去年の10月ごろ、新聞の埼玉版の「
旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」が保存を呼び掛けているという記事を読んで、
桶川にあるとのことで一度見に行こうと思っていたら、元旦に保存が決まったという記事を見かけた。
やっと、見学することができた。
桶川飛行学校は、熊谷陸軍飛行学校桶川分教場として
日中戦争が始まる直前の昭和12年(1937年)6月開校。
飛行学校は1945年2月に廃止され、同時に特攻のための訓練が始まったそうです。
国内で唯一、建物が残されている飛行学校跡。
ここから、4月16日沖縄戦で12名が「第79振武隊」として出撃し戦死。
ドキュメンタリー
「
熊谷陸軍飛行学校 桶川分教場」(DVD、2012)より
”陸軍で初めての練習機による特攻と言われる。”
そのため、6名の整備士が途中の小月まで同行したそうです。

「九八式直協偵察機」と同型の「九九式高等練習機」
九九式高等練習機(キ-55) - 神風特攻隊戦果一覧表
旧陸軍桶川飛行場を語り継ぐ会
庭からは富士山が見える。
★アクセス
太郎右衛門橋の東側のたもとから北に入る。案内板あり。
案内板
ホンダエアポート北側
訓練機で特攻隊が出撃した、陸軍飛行学校(ハイビジョン編集作品)
* * *
今更ながら、歴史を少しずつ振り返って学んでいる最中です。
戦争のこと、いろいろな事実を語り継いで、残していくことは大事なこと、というか必要なことですね。
でも、国同士で被害の悲惨さや残酷さ(命の重さのようなもの)を比較するようなことがあってはいけないと思います。
「二度と繰り返さない」という同じ方向を向いて進むことにつなげていかなくてはいけないと思います。
少し前にテレビ番組の特集より印象的だったことば。
司馬遼太郎「坂の上の雲」第ニ巻、あとがきより抜粋
「日露戦争を境とし、日本人の国民的理性が
大きく後退し、狂躁の昭和期に入る。
やがて国民と国家が狂いだして
太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、
日露戦争後わずか40年のちのことである」
(戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか)
全国で唯一現存 市も保存の動き
旧陸軍桶川飛行学校 特攻で消えた希望の命