goo blog サービス終了のお知らせ 

風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

桃太郎のいる国へ(岡山) 1-(3)

2015-09-07 | 中国(山陽)
1-(2)からの続きです。

○ 旧山陽道の板倉宿

最上稲荷から先ほど電車を降りた備中高松駅に着いたものの、吉備線はなかなか来ません。
次に行きたいのは、一つ隣の吉備津駅。
もしかすると歩いたほうが早く着くんじゃないかな?
思い切って歩いてみることにしました。

でも、予想外に距離は遠く、ずっと歩いていたため、疲れを感じはじめています。
(地方のJRのひと駅の遠さを甘く見てはいけなかった…)
変わりやすい天気で、昼の強い日差しが照りつけたかと思うと、突然空が暗くなってゲリラ豪雨の攻撃を受けたりします。

道もよくわからないまま歩いているので、ちょっと不安。
でも、都会と違ってこの辺りは道が少ないので、方向さえ間違わなければなんとかなるものです。

途中、レトロな雰囲気のある通りにさしかかりました。
白壁の蔵が多く、町並みが整備されています。



旧山陽道の板倉宿でした。
タイムスリップした気分で、ここを通って進んでいきます。





そろそろ休みたいなあと思いながらも、道ばたの花に元気づけられながらてくてく歩いて行くと、ようやく吉備津駅が見えてました。



わあ、ここも突風にあおられそうなくらい小さな駅。まあ電車が二両ですからね。



本数が少ない吉備線。なかなか通らない電車がちょうどやってきたので、思わずシャッターを押しました。
線路の向こうから、ずっとまっすぐ参道が続いています。神社はこの時背中側にあります。



振り返って参道を進み、まっすぐ吉備津彦神社へ向かいます。
先ほどの最上稲荷の暗い参道とはずいぶん違う、松の並木道の立派な道でした。

○ はたらく鬼さん

この日は歩き出してから、ほとんど人と行きかうこともなく、孤独にここまでやってきましたが、神社の前まで来ると参拝者の人たちが大勢いてにぎやか。
目的地に着いてほっとします。



「桃太郎」という名の門前の土産物屋さんの店先では、鬼の人形がアイスクリームを売っていました。
働かされてる…。
「はたらくおじさん」ならぬ「はたらくオニさん」ですね。
そんなしょうもないことを考えてしまうのは、暑さで頭がポーッとしているせいです。

○ 吉備津彦神社



ここは、明るいきれいな気に満ちていました。
木漏れ日がキラキラ。風も爽やかに吹いています。





張り子の狛犬が飾られていました。
ミッフィーを思い出させる、超シンプルな顔つきがかわいい。
奥のなんて鳥にしか見えません。連れて帰りたいわ~。



○ 祈願トンネル

本殿の奥の階段の上には、一童社がありました。
絵馬を下げる場所がトンネルになって、社の前にありました。
それが、これまで見たことのないものでした…。



中央に大きく「祈願トンネル」と書かれています。
左右には「このトンネルを抜けると陽光うららかな花の園!」
「このトンネルをくぐり心に安心とやすらぎを!」
「!」を使いまくる神社って、そうそうないですよね・・・。

なんだかすごくて、一瞬、通るのをためらいました。
でも他の参拝者は、特に気にすることなくくぐっていました。
地元の人は、慣れているのかな。



ここには、菅原道真、天鈿女命など複数の御祭神が祀られています。
天鈿女命は私の好きな女神様。おお~、トンネルくぐって行きます~。
祈願トンネルを通り抜けてお参りをすませて振り向くと、トンネルの逆側にも文字が書かれていました。
こってりですね。

今度は中央に「明るい門出」
左右に「勝利は我が手に!」「栄光への旅立ち!」
またもや「!」が力強く書き込まれています。

いや~、こういう時、一人参拝が悔やまれてなりません。
この楽しさを、誰かと一緒に分かち合いたかったわ~!



おみくじの結び処のワイヤーが、「合格」になっていました。
立体的だわー。受験生には嬉しい仕組みでしょうけれど、なまじバックが赤色に塗られているだけに、なんだか血文字を連想しなくもありません。
そんな風に思う私は、暑さで疲れているのでしょうか。いや、でも…。



本殿では一ノ宮の由緒正しい風格を保ちながら、摂社ではこんな遊び心を見せて、参拝者を明るい気持ちにさせてくれるとは。
クリエイティブな発想をお持ちの神主さんがおいでのようです。



ここ以外は(と言ったら失礼ですが)、とても荘厳な雰囲気の漂う境内でした。
裏庭にはまだアジサイが咲いており、季節が戻ったようでした。

○ 呼ばれそこねたネコ

ももたろうおみくじがありました。


(momo2)


六角形の各面に桃太郎の物語が描かれていて、話を追いながらぐるっと回っていくと・・・



最後のシーンのところに、白猫がでろーんと伸びて寝ていました。
うわあ、気持ちよさそう。ぐっすり寝ていて、近くに寄っても全く起きません。
肉球触っちゃうよ~。



ネコは桃太郎に鬼退治に誘われなかったから、きっと今でもフテ寝しているんでしょう。
とっても気持ちよさそうだったので、邪魔しないように静かにその場を離れました。

○ 山のふもとを周って

次は、もう一つの一ノ宮である吉備津神社へ向かいます。
ご神体の山の向こう側にあるため、山を越えて直線距離で行きたい気持ちはありましたが、かなり暑くなっているし、疲れも出てきているので、体力的に無理そう。
かといって、一旦吉備津駅に戻り、便の少ないJRを待って乗るのも時間がかかるため、山ぎわの道をぐるっと回って通っていくことにしました。
さっきさんざん歩くのに懲りたはずなのに、さらにJR駅一つ分を歩いている私。懲りないですね~。
山裾の道なので、車道よりは木陰もあり、先程のようなアスファルト照り返しのつらさはありません。

途中、はなぐり塚がありました。
京都の耳塚を思い出して、名前にどきっとしましたが、命を落とした牛の鼻輪を奉納しているところだそう。
このあたりになると、自転車の人も増えています。
山ぎわの細道なのであまり車は通らない代わりに自転車の通りは頻繁で、何台も私をすいすい追い越して行きました。

○ 彦のあるなし

目指す吉備津彦神社に着きました。こちらも凛とした、大きくて立派な拝殿です。
前に立つだけで心が落ち着く感じ。



吉備津神社と吉備津彦神社という、ほとんど一緒の名前の神社が近くにあるため、よく区別がつかずに紛らわしいなと思っていました。
どちらも桃太郎のモデルとなった神様をお祀りしている、備前一ノ宮。共通点が多いです。



なぜか駐車場に、桃太郎ファミリーがいました。こんな外れた場所に、どうして?
微妙な表情をしてるし…。こういう顔の友人、いた気がする…。


(momo3)


ここで、桃太郎のおみくじとお守りを買いました。
桃の形をしたかわいいおみくじ。透明のアクリル箱にたくさん入っていて、そこから好きな桃を選べるようになっています。


(momo4)


桃に付いているおみくじには、番号が書かれています。
かつて巫女だった職業柄、いい番号を覚えており、ついそれを選んでしまいました・・・!
これも職業病ね(違います)。
自分で選び取った大吉・・・。せめてもの罪滅ぼしに(?)番号は伏せておきます。(いろいろダメですね)



思わず言ってみたくなる、ここは亀島神社への入り口。ご祭神は、江の島の神社と同じ、市寸島比売命。
神池には、亀がたくさん泳いでいました。

○ 備前焼の狛犬

行きは北の駐車場の方から入ったため、帰りは参道を通って、東の正門から出ます。
正面に見えるのは随神門。元禄10年(1697年)のものだそうです。古い!



神社の入り口を守っている狛犬は、巨大な備前焼のものでした。
ここは備前の国だから、土地柄ですね~。
品川神社にもありますが、もっと小ぶりのもので、壊れないようにワイヤーで覆われています。
こんな大きいの、よく焼き上げましたねえ。さぞかし大きな窯なんでしょう。



最寄りの備前一宮駅へ向かいます。立派な駅名ですが、イメージの割に小ぢんまりとした無人駅でした。
隣のレンタサイクル店には、10人くらいの外国人グループが借りにきていて、めいめいにお喋りをしていてにぎやか。
お店のおばちゃんは、大柄の彼らに合った自転車を用意するのにてんてこまいでした。



○ 桃太郎伝説

電車は一時間に1、2本。水分補給をしながら40分ほど待ちます。


(momo5)


駅の壁には、桃太郎伝説が書かれていました。
岡山に来る前に、改めて桃太郎の鬼とは何かと調べてみたことが、ここに全部語られていました。


(momo6)


ようやく待ちかねた吉備線がやってきました。
電車の中は冷房が効いていて、やっとほっとできます。
暑い日になりました。

涼みながら岡山駅に戻りました。予定では宿に帰らず、さらに別の場所に行くつもりでしたが、暑さに身体がまいっているため、ホテルで一休みすることにします。
道すがら、観光案内センターがあったので、情報収集をしました。
ここも「ももたろう」という名前がついていました。
ホテルのチェックインをすませて部屋に入り、シャワーを浴びてすっきりし、ベッドに伸びたら、しばらく起き上がれなくなりました。

1-(4)に続きます。


桃太郎のいる国へ(岡山) 1-(2)

2015-09-07 | 中国(山陽)
1-(1)からの続きです。

○ 緑の吉備路

さて、切ない歴史にしばし思いを馳せたところで、次の目的地、最上稲荷へ向かいたいところですが、ここから先のルートがわかりません。
駅前に地図はなく、城址には周辺地図でもあるだろう、とのんきに考えていましたが、あたりには地図はありません。
パネルがある!と近づいてみると、水攻めの武者絵だったし…。

まあ、駅よりも遠いのはわかっているので、さらに山の方に向かって歩き始めると、じきに「吉備路サイクリング」の道に差し掛かり、なんとなくの方向がわかりました。

日曜日ですが、そんなに自転車に乗っている人はいません。
この日はとても暑く、うだりそうだからではないでしょうか。
修学旅行の時にもグループで吉備路サイクリングをしましたが、こことは少し離れた備中国分寺の方でした。


水田が広がる、みずみずしい田園風景。瑞穂の国ですね。
わあ、シラサギがいる!
よく見るとたくさんいて、すぐ見慣れました。



どこまでいっても青々とした水田が広がり、ひとけがありません。
標識が全くないために、この道ではたして合っているのか気になってきます。
歩いても歩いても変わり映えのない景色だと、いくら美しい水田でも、じきに飽きてしまいます。
ネットも繋がらないので地図検索できないし、教えてくれそうな人がなかなか通らないため、不安がつのりました。
そのうち、近所の子が自転車でやってきたので、ようやく道を聞くことができました。

遠くに、先程の大鳥居が見えます。



(岡山は「晴れの国」って言われているけれど、そんなに晴れが多いのかな?)と考えます。
水田の片隅には、巨大なソーラーシステムが設置されていました。
晴れが多いところは、太陽の光をふんだんに活用しています。
晴天日が多いから、稲もよく育つんでしょうね。
歩いたのは、駅から3キロくらいの距離でしたが、広大な水田の横を、地図がないかと探しながら一人でてくてく歩いていったため、とても長く感じました。

○ 最上稲荷の参道

ようやく参道入り口にたどり着きました。
でもなんだか様子が変です。
表参道、ですって?ここが・・・?



参道入り口にやってきました。
大きなゲートの上に「歓迎」と書かれてありますが、見るからに全然歓迎されていない雰囲気。
そもそも、歓迎してくれる人がいなさそうなほど、暗くてシーンとしています。
誰かいますかー、おーい、おーい・・・。



神域というよりも、魔界への入り口のよう。
さすがに進むのをためらわれます。
でも、のようなほんとの話ながら、確かにここが参道入り口のようです。

この道よりほかに行く道なし、ということで、恐る恐る暗闇に足を踏み入れました。
暗いのは、屋根つきの参道に明かりがついていないから。
両脇に土産物が並んでいますが、そのほとんどが閉店中。
日曜日の昼頃の時間にこれですから、平日はもっと暗いんでしょうか。



江の島のような、大山のような、細い参道石段を上がっていきます。
下っていくのなら、黄泉の国に向かっているように思えたでしょう。
昔ながらの細道は、くねくねと曲がって先が見えません。
思ったよりもずいぶん長い通りで、洞穴のよう。
ひんやりした闇の中を進んでいくと、望んでいないRPGのヒーローになった気分。
あまりに非日常的すぎて、奥に何があるのか、自分が一体どこに向かっているのか、だんだんわからなくなってきました。

しばらく薄暗い細道を歩いて行くと、そのうち道の先がぼんやり明るくなってきました。
外の光が射し込んできたのです。
参道が終わり、明るい空が広がります。
ようやくお寺の入り口に着きました。
ああ、元の世界に戻れたわ・・・!

○ ゴールデン仁王



出迎えてくれたのは、ガラス張りの巨大な金ピカの仁王様。
あやしい、あやしすぎる・・・。
ボタンがあったので押してみると、なんとピカーッと発光しました。



わああ、ブリリアント仁王だ~!
大魔神みたい。怪しさ倍増~!
これまでの、不安をいやおうなくかき立てられるような暗い参道とは逆の意味で、落ち着きません。
対照的すぎて、気持ち的についていくのが大変でした。

○ ビッグな最上稲荷



ようやくたどりついた最上稲荷。すべてが大きいです。
立派な竜の手水者があり、本殿には、出雲大社のような大きな太いしめ縄が飾られていました。



ここは、珍しい神仏習合の聖地。
稲荷といったらふつうは神社ですが、たしかにここは、お寺っぽい建物です。
本殿(本堂?)には、黒い袈裟を着たお坊さんの姿が見えました。

「注意書き、読めないにゃん」と言いたげな猫。



奥には、縁切り社と縁結び社が並んであり、こちらには、正装束の神主さんが、10人のグループにお参りの仕方を手ほどきしていました。
私もそれを見て、悪い縁を切り、いい縁を結ぶようにとお祈りしました。
ご縁は大切ですからね。



「日本三大稲荷」と書かれています。
有名な稲荷神社といったら、伏見稲荷大社、豊川稲荷が挙げられますが、3つ目ははっきりしません。
「うちです」と言っているところは、いくつかあるようで、この辺りではここがビッグ3の一つ。ありがたや~。



参拝を終え、さあ帰ろうと、先ほどの仁王門に向かうと、ゴールデン仁王の裏側には、これまた金ピカのゴールデンお狐さんがいました。
ダブルでまばゆいー!ボタンを押すと、こちらもピカーッとまばゆく輝きました。
もはや、エジプトの神殿を守る獣のような迫力です。
黄金伝説・・・神仏習合どころか、ファラオまで…?



そこからまた、先程の暗い洞穴のような参道へと吸い込まれます。
黄泉の道もかくやといった感じ。
それでも、シャッター参道というわけではなく、ぽつぽつと開いているお店もあるのです。
店の奥の明かりはぼんやり灯っていますが、店先はうす暗いという不思議な道です。



招き猫の後ろ姿を見ることって、あんまり無いですよね。
そっぽを向かれているようで、なんだかさびしーい。



○ 最上稲荷から徒歩で

参道を歩き終えて、出口に着くと、照り返すような強い日光が降り注ぎました。
バスの本数が少なく、時間が全く合わないため、駅まで歩くことにします。
道路には、バスどころか、車もほとんど通っていません。



ただ、実際に歩き始めると、相当距離があることに気が付きました。
朝は富士山が見えなかったほど曇っていましたが、歩いている間にカーッと強い日光が照りつけたかと思うと、突然雲が立ち込めてゲリラ豪雨が降ったりします。
移り変わりの激しい、変な天気。湿気の強さにぐったりしました。
ずっと梅雨で雨続きだったため、急の暑さに慣れておらず、身体がびっくりしています。



備中高松城址の表示を見つけました。
武者姿の槍を持った胸像です。
かっこいいですが、顔が陰になって見えないため、水に沈んだ亡霊みたいでちょっとこわい・・・。
頭上から「ソイヤッ!」と槍を振り下ろされたら痛そう!
というか、痛いどこじゃない~!

○ お稲荷さまの大鳥居

行きから何度か見えていた巨大な鳥居の下をくぐりました。
高さ27.5m、柱の直径4.6mで日本最大級。
昭和47年(1972)の建立当時は、日本一の高さだったそうです。
大きさ比較のため、車がやってくるまで、しばし待ちました。



去年、建立40周年記念事業として塗装改修工事がなされたとのこと。
写真だと少しくすんで見えますが、日が射したり陰ったりする中、塗り直しされたばかりの色は鮮やかで迫力満点でした。

初日の午前中にして、今回はなんだかハードボイルド。
あれやこれやとびっくり仰天しながら、1-(3)に続きます。


桃太郎のいる国へ(岡山) 1-(1)

2015-09-06 | 中国(山陽)
○ prologue

夏に岡山に行きました。
3泊4日の滞在ですが、今回は用事があり、観光メインではありません。
自由に動ききれないところがありますが、あいた時間の旅程を組むのもまた楽しいもの。
岡山を訪れるのは久しぶりなので、行ける範囲で出かけてみようと思いました。

○ 早朝の新幹線

一日目はフリー。一番動きやすい日のため、早い新幹線に乗ろうと、張り切って5時に起床しました。
でも準備に手間取って、3~4時間しか寝ていません。
睡眠不足の朦朧とした頭のままで、のぞみに乗り込みました。

目をつぶっていたら、遠くから「おはようございます!ありがとうございます!」というはきはきした女性の声が聞こえてきました。
(ああ、車内販売の売り子さんね)と思います。
(お姉さん、ずーっとお礼を言い続けているなあ。みんなずいぶんコーヒー頼むのね)と思っていましたが、声がだんだん近くなってきても、コーヒーの香りがしません。
(あれ、何だか変だなあ)、と目を開けると、それは売り子さんではなく、検札の車掌さんでした。
すぐ目の前まで来ていたため、あわててチケットを取り出しました。

○ 富士山見るまで眠りません

すぐに寝落ちしそうですが、富士山を見るまでは寝れないぞと、気合いだけで起きています。
熱海駅を通過したあたりから、そわそわし始めます。
駅を通過する時にアナウンスが入るように、富士山の傍を通る時にもアナウンスしてほしいと、強く思いまーす!
みんなが大喜びのサービスになることでしょう!

でもこの日は曇りで、いくら目を凝らしても、富士山は裾野さえも見えませんでした。
あの辺りにあるはずなのに、残念。

○ 増えたり減ったり

新横浜の次は名古屋。にぎやかな客層がどっと乗り込んできます。
そして京都で、かなり人が下りて、乗客が減りました。
ここのところ、新幹線に乗るのは京都に行く時ばかりだったため、つられて一緒に降りそうになりました。
さようなら、京都~。降りたいけれど、今回はがまん。
車両内は閑散として、(ここから先は終点までずっとすいているのかな)と思いましたが、ほどなくして新大阪に着くと、また人がたくさん乗り込んで、賑やかな車内になりました。

新神戸のお次は、いよいよ降りる岡山駅です。
3時間も乗っているなんて、ずいぶん長いなと思いましたが、実際にはお弁当を食べたりうとうとしたりで、案外あっという間でした。

○ 修学旅行以来

岡山は久しぶりです。数年前に四国旅行の帰りに瀬戸大橋を渡って、岡山から新幹線に乗り換えましたが、この地に降り立ったのは高校の修学旅行以来。
十代の頃の記憶のまま、時が止まっています。
さっそく駅前で桃太郎に会いました。このたびはお世話になります!


(momo1)


荷物を預けて、身軽になって出発!
寝不足のままですが、気持ちは羽が生えたようになっています。

○ どこへ行こう

(まずは吉備津神社に行きたいな)と思いましたが、吉備線は1時間に1~2本しか通っておらず、あと45分待たないとやってきません。
ああ、いろいろ巡りたくて早い新幹線に乗ったのに、在来線の稼働率の低さにはばまれる~。
予定を変更し、ホームを移動して、ちょうど発車する瀬戸内線に飛び乗りました。

(鷲羽山展望台から、瀬戸大橋を眺めようかな)と思ったのです。
でも、路線図で確かめると、鷲羽山の最寄りの児玉駅までは結構な距離があります。
さらに駅からバスに乗るため、展望台まで行って戻ってくると、今度は吉備線ルートの方が回りきれなくなるかも。
ということで、再び予定を変更し、次に停車した妹尾駅で、Uターンしました。
ちょうど反対方向の電車がホームに着くところだったので、階段を上がって降りて、反対ホームに急ぎました。

海を見ることなく岡山駅にまい戻りましたが、ほんの20分くらいのことだったので、まだ時間はあります。
駅の構内を散策し、お土産売り場をチェックし、待ちかねた吉備線に乗りました。

○ レトロな吉備線



首都圏ではもう見られないような古い2両の車体。バリアフリーでもありません。
今見ると、けっこうな段差です。お年寄りは大変そう。
私も足を上げて乗り込みました。



車内にはのんびりした空気が漂っており、旅愁たっぷり。
ガタンゴトンとゆっくり揺られていきます。
のどかな雰囲気に、徳島の牟岐線を思い出しました。
30分ほど揺られて、備中高松駅に着きました。



まずはじめに、備中高松城に向かうことにします。
ホテルに荷物を預けた時、フロントマンに「城址でもう何も残っていませんが、今は蓮がきれいですよ」と教えてもらい、蓮の花が好きなので行くことにしたのです。

○ 水攻めのお城

駅を降りてキョロキョロしましたが、標識がなかったので、駅窓口の人に道を聞きました。
そんなに見に行く人はいないのかな?



のどかな田舎道をてくてく歩いていきます。車は割と通りますが、歩いている人はほかに誰もいません。
遠くに巨大な鳥居が見えました。目立つわ~。



10分ちょっと歩くと、車がたくさん停まっている場所がありました。
徒歩ではなく車で訪れる人が多いようです。
そこがかつての城址でした。今では広々とした公園になっています。



蔵造りの建物は、資料館。ここで水攻めの歴史を教えてもらえます。
たしかに園内には蓮の花が咲いています。ちょうど絶好の見頃です。



いきいきとしてきれい。蓮めあての人が大勢やってきています。
蓮の花は、朝開いて、昼には閉じてしまうため、観る時間も大事。
まず最初にここに来られて、良かったわ。



蓮の美しさにうっかり忘れそうになりますが、気になるのは、ここは秀吉の水攻めを受けた城。
元々は信長の命令なんですが、秀吉もひどいことをするものです。
入れ知恵(というとアレですが)したのは、黒田官兵衛なんですねー。
彼らが3万の軍勢で高松城を水攻めにしたのは、天正10年(1582年)4月のこと。
6月に本能寺の変が起こり、信長の死で状況が変わりましたが、それを隠して、城兵の命と引き換えに城主・清水宗治を切腹させた秀吉。
うーん、卑怯だわ!まあそれが戦国時代だったんですが。

土地の人にとっては、言うにつらい黒歴史の過去だろうと慮りますが、「水攻めの城、備中高松城」というのぼりやポスターをたくさん目にします。
なんだか意外。



今では、その悲劇が売りになっているんですね~。
その際の想像図が描かれた絵もありました。
「水攻之図」の前では、ガイドさんが団体さんに熱心に説明をしていました。
お城が水びたしになっています。攻めている側目線の描かれ方で、なんとなくどこか人ごとっぽいのが気になります。



更に驚いたことには、「水攻音頭」なるものがありました。
音頭(驚愕)!
水攻めと音頭が一緒になるなんて、もはや「混ぜるな危険」状態じゃないですか!
しかも6番まであるロングバージョン!
ひー、いいのでしょうか?
どんな気持ちでここの歴史と向き合えばいいのかわからなくなって、混乱します。



『のぼうの城』の舞台となった、埼玉の忍城に行ったことがあります。
好きな物語で、映画も観ました。
だから、ほかにも水攻めを受けたお城があるというのは、確かに気になりますが、忍城は持ちこたえた側、高松城は陥落してしまった側。
水攻め比較は、やるせないものです…。



蓮の説明文は、ようやく納得がいくものでした。
ここの蓮は、かつての城主、清水宗治公にちなんでつけられた宗治蓮という名なんですね。
この沼の復元をしたら、400年ぶりに芽吹き、花開いたという蓮。
感動的です。宗治公、蓮に守られて、安らかにお眠りください。



蓮は青々と茂っています。
まさに兵どもが夢のあと、といった状態でした。

歴史の流れをかみしめながら、1-(2)に続きます。