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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(73) 百田氏の誤り:①日本は「総力戦」体制を作り上げた!②アルベルト・シュペーアは「敗戦後のドイツ」を考えた!③マレー半島奇襲攻撃!

2021-04-26 13:38:55 | 日記
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「大東亜戦争」の章(235-314頁)  

(73)百田氏の誤り①:日本は典型的な「総力戦」体制を作り上げたが、インフラも整備されておらず、資源や物資が国内で自給できないことが問題だった! (286頁)
N 百田尚樹『日本国紀』は「大東亜戦争を研究すると、参謀本部(陸軍の総司令部)も軍令部(海軍の総司令部)も『戦争は国を挙げての総力戦である』ということをまったく理解していなかったのではないかと思える」(百田394頁)と述べる。
N-2 百田氏の誤り①:だが日本は「総力戦を理解していなかった」どころか、十分理解しドイツのルーデンドルフの「総力戦論」に適合する典型的な総力戦体制を作り上げることに成功している。(浮世286頁)
N-2-2 「総力戦」という用語を百田氏は誤解している。「総力戦」は(a)強い権限を持つ政府あるいは軍部が、(b)軍需工業優先に産業を再編し、(c)女性・青少年をも軍需生産に動員し、(d)食料などの配給制を実施し、(e)国民の消費生活を統制する体制だ。(浮世286頁)
N-2-3 日本は「総力戦」体制を作り上げたのに、「インフラも整備されておらず、資源や物資が国内で自給できない」ことが問題だった。(浮世286頁)

(73)-2 百田氏の誤り②:アルベルト・シュペーアが「一流の職人や工場労働者は戦場に送らなかった」のは、「敗戦後のドイツ」の復興を考えたからだ!「総力戦」体制の一環ではない!(286-287頁)
N-3 「総力戦」体制の優れた例として百田氏は「ドイツでは軍需大臣のアルベルト・シュペーアが徴兵の権限まで持っていたため、一流の職人や工場労働者は戦場に送らなかった」(百田396頁)と述べる。
N-3-2  百田氏の誤り②:アルベルト・シュペーアが「一流の職人や工場労働者は戦場に送らなかった」のは、1944年10月以降であって、方針をそれまでの「戦争に必要な物資をいかに調達するか」から、「敗戦後のドイツをいかに早く立ち直らせるか」に切り替えたからだ。「総力戦」体制の一環ではない。(浮世286-287頁)

(73)-3 百田氏の誤り③:アメリカが真珠湾攻撃を奇襲攻撃と考えるのは、日本がイギリスに対し、すでにマレー半島に奇襲攻撃をかけたからだ!(288-289頁)
N-4 太平洋戦争開戦について百田氏は「宣戦布告の文書を、不手際でハル長官に手渡すのが遅れた」(百田398頁)せいであって、「奇襲攻撃をするつもりはなかった」と百田氏は言う。
N-4-2  だがアメリカが真珠湾攻撃を奇襲攻撃と考えるのは、つまり宣戦布告の「遅れ」を「国が黙認していた」と考えるのは、日本が「事前交渉も通告もしていないイギリスに対し、真珠湾より先にマレー半島に奇襲攻撃をかけたからだ」。(浮世288-289頁)
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