発券ナンバーは「069(ロック)」

しばらくぶりの長文は、土曜の深谷ロックフェスティバル( 以下、「FRF」はフジじゃなくてこっち)のレビュー。まだ書いてる途中、こっちも深谷もの、『SR』シリーズレビューは長くなる一方なのでまずこっちからです。
07年冬の2回目、夏の3回目に行ったFRFについては、2回目を半年遅れて長文レビュー。自らの「ロック観」も叩きつけた、深谷ロックな人々に触発されたか、今読むと先走った文章です。
深谷ロックフェスティバル―「違うを信じる」ものどもの、なだらか、情熱、健全、“真冬の祭典”(07/06/28)
確か4回目は仕事があって行けず、5回目は記憶にないから気づかなかったか。今回はTwitterやMixiで主宰の蔦木さん;なお、面識はありません:から情報があり、あれ、こんなところに、と深谷シネマでフライヤーも手にしていたので、前2回にも同行のOB・Yト君にはちょっと前から連絡、それと次の仕事の打ち合わせで朝からシネマに同行、最近は市内一部で話題の『SR2』ロケマップ作画のニートマンガ家OB・Mマ君、さらには元シネマのスタッフで長野松本からやって来たSノさんもいっしょにということでしたが、私は最近仲よくさせていただいている弁当屋(ひわまりさん)の夏カレー試食会に行く約束があったのでMマ君に送ってもらい、同じ方向から来るYト君に乗せて行ってもらおうと思ってたら、やつはすでに最近買った米国製のかっこいいチャリで直接行っていたので、なんと、とばかりに駅まで10分くらい、祭囃子がのんびり鳴る道のりを、雷文手ぬぐいで汗を拭きながら行きました。
2回のレビューに書いたように、駅ギャラリーのちょっと大き目の教室といった風情の会場への到着は開演の15:30ちょうど。これまでで最も多い観衆で席はいっぱいでしたが、ひとまずなんと驚きのコストパフォーマンス1500円を支払い彼らを探しますがいません。
「TASKE」とやらの不思議な司会の中、すでに1組目の「CARRE」が平和なニセ東京駅レンガ造りの一階に「腐敗インダストリアル」(FRFのHPより)なサウンドを響かせています。こういった決してききやすくはない音が、まったく通常のこととしてきこえているのが懐の深さは日本有数の音楽フェス、FRFのすばらしさだと思います。
と、外をみるとベレー帽のMマ君が頭をぴくぴく動かしています。行ってみるとYト君もいて喫煙中。高価な愛車を「駅なんかに置けないですよ」、というので私が近くのおばの家に電話をかけて預かってもらうよう手配し、「座れねえじゃないっすか、おれ3時間も立ってんやですよ」と軟弱なことをいうMマ君とともに座席横を左ウィング的に進出し、なぜか空いていた前から2番目の席を確保。Yト君に「左前から二列目に座ってます」とメールを送ると、少ししてビールを持ったYト君が来ます。
CARREはギターとMTRの2人組。キュンキュン、グワグワ展開したその全1曲は曲想をふくらせたままフィナーレを迎え、それから3時間半の鋭い音の束を受け止める観衆をFRFの世界になじませるには、十分なトップバッターぶりだったといえましょう。
ここでビールを買いに受付付近へ。みたことのない国から輸入された品名「ビール」が150円で買えるのもFRFのすごいところです。入場料が18000円のフジロックは確か500円していたので、3時間おきとか調整しながら飲んでました。なおここで、シネマで連絡できなかったSノさんはわれらの二つ後ろの席に座っているのに気づき、あいさつしました。
と思う間に、こちらは突段BBS出身という常連女子スリーピース「おにんこ!」。結成10年、ドラムの方は出産明けとのことですが、もうなじみになった歌もギターも変わらないまま年季が入った感じ。もっとも重要なレパートリー『おにんこ!は東京が嫌い=Oninko! hate Tokyo』(myspace できけます)は、時間の都合でその前の一曲を抜かして演奏したようです。ボーカルのないCARREの時はわかりませんでしたが、今回は最後までボーカルがきき取りにくかった。ただこれはスピーカーに近い、位置のせいかも知れず、そう気になるほどではありません。
さて、ここから佳境。3組目は「KIRIHITO」( my Space )です。
名前はきいたことあっても、音源はまったくきいたことがないバンドを初めてきく。フェスならではの喜びですが、9年ぶりの新譜がミュージックマガジンで国内ロック年間5位にランクされた二人組KIRIHITOとの出会いは、それは強烈なでした。
正確無比な上、きわめてホット。いわば、燃える尖ったコンペイトウのような鋭いギター+ヴォーカルを、異様な大音量、入幕を果したばかりの学生出身力士のような坊主頭が張り手のように叩きつける変幻自在なスタンディングドラムスが、コンペイトウを包む巨大で柔らかくも硬くもなりしかも重みがあるまんじゅう皮が包み込む。わかりにくいたとえですが、そんな印象の音の塊です。デュオの関係は一見するとギター&ヴォーカルがフロントマンにみえますが、実際には和風からファンクまで縦横無尽なドラムスを化学構造的なギター&ヴォーカルがバッキングを務めるイメージ。もちろん、長い取り組みのようにその関係性は移動します。何しろわれらの席は前から二番目。すぐ前の立ったままドラムス張り手を、まるで砂かぶりでみる本場所のように体験できました。降参です。
そして、日本パンク界重鎮率いるスリーピース「恒松正敏GROUP」。「本日最高齢」と紹介したTASKEとやらは、確かここで時間調整に七夕と納豆の日をモチーフにした自作の詩を朗読しました。それまで何いってるのかわかりませんでしたが、詩の時は活舌しっかりでさすがというべきでしょう。
それにしてもこの演奏は、ロックの年季の入り方ということでは世界的にも最上位の部類に位置するのではないでしょうか。重厚活軽やかなリズム隊が変幻自在な恒松のギター&ヴォーカルをサポートする。スリーピースの王道です。
とにかく、永遠の少年のような風貌の恒松のギターがすごい。切れ味鋭いフレージングにカッティング、色気のあるチョーキングも効果的、などというありふれた表現では語りつくせないほど魅力的。その魅力をあえて言葉にすれば、黄金率を体現したスタイルの触れ幅とでもいえばでしょうか。個人的にはそんな気がします。
鋭い、スピードのあるギタリストはほかにもいくらでもいるし、渋みのチョーキングも同様。たとえば、スタイルこそ違うが世界の大御所ジェフ・ベックなんぞはその言葉両方に渡る演奏をします。そしてジェフ・ベックの魅力がその振れ幅、つまり守備範囲の広さにあるとしたら恒松のそれは奇跡的な振れ幅の絞り方、いわば意図的に守備範囲というか振れ幅を限定することによって濃厚で推進力のある音世界を形成している、そんなイメージを持ちました。
すみません、わけわからないこと書いて。演奏後、TASKEとやらも賛辞を送ったバラードはだからこそ印象深い一曲でした。そして、後でみたら好きだったP-MODELの一員だった、また後でYト君が「ずっとセンセイに思えてしょうがなかったですよ」、いや、私にはあんな体力ありません、のドラムス、律儀な好漢の印象ながら実は殺し屋かも知れないとも思わせる、チョッパーさえも地味な印象を与えるベースも実にかっこよかった。何というか、あえて疾走感だけに絞ったポリスとでもいうか、そんなバンドでした。
そしてセットチェンジの間、さらに朗読しようとするTASKEとやらを、「みんなヒいてるよ」と笑顔でたしなめて登場は主宰蔦木俊二率いる突然段ボール。リズム隊にツインギター、女性コーラスは前と同じかな。第2回のレビューとほぼ同じになりますが、独特の世界を30年かけて磨いてきた揺るぎのない演奏が逞しさを感じさせます。ツインリード、リード/サイドを効果的に入れ替えるギター二人のコンビネーションなどはその具体的な現われと思います。
そして何より、MCにも現れていた、赤い上下を身に着けた祭主・蔦木のごきげんさ。7日付のブログで言及された「プリミティブな衝動」が健在で、「もっと風通し良く音楽(ロック)をやりたいという願い」(上記HP)がかたちになったことの喜びに満ちた姿が印象的でした。アンコールも十分に堪能して、7時の終演時間を迎えます。
その後は、隣町熊谷から来たSノさんの友人と駅前で別れ、Sノさん、Mマ君、自転車とってきたYト君とシネマへ。その道中の話から、今回のまとめとします。
若いのにこのあたりの音楽に詳しいSノさんにきかれ、突然段ボールや恒松正敏のいたフリクションの話をしました。実際に私は高校の頃にFMで『ホワイントマン』をきいたくらいで、フリクションについては雑誌みたレコードジャケットはおぼえているものの音をきいたことはあるのかわからない、というか曲名をいえないのできいたことないのも同然。当時、まわりにこのへんをきいているやつはいなかったし、YMOやP-MODELは買ったもののききたい洋楽もいくらでもあるし、ここまでは耳が回らなかったというのが実際のところです。つまり、雑誌で知ってるだけのバンド。ミュージックマガジンから突然普段ボールが深谷在住と知ったのは大学の頃だし、アルバムをきいたのは卒業してからだったと思います。
だから、29歳のMマ君やYト君と同じように、ほぼ新しい音楽として突然段ボールや恒松正敏GROUP、その他もっと歴史の新しい3バンドと、OBたいも「何だかんだいってあいつが一番強烈だったかも」というとんでもないパフォーマーTASKEに触れることができた。頼んだ深谷シネマビアガーデンチラシの締め切りを恐れていたMマ君は、「きっと今日1500円払ってこれをみることは、Mマの表現に必ずいい作用を与える」といって参加したのですが、「いや、締め切りはまずいけど、みてよかったっすよ」といっている。とすれば、蔦木さんの
・・・
まず「突然段ボール」の地元に音楽(ロック)を根付かしたい。そしてライブハウスじゃなくても、都内からちょっと離れた地方でもライブが出来る。そして駅という場所で、いろんな人が行き来する場所で、ロックミュージックに縁遠い人でもこういう場所でライブをやっているという事知ってもらいたい。(普段ライブハウスに行くという感覚の無い老若男女にも来てもらいたいという願い。)そして最近のバンドは、何故ライブハウスでライブする事しか考えられないのか?。所謂一つの活動場所を広げる為の草の根運動であるし、規制のバンド活動の概念を解体し、もっと風通し良く音楽(ロック)をやりたいという願い(上記HPより)
・・・
は少なくともわれら市民には届いたわけです。ありがとうございました。
それにしても、家から5キロちょっとの近い場所で、しかも3メートルくらいの砂かぶりの場所で、教室みたいな場所で恒松正敏のギターをきけたことはまったくおそるべし体験。「近くだけみるな、遠くをみろ」とは、そうあからさまにいわないまでもいつも中学生などにいつもいってることですが、「近い」ということはそれだけで「うれしい」、英国からやって来たグラム~プログレ界の重鎮を100キロ離れた新潟の森で新幹線で行っておっきなテレビでみて歓声をあげるのも何物にも替えがたいが、近くは近くで替えがたい。何しろ、長野から来てる人もいる。
だいたい、あっちは入場券18,000円する上、新幹線代はかかるしビールだって500円する、ま、「高い」より「安い」がいいことだけは確かだろう。
でも、1500円は安過ぎないか、と駅ギャラリーについて調べたら、 使用料金は 。なるほど、このへんに地方のライブのヒントはありそう。日本全国に箱物バブルでできた“潜在的ライブハウス”はいくらでもあるはずだ。
と、まあ、いろいろ考えた七月最後の夜。私とYト君は雷文に歩いて行き、仕事を終えてきたもやしやMト君と地方で仕事をすることなどを話し合ったのでした。
ビバ、“もっとも近い”ロックの祭典「深谷ロックフェスティバル」。
蔦木さん、今「私もこの街(深谷)が好きだ」といえます。

しばらくぶりの長文は、土曜の深谷ロックフェスティバル( 以下、「FRF」はフジじゃなくてこっち)のレビュー。まだ書いてる途中、こっちも深谷もの、『SR』シリーズレビューは長くなる一方なのでまずこっちからです。
07年冬の2回目、夏の3回目に行ったFRFについては、2回目を半年遅れて長文レビュー。自らの「ロック観」も叩きつけた、深谷ロックな人々に触発されたか、今読むと先走った文章です。
深谷ロックフェスティバル―「違うを信じる」ものどもの、なだらか、情熱、健全、“真冬の祭典”(07/06/28)
確か4回目は仕事があって行けず、5回目は記憶にないから気づかなかったか。今回はTwitterやMixiで主宰の蔦木さん;なお、面識はありません:から情報があり、あれ、こんなところに、と深谷シネマでフライヤーも手にしていたので、前2回にも同行のOB・Yト君にはちょっと前から連絡、それと次の仕事の打ち合わせで朝からシネマに同行、最近は市内一部で話題の『SR2』ロケマップ作画のニートマンガ家OB・Mマ君、さらには元シネマのスタッフで長野松本からやって来たSノさんもいっしょにということでしたが、私は最近仲よくさせていただいている弁当屋(ひわまりさん)の夏カレー試食会に行く約束があったのでMマ君に送ってもらい、同じ方向から来るYト君に乗せて行ってもらおうと思ってたら、やつはすでに最近買った米国製のかっこいいチャリで直接行っていたので、なんと、とばかりに駅まで10分くらい、祭囃子がのんびり鳴る道のりを、雷文手ぬぐいで汗を拭きながら行きました。
2回のレビューに書いたように、駅ギャラリーのちょっと大き目の教室といった風情の会場への到着は開演の15:30ちょうど。これまでで最も多い観衆で席はいっぱいでしたが、ひとまずなんと驚きのコストパフォーマンス1500円を支払い彼らを探しますがいません。
「TASKE」とやらの不思議な司会の中、すでに1組目の「CARRE」が平和なニセ東京駅レンガ造りの一階に「腐敗インダストリアル」(FRFのHPより)なサウンドを響かせています。こういった決してききやすくはない音が、まったく通常のこととしてきこえているのが懐の深さは日本有数の音楽フェス、FRFのすばらしさだと思います。
と、外をみるとベレー帽のMマ君が頭をぴくぴく動かしています。行ってみるとYト君もいて喫煙中。高価な愛車を「駅なんかに置けないですよ」、というので私が近くのおばの家に電話をかけて預かってもらうよう手配し、「座れねえじゃないっすか、おれ3時間も立ってんやですよ」と軟弱なことをいうMマ君とともに座席横を左ウィング的に進出し、なぜか空いていた前から2番目の席を確保。Yト君に「左前から二列目に座ってます」とメールを送ると、少ししてビールを持ったYト君が来ます。
CARREはギターとMTRの2人組。キュンキュン、グワグワ展開したその全1曲は曲想をふくらせたままフィナーレを迎え、それから3時間半の鋭い音の束を受け止める観衆をFRFの世界になじませるには、十分なトップバッターぶりだったといえましょう。
ここでビールを買いに受付付近へ。みたことのない国から輸入された品名「ビール」が150円で買えるのもFRFのすごいところです。入場料が18000円のフジロックは確か500円していたので、3時間おきとか調整しながら飲んでました。なおここで、シネマで連絡できなかったSノさんはわれらの二つ後ろの席に座っているのに気づき、あいさつしました。
と思う間に、こちらは突段BBS出身という常連女子スリーピース「おにんこ!」。結成10年、ドラムの方は出産明けとのことですが、もうなじみになった歌もギターも変わらないまま年季が入った感じ。もっとも重要なレパートリー『おにんこ!は東京が嫌い=Oninko! hate Tokyo』(myspace できけます)は、時間の都合でその前の一曲を抜かして演奏したようです。ボーカルのないCARREの時はわかりませんでしたが、今回は最後までボーカルがきき取りにくかった。ただこれはスピーカーに近い、位置のせいかも知れず、そう気になるほどではありません。
さて、ここから佳境。3組目は「KIRIHITO」( my Space )です。
名前はきいたことあっても、音源はまったくきいたことがないバンドを初めてきく。フェスならではの喜びですが、9年ぶりの新譜がミュージックマガジンで国内ロック年間5位にランクされた二人組KIRIHITOとの出会いは、それは強烈なでした。
正確無比な上、きわめてホット。いわば、燃える尖ったコンペイトウのような鋭いギター+ヴォーカルを、異様な大音量、入幕を果したばかりの学生出身力士のような坊主頭が張り手のように叩きつける変幻自在なスタンディングドラムスが、コンペイトウを包む巨大で柔らかくも硬くもなりしかも重みがあるまんじゅう皮が包み込む。わかりにくいたとえですが、そんな印象の音の塊です。デュオの関係は一見するとギター&ヴォーカルがフロントマンにみえますが、実際には和風からファンクまで縦横無尽なドラムスを化学構造的なギター&ヴォーカルがバッキングを務めるイメージ。もちろん、長い取り組みのようにその関係性は移動します。何しろわれらの席は前から二番目。すぐ前の立ったままドラムス張り手を、まるで砂かぶりでみる本場所のように体験できました。降参です。
そして、日本パンク界重鎮率いるスリーピース「恒松正敏GROUP」。「本日最高齢」と紹介したTASKEとやらは、確かここで時間調整に七夕と納豆の日をモチーフにした自作の詩を朗読しました。それまで何いってるのかわかりませんでしたが、詩の時は活舌しっかりでさすがというべきでしょう。
それにしてもこの演奏は、ロックの年季の入り方ということでは世界的にも最上位の部類に位置するのではないでしょうか。重厚活軽やかなリズム隊が変幻自在な恒松のギター&ヴォーカルをサポートする。スリーピースの王道です。
とにかく、永遠の少年のような風貌の恒松のギターがすごい。切れ味鋭いフレージングにカッティング、色気のあるチョーキングも効果的、などというありふれた表現では語りつくせないほど魅力的。その魅力をあえて言葉にすれば、黄金率を体現したスタイルの触れ幅とでもいえばでしょうか。個人的にはそんな気がします。
鋭い、スピードのあるギタリストはほかにもいくらでもいるし、渋みのチョーキングも同様。たとえば、スタイルこそ違うが世界の大御所ジェフ・ベックなんぞはその言葉両方に渡る演奏をします。そしてジェフ・ベックの魅力がその振れ幅、つまり守備範囲の広さにあるとしたら恒松のそれは奇跡的な振れ幅の絞り方、いわば意図的に守備範囲というか振れ幅を限定することによって濃厚で推進力のある音世界を形成している、そんなイメージを持ちました。
すみません、わけわからないこと書いて。演奏後、TASKEとやらも賛辞を送ったバラードはだからこそ印象深い一曲でした。そして、後でみたら好きだったP-MODELの一員だった、また後でYト君が「ずっとセンセイに思えてしょうがなかったですよ」、いや、私にはあんな体力ありません、のドラムス、律儀な好漢の印象ながら実は殺し屋かも知れないとも思わせる、チョッパーさえも地味な印象を与えるベースも実にかっこよかった。何というか、あえて疾走感だけに絞ったポリスとでもいうか、そんなバンドでした。
そしてセットチェンジの間、さらに朗読しようとするTASKEとやらを、「みんなヒいてるよ」と笑顔でたしなめて登場は主宰蔦木俊二率いる突然段ボール。リズム隊にツインギター、女性コーラスは前と同じかな。第2回のレビューとほぼ同じになりますが、独特の世界を30年かけて磨いてきた揺るぎのない演奏が逞しさを感じさせます。ツインリード、リード/サイドを効果的に入れ替えるギター二人のコンビネーションなどはその具体的な現われと思います。
そして何より、MCにも現れていた、赤い上下を身に着けた祭主・蔦木のごきげんさ。7日付のブログで言及された「プリミティブな衝動」が健在で、「もっと風通し良く音楽(ロック)をやりたいという願い」(上記HP)がかたちになったことの喜びに満ちた姿が印象的でした。アンコールも十分に堪能して、7時の終演時間を迎えます。
その後は、隣町熊谷から来たSノさんの友人と駅前で別れ、Sノさん、Mマ君、自転車とってきたYト君とシネマへ。その道中の話から、今回のまとめとします。
若いのにこのあたりの音楽に詳しいSノさんにきかれ、突然段ボールや恒松正敏のいたフリクションの話をしました。実際に私は高校の頃にFMで『ホワイントマン』をきいたくらいで、フリクションについては雑誌みたレコードジャケットはおぼえているものの音をきいたことはあるのかわからない、というか曲名をいえないのできいたことないのも同然。当時、まわりにこのへんをきいているやつはいなかったし、YMOやP-MODELは買ったもののききたい洋楽もいくらでもあるし、ここまでは耳が回らなかったというのが実際のところです。つまり、雑誌で知ってるだけのバンド。ミュージックマガジンから突然普段ボールが深谷在住と知ったのは大学の頃だし、アルバムをきいたのは卒業してからだったと思います。
だから、29歳のMマ君やYト君と同じように、ほぼ新しい音楽として突然段ボールや恒松正敏GROUP、その他もっと歴史の新しい3バンドと、OBたいも「何だかんだいってあいつが一番強烈だったかも」というとんでもないパフォーマーTASKEに触れることができた。頼んだ深谷シネマビアガーデンチラシの締め切りを恐れていたMマ君は、「きっと今日1500円払ってこれをみることは、Mマの表現に必ずいい作用を与える」といって参加したのですが、「いや、締め切りはまずいけど、みてよかったっすよ」といっている。とすれば、蔦木さんの
・・・
まず「突然段ボール」の地元に音楽(ロック)を根付かしたい。そしてライブハウスじゃなくても、都内からちょっと離れた地方でもライブが出来る。そして駅という場所で、いろんな人が行き来する場所で、ロックミュージックに縁遠い人でもこういう場所でライブをやっているという事知ってもらいたい。(普段ライブハウスに行くという感覚の無い老若男女にも来てもらいたいという願い。)そして最近のバンドは、何故ライブハウスでライブする事しか考えられないのか?。所謂一つの活動場所を広げる為の草の根運動であるし、規制のバンド活動の概念を解体し、もっと風通し良く音楽(ロック)をやりたいという願い(上記HPより)
・・・
は少なくともわれら市民には届いたわけです。ありがとうございました。
それにしても、家から5キロちょっとの近い場所で、しかも3メートルくらいの砂かぶりの場所で、教室みたいな場所で恒松正敏のギターをきけたことはまったくおそるべし体験。「近くだけみるな、遠くをみろ」とは、そうあからさまにいわないまでもいつも中学生などにいつもいってることですが、「近い」ということはそれだけで「うれしい」、英国からやって来たグラム~プログレ界の重鎮を100キロ離れた新潟の森で新幹線で行っておっきなテレビでみて歓声をあげるのも何物にも替えがたいが、近くは近くで替えがたい。何しろ、長野から来てる人もいる。
だいたい、あっちは入場券18,000円する上、新幹線代はかかるしビールだって500円する、ま、「高い」より「安い」がいいことだけは確かだろう。
でも、1500円は安過ぎないか、と駅ギャラリーについて調べたら、 使用料金は 。なるほど、このへんに地方のライブのヒントはありそう。日本全国に箱物バブルでできた“潜在的ライブハウス”はいくらでもあるはずだ。
と、まあ、いろいろ考えた七月最後の夜。私とYト君は雷文に歩いて行き、仕事を終えてきたもやしやMト君と地方で仕事をすることなどを話し合ったのでした。
ビバ、“もっとも近い”ロックの祭典「深谷ロックフェスティバル」。
蔦木さん、今「私もこの街(深谷)が好きだ」といえます。