなってきています。
興部(おこっぺ)に行きました。これはもう、絶対に読めません。
でもケータイは、ちゃんと変換してくれました。
トラス橋を通ると、吸いこまれるようで、嬉しくなります。

 

興部まで私が運転を担当。2時すぎたので、迷いながらたどり着いた道の駅近くのお店で食事にしました。
チャロはほたて玉子丼、私はチャーハン。自然無添加の食材を使っているとのこと。

 

帰り際に、愛想のよいお店のマスターに「道の駅巡りをしているの?」と聞かれ、チャロは「そんな楽しみがあるの?」とツボにはまったようでした。
「これからどちらへ?」と聞かれ、「朱鞠内湖」と答えると、「あそこは北海道で一番寒い場所だからね」と言われ、(そうなんだー)と驚きながら「だから今のうちに行っておきまーす」と返しました。
「一番寒い場所って、稚内じゃないの?」と聞いたら、「海沿いは実はそんなに寒くないから」とチャロ。
そうなんだあ~。知りませんでした。流氷がやって来るところが一番寒いものだと思っていたわ。

 

ここ興部は牛乳の町ですが、お店で読んだ移住専門誌に、東京から移住して、ここの牛乳を使った無添加石鹸を開発した人の話が載っていました。
さっそく、道の駅で二人とも興部石鹸を買いました。

 

敷地内に電車があったので驚きました。
ここは廃止されたJR名寄線の興部駅跡地で、ディーゼルカーを改装して、簡易休憩所にしているそうです。
座席に座ってみたら、昔なつかしのごつごつしたスプリングの感触でした。
ここでなら、思う存分、鉄郎とメーテルごっこができるわ~。

 

今晩、札幌で会うユキさんに「今興部です」とメールしたら、「子供の頃に4年間住んでいた場所です」と返事がきました。
なんて偶然なんでしょう。

ここから朱鞠内湖を目指したかったのですが、時間的に厳しそうなので、今回はあきらめようということになりました。
残念ですが、日没後の明かりのない真っ暗な山道を走っていく勇気は全くないので、いたしかたありません。
一路、千歳を目指すことにしました。

○ 千歳へ

ルート238から239を通って名寄へ。雄大に広がる自然が延々と続き、時折町中にでるといった感じの道が続き、北海道の広さを噛みしめます。

 

士別剣淵ICから高速に乗りました。
高速に乗ってもなお、見渡す限り雄大な自然。
比布という地名に、「ふたごのピッピとプップ」を思い出しました。
この辺りが石狩峠だそうです。スキー場もありました。
山がたくさんありすぎて、もうどれが何という山なのか、考えられないくらい。

橋を見つけると身を乗り出す、私ってやっぱり橋好きなんだな~と思います。

 

レンタカー返却時間は8時。会社が8時閉店なので、遅れることはできません。
戻る場所をナビ入力したら、到着予定時間がでますが、初めは7時半前だったのが、いつしか40分になり、50分台になり、ついには8時を越えてしまったので、不安になります。
ちゃんと時間内に到着して、車を返せるのかしら?

 

この日は時折雨も降りましたが、ぬれずにすみました。
砂川SAで短い休憩とガソリン補充。美しい夕焼けに見とれます。
ピンクの壁のSAが、夕陽を受けてメルヘンの世界のようになっていました。

 

北海道の最終日を飾る、鮮やかな夕焼けでした。
なんてきれいなんでしょう。この夕陽を忘れたくないわ。

 

刻々と空の色が代わっていく様子がはかなくて、今を生きている喜びを感じました。
北海道の自然の恵みでしょう。

 

日が沈むと、すぐに暗くなり、あっという間に夜になりました。
北海道の高速は、関東自動車道よりも暗く、深い怖さを感じます。
「雨・夜・高速道路の運転は、どれもするまいと心に決めていたのに~」と、うらめしげにチャロに訴えますが、華麗にスルーされました。
さらに北海道の道路は広くてまっすぐなので、恐ろしいことになんだか眠くなってしまうのです。
それで、夏の事故は県外者によるものがほとんどだと言われるのですね。

私は右寄り運転のクセがあると指摘されますが、なかなか直りません。
つい中央線を見てしまうからでしょう。
「これは、左ハンドルの外車に乗るしかないってことかな♪」と言ったら、「そんなこと考えずに直して」ともっともなことを言われました。ハイ…。

とにかく時間との戦い。急がなくてはならないため、数え切れないほど車を追い越していきました。
もう怖がっている余裕はありません。それにしても、千歳までなんて遠いんでしょう。
ハンドルを握りしめて、もう腕がビリビリしそうです。
ようやく高速を降りる頃には、かなり疲労困憊でした。

少しだけ時間があったため、ガソリンスタンドへ寄って満タンにすることができ、ギリギリに到着、無事に返却できました。
ほっと一息。
今度は、電車で南千歳駅から札幌へと移動します。
高速運転をした衝撃で、心臓のバクバクは収まらず、なかなか通常モードに戻れませんが、それでもユキさんとの待ち合わせは直前に迫っているため、メールのやり取りを続けました。
北海道旅行の終わりが近づくと共に、ユキさんとの待ち合わせも近づきます。
さらに、昨日のウトロではネットがつながらなかったため、翌日に遭ういとこたちとのメールのやりとりも。
忙しくメールを打っていたら、北広島に着きました。
さっき車で通ってきたのに。ほどなくして、札幌に到着しました。

○ 札幌

ユキさんが改札で待っていてくれました。
チャロとユキさんとの2ショット写真をそれぞれに撮ってもらい、先に帰るチャロとはここで解散しました。
ありがとうチャロ、とっても楽しい北海道道中でした!また横浜で再会しようね。

スープカレーを本場で食べてみたいとリクエストして、つれていってもらいます。
土鍋スープカリーで、保温がよく、はふはふしながらいただきました。

 

限られた時間の中で、いろいろなお話をしました。
2時台に「今興部で-す」と私がメールを送った時点で、(大丈夫かな、ちゃんと札幌に辿りつけるかな)と心配になったとのこと。
その後の怒涛の巻きの展開がわかっていたという彼女は、さすが地元民です。

興部に住んでいた時には、近くの牛がよく脱走しては、家にやってきたとのこと。
なんてのどかなんでしょう。住民の倍の数の牛がいるそうで、まるで羊の国NZのようですね。
石鹸が最近有名だとは知らなかったとのことで、さっそく買ってきたばかりの興部石鹸をプレゼントしました。
(変わりに、花畑農場の石鹸をいただきました。二人ともニコニコ)

「帯広は暑かった~」と話したら、「帯広で豚丼食べた?」と聞かれました。
豚丼が有名なんだそうですね。そういえば、フランクフルトを売っている横で、豚丼も売られていました。
考えてみれば、今回は、羊も豚も、一頭も見ずじまいでした。キタキツネは一度見たけれど。

帯広の六花亭では、そこだけで作られる、3Hしかもたないさくさくパイが売られているんだとか。
「ああ、事前に言っておくんでしたね!」とユキさん。ええ、事前に聞いておくんでした!
急いで帯広から出てしまいましたが、食べ物面ではいろいろと魅力的な町なんですね。

生粋の北海道民なだけに、道内のことに詳しくて、あれやこれやと質問しました。
「さっき通ってきた道で、万里長城という表示を見たんですが、あれって?」と聞くと、「ああ、下川町のですね。公園の中に本当にあるらしいですよ。1
キロほどだけど」と、ちゃんと教えてくれました。
比布で前にピップエレキバンのCMのロケが行われた話とか、釧路の霧フェスティバルに参加したことがある話なども教えてもらいます。

もともとの出身は剣淵だそうです。すぐに覚えられなくて「え?」と聞き返したら、「日本のケンブリッジと言われています」とのこと。
なるほどー。一発で覚えました。

話は後から後から尽きません。食事を済ませ、カフェでお茶をしていたところに、チャロからメールがありました。
解散後の予定を詰めきっていなかったので、気になっていたら、駅前ホテルに宿泊することにしたとのこと。
チャロの分の興部石鹸を渡せていなかったのと、ゆだねたままの旅の行程地図が欲しかったため、ホテルに行くことにしました。
キョロキョロしている私を、ユキさんがホテルまでつれていってくれ、3人で少しお話して、お別れしました。

私は、これから夜行バスとフェリーを乗りついで、青森に向かいます。
真夜中の出発だから時間はたっぷりあると安心していたら、たくさん話しこんだため、あっという間に出発時間が近づいてきました。
ユキさんは、今度はホテルと逆側の出口に連れて行ってくれ、バスターミナルまでの道を教えてくれました。
最後は慌ただしくなりましたが、なかなか会うチャンスがない人なので、お話できて嬉しかった~。
今度は東京で会いましょうと約束して、お別れしました。

○ 夜行バス

駅から、テレビ塔向かいのターミナルまでは10分くらいの道。
予定よりかなり押してしまい、急ぎ足で向かいます。発券手続きを取った後、急いで身支度をして、ギリギリに高速函館号に乗り込みました。
3列だけれど少し古めのバス。乗客は結構多くいました。

今回の青森行きは、「津軽海峡物語」という名前のルート。
夜行の特急はまなすだと、青森着が朝の5:40と早すぎるため、このルートになりました。
ここから青森までは、ハードな旅になります。
それでも、割とすぐに寝られました。

2012-8北海道・青森ドライブ周遊記2-2

2012-08-22 | 北海道
2日目、その1からの続きです。

○ 知床峠越え

野付半島からは私が運転を代わりました。
海沿いは、風を一杯に取り込んで、気持ちよいシーサイドドライブ。
快調に運転を進めていきます。
羅臼を通った時に、礼文町という住所を見つけました。 礼文島と紛らわしくないのかしら。

いよいよ知床峠を登ることになります。
知床峠は標高738m。正直言って、できるかわかりません。箱根の山さえ運転したことがないのに、レベル高すぎー。
一合、二合と表示を見ながら上がっていきます。
ところで一合分の高さとは、山の頂上を十合目とみて、標高を十等分した数値だと知りました。
つまり、山によって違うわけですね。
共通した数値だと思って、六合目の時点で(富士山の五合目を越えているのね。え~ウソでしょ~、そのうち呼吸が苦しくなる~)とあせりましたが、まるきり違いました。あせったあ。

 

峠越えの途中に、私がひそかに好きで、誰も知らいだろうと思っていたマイナー音楽がチャロのiTunesにも入っているということが判明。
それを聴かせてもらい、動揺や感激を一生懸命コントロールしながら、ハンドルを切って行きました。
急カーブも結構あり、勾配もあるため、見る見るうちに上っていきます。
なんとなーく、カーブのガードレールがゆがんでいるような。いえ、考えてはいけないわ。

 

数え切れないくらいカーブを切り、峠に着いたときには、とても感動しました。
とてもいい見晴らしです。高いところまで登って来たんだなあと、原生林を見下ろしながら思います。
風も少し吹いていて、心地よくはありますが、暑すぎてまともに目を開けられない感じでした。

ドライブ中、シカを何頭も見かけるようになりました。
それだけ自然の中に入って来ているということなのでしょう。
車が2台続けて止まっていたら、なにかいるので見てみよう、というサインだとか。
アフリカのサバンナサファリみたい。

○ 知床五湖

 

峠で運転を交代し、反対側に下りて知床五湖へ。
世界遺産効果か、駐車場がとても込んでいて、結構待ちました。

 

これまで静かに旅をしていたのに、ここにきて予想外の大勢の観光客を見たので、驚きました。ツアー客が多いようです。
人の集まる観光地に来たのは、今回初めてかも。

 

一湖だけを見る木道のほかに、ほかの湖も周るループ道もあると言われます。
本当は、五湖全てを見たかったのですが、外にいるだけで汗が出るような厳しい暑さに負けて、木道の方だけにしました。

 

ループは、立ち入り申請書を書き、お金を払ってヒグマ対策のレクチャーを受けるとのこと。
本当にクマがでる地域なんだと実感します。
リンリンとクマよけの鈴を鳴らしている人が何人もいました。

 

バリアフリーの高架木道は長さ1.6kmで、360度の景色が開けています。
本当はすがすがしい木道なんでしょうけれど、さえぎるものなく日光を浴びるため、じりじりと焦げ付きそう。
誰もが日差しの強さに参っているようです。道東は涼しいと聞いていたのに、こんなに暑いなんて。
鹿があちこちでのんびり竹笹をはんでおり、みんな人垣を作って上からのぞいていました。鹿の子模様がかわいい。

 

「木道といえば、東電がああなってしまって、尾瀬の運営は大丈夫かしら?」という話になりました
知床は財団があり、世界自然遺産になったため、問題ないでしょう。
ただ、エゾシカが過去10年間で10倍の数に急増したため、生態系へのダメージが危惧されていることは、知りませんでした。
木の樹皮や花を食べるため、植生の変化が深刻なんだそうな。
エゾシカを捕獲するようになり、少しずつその事態は落ち着いてきていると、環境省の報告にありました。
かわいいシカさんですが、厄介ものだったとは。

 

高架木道の終点には回転ドアがあり、一方通行にしか出られないようになっていました。
「クマを見ても、お静かに」と言う表示を見つけます。
えっ、騒いではいけないの?静かにしていたら、そのまま食べられちゃう~!

 

帰り路、チャロはカムイワッカ滝への道路が通行止めになっていないか気にしていましたが、もはや暑さでぽーっとなっている私には、その理由がよくわかりませんでした。
そこからウトロまでは20km。どんどん坂を下りていきました。

 

北海道を通っていると「別」という地名によく出会います。
登別、江別、湧別など。倉本聡作品に、悲別という架空の地名もありました。
字を見ていると、なんだか寂しくなりますが、別とは川の流れという意味なんだとか。
そう思えば、特に切ない意味というわけではないんですね。

○ 酋長の家

5時すぎに今日の宿にチェックインしました。
酋長の家という名前で、なんだかネイティブアメリカンを連想しますが、そこではアイヌのおもてなしをしてくれるとのこと。
アイヌには、ほとんど縁がありません。
国語の教科書で読んだ『銀のしずく降る降る』の知里幸恵さんの話や、母にアイヌの血の混ざったエキゾチックな美人の友人がいた話くらい。
初めての北海道旅行で、アイヌの人からキタキツネの木のブローチを買った時、「ピリカリカ」と名前を彫ってもらったのが嬉しくて、今でも取ってあります。
もう少し知りたいと、『アイヌ文化フェスティバル2001』に参加し、そこでムックリをもらったこともあります。
でもその程度で、ネイティブのアイヌの人と話をする機会はないかもしれないと思っていました。

冷房のきいた部屋に通され、ほっと一息。
宿のそばには丸い大きな島のような場所があり、気になります。
チャロは部屋でのんびりしていると言ったため、私一人でその岩へ行ってみることにしました。
港もすぐそばで、カモメがたくさんいましたが、日中の港は、人気がなく閑散としています。カモメと漁船と私だけ。
ちょうど、遊覧船から大勢の人が降りてきました。知床観光遊覧船の発着所がすぐそばにあるようです。

○ オロンコ岩

 

岩の名前はオロンコ岩。遠くから見ても、近くから見ても、こんもりとした形のいい岩へと近づいていきます。
トンネルが通っているほどの、なかなか巨大な岩。
宿の人に聞いたら、上に登れるということだったため、道を探してぐるりと回り込み、階段を見つけて上がることにしました。

 

岩の上までは高さ60m。かなりきつい傾斜の階段に息が切れ、途中で何度も休みます。そしてとにかく、じりじりとした暑さに参りそう。
この日一番、汗だくになりました。

 

すっかり息が上がって、ゼイゼイしながら、ようやくの思いで上った岩は、言葉に尽くせないほどの眺望でした。
ほかにも近くにごろごろある奇岩が一望でき、眼下の港の様子や、遠方の知床半島まで見渡せました。

 

緑でいっぱいのところを、体温の上がった身体で歩いたため、虫に刺されないか気にしながらも、岩の上をぐるりと一周します。
上って降りる間に5人の人とすれ違ったので、挑戦者は割と多いように感じました。
知床10景の一つだそうです。

 

西日が差して、海はまぶしく輝いています。
なんとか写真に収めたかったのですが、日差しのきつさに断念し、目に焼き付けてきました。
あまりの暑さに扇子を取り出してあおぎますが、下りの階段も急で、そんなのんきなことはしていられませんでした。

ここでたくさん日光を浴びてしまったよう。
帰り路にはゴジラ岩がありました。
たぶん姿形がゴジラのようだからだろうけれど、どちらかといえば、顔はキングコングにそっくり。
でもスリムだから、身体つきは違うので、やっぱりゴジラなのかなあ。
なんだかもうどっちでもよいです。とにかく迫力ある岩でした。

 

宿に戻り、ほてってのぼせきった身体を清めに、すぐにお風呂へ。
この宿はウトロ温泉の源泉を引いています。
お湯は少し濁った色で、水を足しながらでないととても入れないほどの熱さでした。

○ アイヌ料理

さっぱりしてひと心地ついてから、夕食へ。
アイヌ料理を出してもらいました。見たことのない不思議な料理が並んでいます。

 

カニがでんとありました。
少ししたら、宿の女将が登場し、自分語りを始めました。
父親が阿寒湖アイヌコタン (集落)の酋長だったことから、宿の名前を酋長の家と名付けたとのこと。なるほど、そういう由来だったのね。

料理の説明をしてくれました。どれもすべて手作りで、だしは昆布から、塩辛も自家製とのこと。
鮭ではなく、鱒のちゃんちゃん焼きというのが新鮮。

 

鮭の白子を揚げたものや、かぼちゃ、もろこし、金時豆、クルミ、とうもろこしをつぶしてあえたラタシケップという食べ物など、とにかく初めて目にするものばかり。
キハダの実の、シケレベ茶は、聞くのも初めてです。
黄緑色で、はじめ熊笹茶だと思いました。
鹿肉は少しレアな感じが残っていましたが、3日以上煮込んで柔らかくしたもので、きちんと味付けされてあり、おいしかったです。

 

時間をかけてごはんをいただき、すっかりおなかいっぱいに。
カニは手伝ってもらいました。
大地のエネルギーを体内に取り込むようなアイヌ料理。

 

○ 女将の語り

女将の口から、アイヌの歴史も語られます。
ずっと長いこと北海道で幸せに暮らしていたのに、江戸時代に松前藩が置かれてから、苦難が始まったとのこと。
狩猟民族なのに、とつぜん日本民族と同じ農耕をしろと言われたり。
でもやり方を教えてもらえず、言葉もわからず、どうやったらいいのかさっぱりわからなかったり。
酋長が、和睦の席で、毒の入った酒を飲まされて殺されたり。
酔っぱらわせて前後不覚になったところで、都合がよいように書類にサインをさせられ、彼らの土地から強制的に追い出させられたり 。

それってまさに、ネイティブアメリカンと同じような迫害のされ方で、聞いていて胸が痛みます。
国連が認めても、日本国はずっと耳を傾けず、アイヌが先住民族であるとようやく認められるようになったのは、なんと2008年とのこと。
それって最近!洞爺湖サミットがきっかけで、あわてて認可したそうな。
事態は好転したかと思えても、その後も、なかなか進んでいないとのこと。
今は、アイヌのリスト作りをしている段階で、遅々として進まず、保護に至っていないそうです。
さらに、間に立つ団体や研究者が不当に資金を横取りしていた事件も起こったとのこと。
認可が下りても、まだまだ大変なようです。

 

アイヌのデザインについての説明もしてもらいました。
とがっているところは、そこで魔物を退治する、魔除けの意味があるそうです。
前々から、アイヌとイヌイットのデザインは似ていると思っており、自然崇拝や生活スタイルなどが近いからかしらと考えました。
最後に、アイヌ楽器のムックリを演奏してくれました。
ひもを弾いて鳴らすものと、簡単なものと、両方を。
ひものムックリは、私も持っていたことがありましたが、全く音が出ず、難しいなと思っていました。

 

そのあと、併設しているお土産屋で女将と少し話をしました。
2日前まではとても寒くて、半袖の人がふるえながら上着を買いにきたため、ポンチョは売り切れだとのこと。
2日前から真夏のような暑さになり、「ようやく夏が来たのかな?」と言っていますが、ちょうど私たちが来た日からというのが残念すぎ。
知床五湖でも日傘の人をかなり見かけました。
自分の持っていたムックリが鳴らなかったという話をしたら、簡単に音が鳴る方をはじかせてくれました。

女将の旦那さんは厚木出身。もはや純アイヌではないわけですね。
息子さんのお嫁さんは春日部出身だとのこと。遠くの血が混ざる、これもいいことでしょう。
女将本人は、阿寒神社で神式挙式だったそうですが、息子 さん夫婦は数年前、40年ぶりにアイヌ式の結婚式を行ったそうです。それはすてき。
「式次第は長老に教わった」と聞いて「長老ってまだいるのね~」とつぶやくチャロ。たしかに!

自分のルーツを大切にでき、出自を自由に誇れる世の中になって、よかったなあと思います。

おかみは、なかなか商売上手で、人がいいチャロは予定外のものも勧められるままに買っていました。
チャロが買ったシケレベ茶を、部屋で飲もうと、急須を借りに調理場に行きましたが、「それは雪平鍋で煮込むものだ」と教えられ、残念ながら飲めずじまい。
しばらく部屋でくつろいで、私は再び温泉へ。
24Hなのがうれしいですが、とにかくアツイアツイ。
それから日記を書いて、就寝しました。

 

2012-8北海道・青森ドライブ周遊記2-1

2012-08-22 | 北海道
[釧路~厚岸~中標津~標津~サーモンパーク~野付~羅臼~知床峠~ウトロ]

○ 釧路

ホテルは快適でしたが、夜中に何度も起きました。空調調節を設定しきれなかったせいかもしれません。
起きるたびにカーテンをめくって、外を見てみましたが、夜の間も、そして朝になっても、ずっと釧路の街は霧に覆われていました。
それでも日差しはまぶしく、今日も暑くなりそう。
8時半過ぎに出発したため、ちょうど出勤時刻と重なり、プリンスホテルの向かいの市役所に、大勢の人が入っていきました。
日傘をさしている女性もいて、少しがっかり。釧路でも日傘は必要なのね。

 

車は釧路川沿いに走り始め、釧網本線ではなく、厚岸方面の国道272号を通っていきます。
市街地を抜けると、またどこまでも続く直線の道。
思ったよりもあちこちで道路工事をしているのは、道路を新しく作っているからでしょうね。
まだまだここは開拓地なんだなあと思います。
交通量が多い橋は、建て替えをしているようです。北海道は広いので、あとからあとから直さなくてはならない箇所が出てきそう。

 

丸くまとめたわらをたくさん積んだトラックが前を走っていました。
「積みわら」といえば、モネの絵。これは「稲わらロール」と言うそうです。
上に飛び乗ってポンポン跳ねたら、気持ちよさそう!でも実際にはチクチクしそうです。
走行中、積み荷の藁ロールから稲がどんどんほどけて、私たちの車をかすめて飛んでいきました。
目的地に着いた時には、ロールは半分くらいの大きさになっているんじゃないかしら?

○ 昆布盛

途中、昆布盛という地名を見かけました。
ここは昆布が名産だと聞いて、ビックリ。
だって昆布って、海藻でしょう?なのに森?えええ?
混乱していたら、「昆布のある所だから 」だと教えてもらいました。
地面に小石を敷いて、その上で干すそうです。へえ~。いろいろ不思議。
ここではバーナムの森じゃなくて、昆布の森が動くのねーと想像しながら、先を急ぎます。

釧路を抜けると、通りを歩いている人の姿もほとんど見かけなくなります。
北海道は人口が少ないとはいっても、人影自体ほとんど見あたらず、時折道路工事や交通整理をしている人がいるだけ。
住んでいる人たちはみんなどうしているの?車社会だから、歩き回らないのかしら?

○ 牧場

 

道沿いに、牧場がたくさんあります。「~牧場」という看板を道の両側に見かけ、牛舎には「もっともっと牛乳」というコピーが大きく描かれていたりします。
乳牛がたくさんいて、大喜び。牛さーん。あ、馬さんもいるー。北海道だあ。

 

ただ牧場はあっても、「牧場しぼり」的に絞り立てミルクを提供してくれるところは見あたりません。
まだ北海道の牛乳を飲んでいないのにー。
夏の期間だし、開いているお店は多そうなのに、見あたらないどころか、窓ガラスが割れていたり、窓やドアが木の板で打ちつけられて閉店している店が目立ちます。なぜでしょう?
休憩したくても道の駅さえなく、ちょっとしたゴーストタウンのようにも感じます。

そのうちに「サーモンパーク」という表示を見つけて、そこに行くことにしました。
曲がり角に表示がないため、ナビで確認して向かいます。
初めて訪れる人には不親切だわ。そんなものかしら?

○ 標津サーモンパーク

標津と書いてしべつと読むなんて。読めませんー。
標津サーモンパークは、広い敷地に贅沢に作られた施設。ロックフェスが行われそうなくらいに広々とした芝生が広がっています。

 

斬新なデザインのビルがあり、鮭の博物館だとのこと。
ドクターフィッシュもいるとのことで、気にはなりましたが、どちらかというと今希少価値が高まっているウナギの博物館の方に入ってみたい私(いまだ謎の多い生物だから)。
11時半頃に到着したので、とりあえず食事にしました。
車を降りるたびに、日差しに焦げそうになります。
今日もまたとにかく暑くて、北海道にきたのに、と信じられない気分。

 

入口には、ロシア語の挨拶が書いてありました。
「ようこそいらっしゃいました」・・・あれ、過去形でよかったっけ?
日本語もあやふやになってきています。

 

メニューには標津の海の幸がいろいろと並んでおり、チャロは鮭天津丼、私は魚介ラーメンにしました。
魚介スープが大好きな私。海の幸がたくさーん。
鮭天津丼というのも初めて聞くメニューで、興味シンシン。
ちょっと分けてもらったら、大きな鮭があんの下に横たわっていました。

 

山形旅行の時の、アッコさんの取材用の撮り方を真似てみました!おいしそう!

 

窓の外には鯉が泳ぐ池があり、白鳥が一羽、悠々と泳いでいました。
夏の間はシベリアに渡っていかないのかしら?

 

自転車で訪れたご一行様が、汗をふきふき食事にやってきました。
今日はすごく暑い日なのに、この炎天下を自転車でやってくるなんてすごい。お見それします。
男性も女性も、みんな日に焼けて真っ黒です。

釧路から標津までは、車で2時間の行程。根室中標津空港は、中標津町からは近いけれど、根室からだと1時間半くらいかかるそうです。
根室という名前がついているのに、そんなに遠いなんて、不便ですね。

ご飯を食べながら、次はどこへ行こうかと話します。
フリーならではの自由さが、いいですね。
野付半島に向かうことにしました。

○ はまなす

北海道に来てから、ちょくちょくはまなすデザインを見かけます。
さまざまな商品に名前が付けられていたり。北海道の花なですね。
砂丘で育つ、鳥取の花だと思っていたため、イメージが合わずに初めはめんくらいました。
私だけの間違ったイメージでしょうけれど。

○ 野付半島

それからどこをどう行ったのか、ナビとチャロ任せで、野付まで行きました。
左が海、右が湖という眺望の中の一本道を走っていきます。窓を開けると風が抜けていって、最高のドライブ道。
延長28kmの、日本最大の砂嘴(さし)だとのこと。不思議な地形に心が浮き立ちます。

 

ネイチャーセンターで休憩し、すぐ目の前の湖を眺めます。湖の向こう側にはトドワラが。
ナラワラとごっちゃになっていたら、ほかの人も係員に違いを尋ねていました。
トドワラはトド松、ナラワラはナラの立ち枯れ木だそうです。
つられてカレワラとワイナミョイネンのことを思い出しながら、確かにフィンランドっぽくもある湾を眺めました。

 

チャロははまなすソフト、私は流氷ゼリーを食べました。
チャ「はまなすシロップは甘くなかった」。私「流氷なのに冷たくなかった」。あれれ。でもおいしかったです。

 

「標津羊羹」がお勧めだと聞いて、訪れたら買おうと思っていたことを、中標津を出発してから思い出し、「キー、買い忘れた~!」と言っていたら、チャロがここで発見。
喜んで購入しました。
あとは「黒い恋人」も。「白い恋人」は見かけないのに・・・最近はこちら優勢だったりして!?

 

野付半島は全く霧がなく、すばらしい見晴らしでした。とても眺望がいい分、暑いのですが。
青く光る海が、オホーツク海というのがなんだか信じられません。もっと寒々と、黒々としたイメージが強いためです。
向こうに見える山々は、国後島だとのこと。
北方領土!こんなに近いんだー、と驚きました。
このあたりに住む人々は、ロシアのものとも日本のものともはっきりしない土地を日々眺めて暮らしているんだなあ、どっちつかずで、もやもやした気持ちだろうなあと思います。

 

野付湾は、ラムサール条約湿地に指定されているそうです。
センター内には水鳥の羽が部位ごとに飾られて、名前が記されており、鳥好きとして(こんなに詳しいのは初めて!)と興奮しました。

 

○ 道産子

建物の外には、観光用馬車が2台止まっており、馬がブルルンと息を吐きながら、勢いよく飼い葉を食べているところでした。
「うまー♪」と二人で寄ってみましたが、その大きさに圧倒されて立ちすくみます。

 

サラブレッドよりも遙かに大きく、足も太く、迫力満点。
これが道産子なのね。前足よりも後ろ足の方が太いのは、踏ん張れるからでしょうか?
動物好きの私でも、近寄って触れるにはためらわれるほどの巨大さでした。
彼らに踏まれたら、あっけなくペチャンコになってしまうでしょう。

 

毛並みがよく手入れされており、全身が日光を受けて黒々と光っていました。
道産子は、サラブレッドとは全く違う、力強さみなぎるがっしりした体躯。
腰が引けながらも、惚れ惚れと見とれました。

○ 野付埼灯台

そこからさらに10キロ少し進み、灯台の駐車場へ。
車が入れるのはここまでですが、灯台はまだずいぶん先に、銀色に小さく光って立っています。
その距離500m。暑い中、多少億劫ではありますが、せっかくここまで来たので、もちろん歩いていきます。

 

そばまで行くと、それは形のよい白い灯台でした。ひと気のない海を背景に、絵になっています。
夏の盛りの日なので、海も空も明るくきれい。昨日みた海はグレーだったので、青い海がみられてうれしくなります。

 

海岸で少しオホーツク海の波と戯れました。
灯台の先には、お地蔵さんの銅像が海を見つめて立っていました。
どんな由来なのか気になりますが、周りはすっかり草に覆われており、完全に近寄れません。
海で遭難した人の供養でしょうか。

 

北海道道950号野付風蓮公園線の標識が、風で斜めに傾いていました。
少しずつ海水侵食されつつある野付半島の道路。天候によっては、閉鎖されたりもするそうです。

 

その2に続きます。

2012-8北海道・青森ドライブ周遊記1

2012-08-21 | 北海道
[新千歳空港~道東道~釧路~厚岸~愛冠岬~釧路]

○ prologue

北海道を最後に訪れたのは、ちょうど10年前。
最初は親戚旅行で函館へ、2回目はツアーで4日間ぐるり観光、3回目は一人で新千歳から函館まで。
3回目の一人旅がなかなかハードだったため、それからしばらくは行けずにいました。
今回、チャロことチャロラインと一緒に北海道旅行をすることになりました。
後半は、青森のいとこたちと、久しぶりに会う予定。楽しみです。

今年の夏は、山形に四国、そして北海道と、いつになく旅の予定が多いこともあり、北海道はチャロ、青森はいとこたちに旅程をお任せしていましたが、旅行の前日になっても誰からも連絡がありません。
(あれっ、大丈夫なの?待ち合わせもまだハッキリ約束してないし)とさすがにあせりました。
チャロに聞いてみると「行きの飛行機と宿は押さえているし、行く場所はその場で決めてもいいかと思って」との返事。
北海道を我が庭としている人ならではのゆとりですね。
いとこたちと会うのは旅の後半だし、会えば何とかなるだろうと思って、これまでに例のない、ほぼ真っ白の予定表を携えての旅となりました。

朝は6時に起床。羽田空港でチャロと待ち合わせです。
蒲田駅から空港シャトルバスに乗る予定でしたが、それよりも10分早くに出る、各停留所を巡る空港行きバスに乗りました。
これが失敗でした。
思ったよりも乗り降りする人が多く、停留所に細かくバスが止まったため、かなり時間がかかってしまい、早く着いてフライト手続きをとり、優雅に朝食をとっていたチャロに、超心配をかけてしまいました。

○ 羽田

乗るのは8:25発のスカイマーク。空港に着いたのは8:10。
たしか、出発時刻の15分前までに保安検査場を通らなくてはいけないんじゃなかったかしら。
スカイマークの搭乗口は、無情にも一番遠く。長いフロアを、旅行荷物をしょって、Aから延々走り、ようやくGまでたどり着きました。
チャロが一人、待っていてくれました。ごめんなさい~(-人-)!

なんとか間に合って、ふうふういいながら、ほっと一息。
そもそも、バスより電車の方が確実ですからね。
空港までバスを使うときには、時間を十分にとって。そしてノンストップのシャトルバスを使うこと!
以後気をつけます。

平日のためか、乗客はほとんど男性だという印象。スーツ姿の人が多く、日帰り出張なのかなと思います。
窓から景色を眺めているうちに、ほどなくして新千歳空港に到着。
飛行機に乗ると1時間半で着く北海道。とても身近に感じます。

この日は朝起きた時から暑くて、弱っていました。
札幌についたら、気温は確実に東京より下がっていましたが、それでも暑さは感じました。日本で一番北の土地でも、やっぱり夏は暑いのね。

○ 新千歳

空港から、道内をレンタカーで巡ります。
レンタカーを借りる手続きをしたことがない私。
まず、さまざまな会社のレンタカーブースがずらりと並ぶ充実さに驚きました。
そして、レンタカーを利用する人はかなり多く、一大待合所になっていたことも新鮮でした。
さらに、レンタカー会社まで、会社ごとの専用マイクロバスに乗って移動するというのも、初めての体験でした。

手続きを済ませ、車体にあらかじめついた傷を係員と一緒に確認してから出発します。
係員が、なにげなく「車体の前面がちょっと汚れていますけど、これは虫が入ってくるからなので、気にせずに」と言ったことに、驚きました。
えっ、虫?気にするなって、気になるよ!

でもそう言われた以上は、あまり考えないことにして、まずは帯広へと向かいます。
突然「ドードードー」とつぶやくチャロ。
ドードーの話?と、指さす方を見ると「道東道」との表示がありました。
ドートードーね。わかりにくーい。道が二つもあって、山本山みたい。
道東自動車道、略して道東道は、目下伸び続けている高速道路で、今は十勝の浦幌までつながっているとのこと。
「前より伸びてる~」と、チャロは感激していました。
私はNZで見たドードーの剥製のことが、頭から離れなくなってしまいました。
羊よりも大きかった…。

とにかく、まっすぐに伸びていく道に感動。
北海道は、本当に道がまっすぐなんですね。行けども行けども、見える限りに直線道路。
緑の山々に囲まれて、ああ北海道にきたなあと実感します。

こんな直線道路は、カナディアンロッキーでしか体験したことがありません。
左側通行でなければ、雄大な自然に囲まれて、まるで外国の道をドライブしているような気になります。
(たしかに表示にある土地は読めない地名ばかり。アイヌ語だから)

○ 占冠

延々運転を続け、占冠(しむかっぷ)PAで一休み。
車を出て、陽射しのまぶしさに目を細めて見た壁の温度計は、なんと33度を指していました。
え~、関東と変わらない~!北海道なのにこんなに暑いなんて!
がっかりする私に「湿気がないから、暑くても過ごしやすいよ」とチャロ。

 

たしかにカラリとしていますが、その分じりじりした日差しの強さと、蒸発するような暑さがこたえます。
それでも、売られているいももちとかぼちゃもちが気になったので、さっそくシェアしました。(食欲があるから元気!)
お店のおばさんは、ハチなどの虫よけにサッシをぴったり閉めており、注文を受けた時だけすばやく戸を開けて、お金と食べ物のやりとりをしていました。
まったく愛想がないところが北らしいような、そうでないような?
いももちとかぼちゃもち、どちらも食べやすくて、おいしかったです。

○ 日高山脈

道東道を走っていると、トンネルの長さに驚きます。日高山脈にさしかかった辺りで、道東道最高標高 626mという表示を見かけました。
一度トンネルの中に入ると、なかなか外に出ません。
こんなに長いトンネルを掘るのに、どれだけの手間がかかったんだろうと考えます。
トンネル好きだし、中はひんやりとしていて気持ちいいですが、あまりに長いとモグラのような気分になってきます。

○ トマム

途中、アルファリゾート・トマムのリゾートタワーがありました。
自然の中にモダンな超高層階のビルが建っており、バブリー。

 

雪景色もきれいでしょうけれど、緑の中のモダンデザインもなかなか雰囲気がありました。
ここで見る、早朝のゴンドラ雲海ツアーは、えも言われぬ美しさだそうですが、今回はナシ。
とにかく早く涼しい場所へ行って、北海道に来たと実感したいのです。

○ 帯広

「暑い帯広から、早く抜け出そう!」と、一路東を目指して進んでいきます。
気分はモーセの出エジプト。海を分けるわよ!(予想外の暑さで頭が・・・)
次の休憩場所、十勝平原SAでは、豚フランクフルトと牛フランクフルトが売られていました。
気になるね!ということで、両方食べ比べてみることにします。
そういえば、普段食べているのは、単に「フランクフルト」といっているけれど、いったい何の肉なんでしょう?
その場であぶってくれたフランクフルトは、太くてバリンと音も本格的。
ドイツ気分になります。どちらかというと豚の方がおいしかったような。
どちらもとても充実していて、食べでがありました。

 

目的地候補の一つ、糠平湖のタウシュベツ橋そばに近づいてきましたが、林道を抜けなくてはいけないことと、目下かなり水面が上がって、橋の全容がよく見られないということで、行かないことにしました。
残念!でも苦労して辿りついて、ガッカリ光景を見るよりは、今後に持ち越す方がいいですね。

○ レッドアロー

頭上の道路には、真下を差す赤い矢印が等間隔で延々と続いていきます。
「矢羽根」(固定式視線誘導柱)という、猛吹雪で道路が見えなくなった時の道しるべなのだとか。
かなり短い間隔(80m)で矢印があるため、なんだか気になります。
ちょうど真下を通る時、頭の上に矢印が落ちてきそうな気になりました。

○ 茶路

帯広市を抜けて白糠郡に入り、上茶路、中茶路、下茶路と地名が変わるたびに、チャロが「チャロ!」と嬉しそうに声をあげます。
私は何度聞いても、NHKの「リトル・チャロ」しか連想できずにいます。
「なにそれ?」「ええと、NYに住んでる仔犬が、英語を話してあちこち旅する話だったような」「・・・」
かみ合わない会話も、旅の醍醐味?

○ 白糠

廃線になった白糠線の北進駅の辺りも通りました。
北海道は、多くの路線が廃線になっているそうです。
かつてキーホルダーをたくさん見かけた「愛国から幸福行き」の広尾線もすでにありません。
鉄道マニアは多くても、普段の利用客が少ないと、やはり続けられないのでしょう。そうしてますます村の過疎化が進んでしまうという悲しい循環。うーん。

 

途中、十勝川を通りました。
「十勝川って聞くと、熊が鮭を獲っていそうなイメージがあるね」と言ったら、チャロも「そうそう♪」と頷いたので、(よかった、北海道通の人も同じことを考えてたー)と思いました。

○ 恋問海岸

白糠の道の駅で休憩し、恋問海岸の砂浜に下りて行きました。
恋を問うなんて、なんてロマンチックな名前なんでしょう。
言問橋のことを思い出します。
かなり霧が立ち込めていましたが、それでも浜辺で遊ぶ人たちがちらほらいました。
ずっと山の中の長い道路を走り続けてきたので、海に来られて、何となくほっとします。

 

道路案内標識に「大楽毛」と書かれていました。「おたのしけ」と読むそうです。
聞いているだけで、なんだか楽しげになってきます。

 

十勝平野を越え、もうこの辺り一帯は、釧路湿原。
海沿いになったこともあり、なんとなく風土の変化を感じます。
今日の宿泊先の釧路に着きましたが、駅を越えて、そのまま進んでいきました。

 

鶴が羽を広げた欄干の、素敵な橋を通りました。
新釧路川にかかる鶴見橋。そういえば釧路はタンチョウの土地でしたね。 

○ 愛冠岬

 

向かったのは、厚岸にある愛冠岬。
島にあるとのことです。切り立った急な形の島の遠景が印象的。
島にかかる赤いトラス橋、厚岸大橋を渡って、ワクワクしました。

 

どんどんカーブを上り、駐車場に着きましたが、ほかに止まっている車はおらず、誰もいない雰囲気。
そして霧が辺り一面に立ちこめています。

 

「『ミスト』っていうホラー映画があったよね」とおそるおそる言ったら、チャロは「やめて~!」と怖がりました。言った私もちょっとブルブル。
「これ、一人だったらとても行けないね」と言いながら、おっかなびっくり進んでいきます。
これまでの暑さが嘘のように、寒いほどに涼しい冷気が漂っています。

 

北大の付属博物館がありますが、人の気配は全くなし。
なおも先へ進むと、「愛冠岬」と書かれた看板がありました。
岬から下をのぞいても、海は全く見えません。
霧で視界が遮られているのです。

 

海からあがってくる冷たい風の勢いから、かなりの断崖絶壁なんだろうということは、わかります。
海風にあおられて、すっかり髪の毛は湿気を帯びてしまいましたが、すがすがしくて気持ちいい場所。
鐘があったので、鳴らしました。二つの鐘からは、違う音が出ました。
五里霧中でも確かに響く鐘の音。これで熊も出ないでしょう。
前にチャロがきた時には、エゾシカが草をはんでいたそうですが、この日はなにもいませんでした。

「歌とか歌えば、熊も出てこないんじゃない?」ということで、「カエルの歌」を輪唱しましたが、二人なのですぐに終わってしまいます。
「・・・つまらないね」とチャロ。いいえ、熊との遭遇がかかってるのよー。

 

北海道らしい荒々しい自然に、カムイ岬を思い出します。
柵を越えたところにも道ができていたので、もちろん行ってみました。
先まで行ってみましたが、やっぱり霧で真っ白で、何も見えません。
チャロは途中でギブアップしたので、私も戻りました。
愛冠岬の画像を見せてもらったら、透き通るような青い海が眼下に望める、素晴らしい眺望でした。
うーん、残念。でもこれはこれで、雲の上にいるような浮遊感を味わえました。

北大の付属博物館の開館時間を見てみたら、平日の4時までとありました。
4時過ぎていましたが、それでも少し前まで開いていた気配は全くありません。
すぐ近くに関係者の宿舎らしき平屋の建物もありましたが、そこもシーンとしています。
「カーテンの隙間から見ている目があったりして」と話して、二人でゾゾ~ッとしました。

坂を下っていくと、夕日に照らされて厚岸の街が美しく輝いていました。
自然の力の強いこの地では、ダイナミックな光景が見られるのでしょう。
西日に照らされながら、釧路に戻りました。

○ 釧路

 

宿泊は釧路プリンスホテル。
落ち着ける部屋ですが、窓の外はやっぱり霧が立ち込めていて、幻想的ではあるものの、眺望は望めませんでした。
後で聞くと、釧路は霧に包まれた町として有名なんだそうな。
「霧の向こうのふしぎな町」好きだったなあ。

○ 炉ばた焼き

一休みしてから、夕食に出かけます。
道東に着いたら涼しくなると言われたとおり、確かに夜は上着をはおらないと肌寒くなっていました。
向かったのは、釧路川沿いの炉ばた焼き屋さん。
釧路は、炉ばた焼き発祥の地なんだそうです。
港で水揚げされた魚介類が提供され、それを目の前で自分であぶって食べるという豪快なシステム。
お店はとても人気らしく、少し待ってから席に通されました。

 

店内には、大漁旗がところせましと飾られており、港には漁業船が何隻も停泊していました。
豆電球をずらりと貼り巡らせているため、イカ漁船かなと思いましたが、どれもさんま漁船だそうです。

 

お店の営業期間は、5月中旬から10月まで。
冬の間は寒くて、開けていられないのでしょう。
釧路フィッシャーマンズ・ワーフという場所の名前に、SFのPIER 39を思い出しました。

 

ずっと運転しっぱなしで、日中あまり食べなかったため、どんどん食べたいものをチョイスしていきました。
北海道ならではのものを食べよう!と張り切ります。
ちゃんちゃん焼き、ウニとカニ、牡蠣、イカ、ほっき貝、さんま、ほたて、じゃがバターなど。
牡蠣は、先ほど行った厚岸のものので、電柱に牡蠣のマークがついているのを見た時から、なんだか食べたくなっていたので、迷わず選びました。
一緒に炉端を囲んだ女性は沖縄出身で、地元の知人に案内されてきたそうですが、周りはほかに、観光客っぽい人はおらず、仕事帰りといった感じの面々ばかりなのもうれしい感じ。

 

さっそく買ってきた食材を網にのせて、じゅうじゅう焼き始めましたが、「あれ、牡蠣ってどうやって貝を開けたらいいの?」「それより先に、食べ頃はどうやったらわかるの?」と、ビギナーの私たちはあせります。
すると、どこからともなく漁師エプロン姿のおじいさんが現れて、黙って牡蠣の殻を割ってくれました。

 

ほかにも、イカ一杯を食べやすくハサミで切ってくれたり、ちゃんちゃん焼きに火が行き渡った頃合いを見てくれたりしてくれたため、食べるタイミングを逃さずにすみました。
私たちのところに来てくれたおじいさんが「あらし」という名札をつけていたので、「なんかかっこいい。源氏名みたい」とチャロと愉快になっていたら、ほかのおじいさんも、全員「あらし」の名札をつけていました。
炉端焼きヘルパーをあらしというのかしら?謎だわ。とにかく武骨で頼りになりました。

 

どの食材も新鮮で、具も大ぶり。喜びながらはぐはぐ食べていたら、チャロがおもむろに、隣の炉端の男性に話しかけられました。
私はお邪魔かしら?でも相手はかなりのおじさんだし、どうしようかな、と思っていたら、お隣は仕事のグループで食べに来ているとのこと。
「これまでずっと寒い日が続いて、今日は夏日なんだよー」と何回も言われます。かなりお酒がまわっているみたい。
建築関係だと一本締め、漁業関係だと三本締めだというミニ情報を教えてもらいました。

 

お近づきのしるしに、おじさんたちからアイスキャンデーをいただきました。
北海道の食材をおなかいっぱいに食べて、大満足。

 

お店を出て、冷気に少し震えながら、霧に煙る幣舞橋を眺め、釧路川沿いを散策してホテルに戻りました。

 

一日目にして、千歳から釧路まで、ずいぶん移動したなあ。