私の図書館

主に読んだ本の感想。日常のできごと。

大平光代の"だから、あなたも生きぬいて"

2011年01月23日 12時57分42秒 | 自伝
人生とか私流とか自己啓発とかいう本はまず買わないし、図書館でみつけても読まない。
とくに、中途半端な自伝のようなたぐいのエッセイは避けている。
しかし、この作者の経歴を婦人公論で読んでからは、ぜひ読んでみたいと思っていた(が、買うほどでもないのでちょっと躊躇していた)。
普段なら読まないであろうこれ関係の本だが、なんとうちの近所の図書館にあったので早速借りてみた。

この作者、中学2年生のときいじめにあい、割腹自殺を図る。
一命を取り留めたあと暴走族の仲間に入り、その後は暴力団ともつきあい、
16歳にして組長と結婚、極道の妻となる。 極道の妻となってから、背中に観音様と蛇の刺青をいれる。
21歳のときに離婚して、ホステスをはじめる。 ホステスをしている時に未来の養父となる大平さんと会い、それをきっかけに人生の再出発をきめる。
学歴が中卒なので資格試験をうけて仕事をさがす。宅建などの資格にはじまり、司法書士などの資格をとって、29歳にして司法試験に一発で合格。
もちろん、狭き門であった旧司法試験である。通信教育の大学で教育学部を受講しながらの司法試験合格。
弁護士になり、大阪市の助役(副市長)になり、40歳で結婚、出産する。
娘の悠ちゃんがダウン症だったため、田舎で健康に育児をすることを決め弁護士をやめて、田舎ぐらしをする。
婦人公論にはそんな田舎ぐらしの日常をつずったものが掲載されている。

という3人分の人生を生きたような経歴。
この波瀾万丈な人生を細かに紹介したものをと思ってこの本をよんでみたが、ちょっと主旨が違っていた。
大平さんは今いじめに合っている子供たちに向けてのメッセージのつもりで書いたと言っていたので、
フォーカスがいじめと立ち直りにあり私が読みたかったことにはあまりふれていなかったので残念。
こんなすごい女性がいるのかという点では一読にあたいするので、図書館でみかけたらぜひ。

白洲次郎占領を背負った男

2009年02月19日 16時23分08秒 | 自伝
白洲正子の職業が一体何なのかよく知らないが、彼女の言葉は傾聴されるべきものらしく、古美術にしても料理にしてもマナーにしてもその筋のオーソリテーとしてよく参照されている。

白洲次郎はもちろんこの正子のだんなさん。彼らの雰囲気から戦前は華族だったのだろうという憶測はついていたけれど、実際のことは何も知らなかったので、とりあえず次郎の本(伝記)を借りてみた。

最初に感想を言うなら、この本戦後最大といわれるこの不況の時期に読むべきものではなかった。要するに生まれが違うのだなという事がいやというほど突きつけられた。

次郎は戦後吉田茂のもといろいろ活躍し、戦後日本の復興に貢献したという話なのだが、本を読んで覚えているのは次郎がイギリス留学中しかも世界恐慌さなかベントリーの車を買ったというエピソードだった。
このベントリー日本ではあまりに高く3台しか売れなかったという代物。イギリス滞在中は1度に1万円ほどの送金があったらしい、小学校教員の初任給が45円のときにである。ちなみに、次郎の父親は次郎が中学生の時にペイグレンブルックという米車を買い与えている。その後、次郎の父親の会社は倒産するのだが、次郎の結婚祝にこの父親またまた3000万(現在の貨幣価値で)の車を買い与えている。当時この車は日本に2台しかなかったらしい、昭和4年の出来事である。
この結婚相手というのが白洲正子、私の読みどうり、華族出の伯爵令嬢である。

その後も、納得の人脈というかコネクションの中で着実に出世していくのだが、要点をいえばいくら出来る男でもこのコネクションなしでは私たちのしっている白洲次郎は無かっただろうということ。

正子の実家の樺山家は牧野伸晃(大久保利通の次男で昭和天皇につかえていた)と親しく、その牧野の娘と結婚したのが吉田茂。吉田茂の大磯の別邸の隣に住んでいたのが樺山家。吉田茂の三女和子の結婚相手を紹介したのが次郎。吉田和子の結婚相手は九州の炭鉱王の息子麻生太賀吉、その息子が総理大臣の麻生太郎。戦中でも結構いい暮らしをしていたらしく、コーヒーやパンなどの食事を楽しんでいた。戦中には鶴川に家を買いそこに疎開していたのだが、お隣さんは細川護立候爵の家(後の総理細川護尋の家)、近衛文麿、秩父宮夫妻などとも疎開中に親しくしていたらしい。赤紙は来なかったのだろう。
子供たちにも"PEPPY""TOURA"という愛称をつけ、ことあるごとに"英国じゃあ。。。"といい、ウイスキーを英国から"本場"ものを輸入。

偉い人だったのだろうけど、なんかこういう話を聞くとやはりシラケてしまう。田中角栄一代記とかのほうがよっぽど読み応えがありそうだ。

ナンバー23

2007年08月08日 09時10分25秒 | 自伝
このブログは本についてなので映画についての批評はさけるつもりだったけど、ジムキャリーの"ナンバー23"は前日話をしたので書くことにした。

この映画すごくつまらなかった。結局23って言っても勝手にこじつけているだけ。 例えば、住所の番号が1121だったら1+1+21=23。そういう理由で23がいたるところに見えるらしい。それが恐怖につながる、頭がおかしいというのもあるけど。 でも、私わ問いたいなぜ足すかな? 1x1x21=21でもいいのではないか? この主人公都合のいいようにたしたりひいたりかけたり割ったりしているのである。 同じよううに、奥さんの靴を数えて"23足"だったのでおどろいてみたり、こわがったり。あえて、いいたい、奥さんのドレスの数を数えてみれば? と。靴でなくてはいけない理由はどこにもない。 それで、ドレスの数も下着の数も帽子の数も23だったら、"へーすごいね"とおもう。それにしたって、恐怖をおぼえるほどのものでもない。
で、最後は妙にポジテイブに終わっていて"なんだそれ"という印象だった。

ダニエル タメットの"ぼくには数字が風景に見える"

2007年08月06日 13時43分55秒 | 自伝
天才と馬鹿は紙一重というけれど、"ふつう"に暮らしている私のような凡人にはその差さえ分からないのだろうなとおもう。週末読んだ本はダニエル タメットの"BORN ON A BLUE DAY"。 日本語訳の本は"ぼくには数字が風景に見える"という題名ででている。自伝の本で、作者ダニエル28年間の話。なにがそんなに28にして自伝をかくほどすごいのかというと、この作者サヴァン症候群でアスペルガー症候群の青年なのである。簡単にいうと映画"レインマン"に出てくるダステイーホフマンとおなじ症状をもっている。恐ろしく数字に強く記憶力もずばぬけてすごく、でも自閉的で日常生活などにおいて"ふつう"に生活するのが難しい人たち。

どれだけすごい能力をもっているかというと、この作者円周率22500桁を暗唱、10カ国語を話す天才。その一方で毎朝必ず48gのお粥を食べないといけないし、毎日家をでるとき着ている服の数をかぞえないといけないし、人とコミュニケイションをとるのがすごく難しい。秩序と静寂がかならず必要で、集団の環境ではうまくとけ込めず(本人にとって1人のほうが居心地がいいらしい)よく"変"な子または人としてみられる。

これはそんなダニエルがどういうふうに世の中をみていたのかという話。
'ふつう'の人にとって数字はただの数を表す記号にすぎない、1、2、3、4 というように。りんごが3個といわれれば、頭のなかで"りんご3つ"おもいうかべるだろう。 でも、この作者、数字が友達というだけあって、数字に個性をみいだしている。例えば、89という数字は雪が降るような感じで、5は波が岩に砕けるような感じらしい。"悲しい"という感情を理解するときは自分が数字の6に座っているところを想像するらしい。数字だけでなく単語にもいろいろ個性があるらしい。例えば水曜日は色でいうと青、ゆえに"BORN ON A BLUE DAY"というタイトル。ダニエルの誕生日は水曜日だったらしい。
ヨーグルトは黄色とか、はしごは光っている青とか。もちろん数字にも色があり、99は青らしい。なのでお店で99円などの値札が赤で書いてあるとすごくいらいらするらしい。
とくに美しいと思っているのは割切れない数、2、3、5、7、11、13、、、97、、、とか(永遠に続くらしい)。189といのは116より美しいとか。同じ数を掛算するのが好きとか68x68x68x68x68、、、

これを読むとちょっと天才の見方がわかるきがする.
この本にちなんでジムキャリーの新しい映画"ナンバー23"というDVDをかりてきた。こちらははたして天才か奇人か。