ringoのつぶやき

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【4】投資の肴『ダットサン』(アクアメルマガより)

2012年03月30日 16時56分33秒 | 
トヨタ自動車の事業開始当初は現在の豊田自動織機の一部門に過ぎませんで
した。同じようにスズキの前身も鈴木式織機であり、一時は日本の産業をリー
ドした繊維業の動力機械に関する技術は、さらに磨きがかけられ次代を担う自
動車製造に活かされました。

 三菱自動車は三菱重工業の一部門として立ち上がり、いすゞ自動車も現在の
IHI(旧石川島播磨重工業)の自動車部に端を発します。それとは別に当時
宮内省御用達の自動車メーカーであった東京瓦斯電気工業があり、両社が合併
して生まれたのがいすゞ自動車です。ちなみにいすゞの名は、商標デザインを
手がけた島氏が好んだ三重県伊勢市の五十鈴川にちなんだものとされています。

 ここから少し込み入った話になりますが、先の石川島の自動車部が独立して
開発した車は出資者のイニシャルをつなげてダット(脱兎)号といいますが、
そのブランドは戸畑鋳物(現日立金属)が継承します。

 戸畑鋳物の創業者鮎川義介は、後に請われて久原鉱業(後の日立グループの
母体)の経営再建を任され、持ち株会社式経営で事業を拡大していきました。
その持ち株会社が日本産業であり、傘下に日立製作所や日本鉱業(現JXホー
ルディングス)、日産化学や日本油脂(現日油)などを有して財閥を凌ぐ巨大
コンツェルンとなっていきます。

 話を戻し、「ダット」ブランドを継承した戸畑鋳物が製造した自動車はダッ
トの息子という意味でダットサンと名づけられました(英語表記で息子を表す
SONは“損”を連想させるためDATSUNと表記、英米ではダッツンと発
音されることがほとんどです)。これが日産自動車の源流となります。

 また、飛行機に憧れた少年が世界のホンダを築き上げたことは有名ですが(
創業者の夢は「ホンダジェット」として結実)、戦前・戦中の飛行機製造技術
は自動車産業が取り込むことになります。ちなみにドイツのダイムラーやBM
Wも飛行機製造技術を礎にしており、両社のロゴマークは共にプロペラに由来
しています。

 当時、戦闘機の隼や零戦に搭載されたエンジンを製造していた中島飛行機は、
戦後12社に解体され多くの技術者が流出。ホンダで四輪事業とF1レースの
リーダーとなった中村良夫氏もその一人です。そして旧中島飛行機の数社が集
まってできたのが富士重工業です。

 富士重工が最初に製造した自動車には、同じく中島飛行機分割後の1社であ
る富士精密のエンジンが提供されました。富士精密は後にブリヂストンに買収
され、さらにはプリンス自動車(立川飛行機系)と合併。プリンス自動車は日
本のレース界をリードし、後にスカイラインやグロリアなどを開発することに
なります。日産が「技術の日産」を冠するようになったのはプリンス自動車を
吸収してからのことです。

 また、社名に関しましては、創業者の性に由来するマツダの名は、英語表記
でmatsudaではなく、mazdaと記します。これはゾロアスター教の
光明神アフラ・マズダにかけたもので、自社の自動車が自動車界の光明となる
よう願いを込めたとも言われています。現在の大阪大学工学部の開発チームに
由来するダイハツは、当時はありふれた「発動機製造」という会社名を使って
いましたが、いつしか大阪の発動機製造と言う意味で「大発」と呼ばれるよう
になったようです。



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【5】編集後記                             mailto:aqua@aqua-inter.com
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日産の「ダットサン」ブランドが約30年ぶりに復活します。2014年にイ
ンド、インドネシア、ロシアの3か国で発売する予定で、インドではタタモー
ターズの低価格車に対抗して4000ドル(約33万円)の低価格車を投入す
る可能性があると報じられています。ちなみに、日本など先進国で販売する予
定はなく、あくまでも新興国向け低価格車という設定だそうです。

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