東野圭吾には珍しく"謎とき"主体の作品。"謎とき"ものでは"どちらかが彼女を殺した"や"あるとざされた雪の山荘で"などもあるけれど、それとはまた別のかんじがする。東野圭吾といえば人物をかくのがうまいが、これはまったく逆。人物、とくに主人公"私"の7年前に別れた彼女"沙也香"などかなりうすっぺらいかんじがした。それというのも、フォーカスが"謎とき"だから。
その徹底さは主人公の名前すら出てこないところにも現れている。"私"と"あなた"だけで全300ページおしきられている。しかも、人物は"私"と"沙也香"のみ。舞台は山奥の家だけ。それなのに、不自然さをかんじさせない。あくまで、余計なもの排除して本格ミステリーにしようという意気込みが感じられる。まあ無理をいえば沙也香のキャラクターが結構イライラさせられる人で、それが鼻についた。でも、それも山奥の家に2人だけというセッテイングを保つてめにはしょうがないのだけれど。だれかが我儘をいって"私この家に残るわ"といはなければいけないけどさ。それでも、あと100ページほどのばして沙也香のキャラクターをなんとかしてほしかった。それに引き換え"私"のキャラクターは奥が深い。タイトルの"僕"もじつは2重の意味があるとよんでからきずかされる。
思うに'あっという間に読んでしまう"本といわれるものには二種類ある。ひとつはまさに1ページ1ページが面白くついつい寝る間もおしんで読んでしまうというもの。もうひとつは"最後がどうなるのか知りたくてたまらず"という展開、この前紹介した"憑神"が変な意味でこれにあたる。この本はまさに後者。"最後はどうなるの""謎は結局なに"というあせりから、昼ご飯もつくらず読んでしまった。
本格ミステリーといわれている作品はおうおうにしてこの手が多い。謎ときだからそれでいいのかもしれないけど、読んだあと一片の物足りなさを感じる。特に幼児虐待などのすわりのいい社会的問題をちらつかせているだけに、この読後感はなんだかな。やっぱりそうくるかとしらける物があった。といことで、この本は古本屋で300円というところが妥当。それはまさしく私がBOOKOFFで払った値段。
その徹底さは主人公の名前すら出てこないところにも現れている。"私"と"あなた"だけで全300ページおしきられている。しかも、人物は"私"と"沙也香"のみ。舞台は山奥の家だけ。それなのに、不自然さをかんじさせない。あくまで、余計なもの排除して本格ミステリーにしようという意気込みが感じられる。まあ無理をいえば沙也香のキャラクターが結構イライラさせられる人で、それが鼻についた。でも、それも山奥の家に2人だけというセッテイングを保つてめにはしょうがないのだけれど。だれかが我儘をいって"私この家に残るわ"といはなければいけないけどさ。それでも、あと100ページほどのばして沙也香のキャラクターをなんとかしてほしかった。それに引き換え"私"のキャラクターは奥が深い。タイトルの"僕"もじつは2重の意味があるとよんでからきずかされる。
思うに'あっという間に読んでしまう"本といわれるものには二種類ある。ひとつはまさに1ページ1ページが面白くついつい寝る間もおしんで読んでしまうというもの。もうひとつは"最後がどうなるのか知りたくてたまらず"という展開、この前紹介した"憑神"が変な意味でこれにあたる。この本はまさに後者。"最後はどうなるの""謎は結局なに"というあせりから、昼ご飯もつくらず読んでしまった。
本格ミステリーといわれている作品はおうおうにしてこの手が多い。謎ときだからそれでいいのかもしれないけど、読んだあと一片の物足りなさを感じる。特に幼児虐待などのすわりのいい社会的問題をちらつかせているだけに、この読後感はなんだかな。やっぱりそうくるかとしらける物があった。といことで、この本は古本屋で300円というところが妥当。それはまさしく私がBOOKOFFで払った値段。