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コーちゃんのブログ

オートバイで遊ぶNice Middle(?)の気ままな日記
    

GS 最後のツーリングになりました。

2025年04月27日 | バイク&ツーリング

これが最後ツーリングになるとは😢

2月に車検を取ってから初めての遠乗りです。

幾つか候補地はありましたが茶畑が広がる牧之原台地にしました。

緑の茶畑の中を走るのもよいけれど、事前に調べて見ると

見何処は結構ありました。

 

 

島田金谷ICで新東名を降り金谷駅前を通過すると道路は徐々に上り始める

少しすると何処からともなくお茶を焙煎する良い香りがしてきます。

先ずは牧之原公園に到着。

 

     

【茶畑に栄西禅師の像】牧之原台地の一角に牧之原公園があります、高台から見下ろす景色は素晴らしいです駐車場もトイレも有るのでツーリングの休憩ポイントとしてはうってつけ。尤もすぐ隣に『ふじのくに茶ミュージアム』がありますが。牧之原公園の中心的存在は臨済宗開祖の栄西禅師の像、『茶祖 栄西禅師』とあります『茶祖』とはどういう事か? 日本有数のお茶の大生産地になぜ?その訳はうまくAIにまとめてもらいました下記のくだりを是非ご一読下さい。
 
「茶祖(ちゃそ)」という呼び方は、栄西禅師が日本に喫茶の習慣を広めた功績を称える尊称です。
理由:
 * 喫茶の習慣を再興・普及させた: 栄西禅師は、平安時代に一度は伝わったものの、その後衰退していた喫茶の習慣を鎌倉時代に再び日本に広めました
 * 茶の効能を広めた: 禅の修行に役立つだけでなく、健康にも良いとして茶の効能を説き、『喫茶養生記』という著書を著しました。
 * 茶の栽培を奨励した: 中国から持ち帰った茶の種を各地に植えさせ、日本での茶栽培の基礎を築きました。
このように、栄西禅師は単に茶を日本に持ち帰っただけでなく、その栽培方法や喫茶の文化、効能などを広く伝え、日本の茶の発展に大きく貢献しました。そのため、人々から敬意を込めて「茶祖」と呼ばれるようになったのです。
補足:
 * 栄西禅師は臨済宗の開祖としても知られています。禅宗と喫茶は深く結びついており、禅寺を中心に喫茶の習慣が広まっていきました。
 * 栄西禅師の諱(いみな、実名)は栄西(えいさい/ようさい)ですが、「茶祖」という特別な尊称で呼ばれることが多いです。

 

 

 

 

 

グリンピア牧之原

ここは製茶会社が営むショップ、お茶の歴史的展示と工場見学ができる施設です。

 

 

抹茶ソフト これは美味しい😋

 

 

 

 

 

 

【茶が作られるようになったわけ】金谷駅を通過し牧之原台地に登ると製茶工場から香ばしいお茶香りがしてきます。そして目の前は一面緑の茶畑、気持ち良いツーリングロードです。さて、ここでお茶が栽培されるようになった訳ですが、AIでうまくまとめてもらいました下記のくだりご一読いただければ幸いです。
 
牧之原台地で茶の生産が盛んになった背景には、以下の要因が複合的に作用しています。
 
1. 気候・土壌条件の適合性:
 
 * 牧之原台地は、温暖な気候と適度な降水量に恵まれており、茶の栽培に適しています。
 
 * 水はけの良い弱酸性の赤土の土壌は、茶の生育に非常に適しています。
 
 * 内陸に位置するため、昼夜の寒暖差があり、茶葉の品質向上に繋がります。
 
 * 春先には霧が発生しやすく、柔らかな茶葉が育ちやすい環境です。
 
2. 明治維新後の士族授産:
 
 * 江戸幕府の崩壊後、職を失った旧幕臣たちが、新政府の開墾奨励策により牧之原台地の開墾に従事しました。
 
 * 1869年(明治2年)頃から、中條景昭を隊長とする士族たちが中心となり、荒野だった牧之原台地の開墾が本格的に始まりました。
 
 * 勝海舟が牧之原の気候や土質が茶の栽培に適していることに着目し、茶を中心とした開拓を推進しました。
 
3. 政府の殖産興業と輸出奨励:
 
 * 明治政府は、殖産興業の一環として茶の輸出を奨励していました。
 
 * 当時、欧米で茶の需要が急増しており、茶は重要な輸出品目の一つでした。
 
 * 牧之原台地で生産された茶は、輸出向けの商品作物として期待されました。
 
4. 交通インフラの整備:
 
 * 1879年(明治12年)に蓬萊橋が開通し、牧之原開拓地と島田との往来が容易になりました。
 
 * 1889年(明治22年)に東海道線が開通し、金谷・菊川・掛川の各駅から鉄道輸送で茶製品を全国に出荷することが可能になり、販路が拡大しました。
 
5. 在来の茶栽培の経験:
 
 * 大井川上流の川根地方では以前から茶の栽培が行われており、その技術や知識が牧之原台地の開拓にも活かされました。
 
これらの要因が重なり合い、牧之原台地は広大な茶畑へと発展し、現在では日本有数の茶産地となっています。特に、牧之原で生まれた深蒸し茶は、そのまろやかな味わいで広く知られています。
 

 

新潟に油田があった事は何となく知っていましたが

太平洋側の静岡でも油田があったとは驚きです。

 

 

次は牧之原市歴史館です。

なんでここに横浜流星演じる『べらぼう』の看板が?

実は牧之原市相良町はその昔は田沼家の領地だったんです。

幕府の老中田沼意次と言えば、私の時代(半世紀以上前)には

賄賂政治を行っていたとして良く思われていなかった。

今では歴史研究が進みけして悪い政治家ではなかった

むしろ幕府財政立て直しに大変努力した人物だったのです。

大河ドラマを見ていない人にはピンとこないでしょう

横浜流星演じる蔦谷重三郎が活躍するドラマですが、平賀源内や

この田沼意次が頻繁に出てきてこのドラマを盛り上げているんです。

 

田沼意次の肖像画 渡辺謙とはかけ離れた印象

 

牧之原市歴史館を出る時すでに12時を過ぎていましたが

予定としては『焼津さかなセンター』で昼飯なので

下道を焼津へ向かいます。

ウイークデイなので混雑はなしです。

 

 

東京でいったら、規模は小さくより庶民的ですが築地みたいな所。

由比で桜エビのかき揚げという案もありましたが距離が開き過ぎ

もっとも由比漁協の「浜のかきあげや」は金、土、日、祝の営業

生しらす+生桜エビ丼を注文 美味かった。

 

 

本日最後の寄り道は「薩埵峠」です。

春霞のなか富士山ははっきりしませんが一応見えてます

満足な景色でした。

 

 

白バイのお巡りさん 今日の出動を終えて帰社ですね。

この後富士川SAスマートから東名で横浜へと帰路につきます。

 

BMW R1200GSでのツーリングは最後です😢

コメント (8)
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やっと桜満開

2025年04月07日 | ウオーキングの風景

2025-04-06

何故か桜の時季には雨が降ったり風が吹いたりと

楽しみにしている花見を邪魔する。

今日は14時過ぎに雨が上がって日が差した来たので

いつものコースを歩くことにした。

 

最盛期を迎える桜の花

花吹雪もきれいです。

    

 

 

 

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