墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

徒然草 第十六段 神楽

2006-05-21 20:36:29 | 新訳 徒然草

 神楽こそ、なまめかしく、おもしろけれ。
 おほかた、ものの音には、笛・篳篥。常に聞きたきは、琵琶・和琴。

<口語訳>

 神楽こそ、なまめかしく、おもしろかろう。
 大方、楽器の音には、笛・篳篥。常に聞きたいは、琵琶・和琴。

<意訳>

 神楽こそ、優雅で最高だろう。
 
 よく聞く楽器の音は、笛に篳篥。いつも聞きたいと思うのは、琵琶と琴。

<感想>

 第十六段は、ずいぶん短い文章だ。短いから今日は一字一句を正確に検証してみよう。

 『神楽』は神社で神を祭っておどる舞だ。天の岩戸のうずめのみことが元祖だとか言われている。

 『こそ』は、係り結びを発生させるが、めんどくさい事を考えないなら基本的には、現代語の「こそ」と同じ意味として読んでも大丈夫だ。

 『なまめかしく』は、動詞の「なまめく」が形容詞化したもの。「なま」は漢字で「生」、あるいは「艶」を当てる。
 現在でも使われる「なまめかしい」は親父っぽくてエロっぽい言葉だけど、「なまめかしく」は、「初々しい」あるいは「若若しい」ってことなのだ。
 古典の時代、「生(なま)」は「若い」事をあらわす言葉であった。若いという事は、まだまだ未完成で中途半端でもある。それで、現在でも使われている生煮えなんて言葉も生まれたようだ。
 「なまめかしく」という形容詞が、ちまたに流通していくに従い、「優雅」だとか「上品」などといった、いろんな概念を含む総合的な言葉に成長した。若いってのは、何に比べても素晴らしい事だからね。
 この段の場合には、「新鮮で優雅」とでも解釈しておけば良さそうだ。

 『おもしろ』は興味深い、興味がわく、などといった感情を意味する形容詞で、「おもしろ」は語幹となる。
 別に現代語の「面白い」と訳しても、原文と違う意味にとられる危険性がなければ問題はない。

 『けれ』は「けり」の已然形。
 「けり」は回想の助動詞、いわゆる過去形。
 とりあえず、過去形で已然形なので、この段の「けり」は「かろう」とでもしておこうか。
 「むかしこんな事があった」「こんな話しを聞いた事がある」「こんな物を発見しました」などといった内容を他人に伝えたい時に、昔の人は言葉の最後や途中に「けり」をつけたのだ。
 いま現在この場所におじいさんがいる、これは古文では「翁あり」となる。
 今はいないけど、むかしおじいさんがいましたという事を伝えたいなら「けり」をつけて「翁ありけり」となる。あえて、「けり」を現代語で言うなら「むかしむかし、おじいさんがいました」の「ました」が「けり」にあたるが、「けり」は「ました」よりも、もっと広い意味で使われていた言葉なのでそういう意味なんだと思われても困る。

 『おほかた』は、現代語の「大方(おおかた)」と訳して問題ないような気がするけど、違うんだろうな。

 『ものの音』の「もの」は形式名詞。
 まぁ、あれこれ考えずに、これは素直にテキストや古語辞典の教えに従い「ものの音」は、「楽器の音」のことであると理解しておくのが無難のようだ。

 『には』は、現代でも使われている「には」と同じ意味と理解しても通用するが、本来は、断定の「なり」プラス 係助詞の「は」。
 「には」と解釈しても問題ない場合もあるけど、現代語で言うなら「では」に近い場合もある。

 『笛』は笛で、日本の笛。

 『篳篥』はひちりきと読む。中国の笛のこと。

 『常に聞きたきは』は、すんなり「常に聞きたいは」と現代語に直せる。
 「たき」は希望の助動詞「たし」の連体形。現代語の、「見たい」「食べたい」の「たい」とほぼ同じ意味の言葉だと考えて間違いなさそうだ。

 『琵琶』は琵琶だね。
 あの「耳なし芳一」が、ジャジャジャンとかき鳴らすと平家の亡霊共が寄ってくる例の琵琶だ。

 『和琴』は正月番組で、きれいな和服のねーちゃんが、チャン チャララ チャラランとかき鳴らす、あの琴だ。

 さて、すべての語句をチェックしたので、さっそくこれらをもとに第十六段の正確な口語訳を書いてみよう。
 
『神楽こそ、新鮮優雅、おもしろかろう。
 大方の、楽器の音には、笛・篳篥。常に聞きたいのは、琵琶・琴』

 なにこれ。意味不明。

 仕方がないから意訳してみよう。
 だが、その前に先人の現代語訳をカンニングする。
 まずテキストを見てみると、「おほかた」を「一般に」と訳している。
 次はネットで、「徒然草」を現代語訳している人の訳をカンニング。「おおかた、ものの音には」を「よく聞こえてくる音は」と訳している。
 あぁ、なるほど分かったよ。
 兼好が何を言いたいのか。
 そのイメージが消え去らないうちにとっとと意訳する。

『神楽こそ、優雅で最高!
 よく聞く音楽は笛に篳篥。常に聞きたいのは、琵琶と琴』

 兼好の時代には、音楽はナマ演奏以外にはありえなかった。たぶん踊りだとか音楽なんていうリズムに飢えてたんだろうね。特に琵琶と琴を、常に聞きたいと思っていたようだ。
 長い文章の場合は、多少意味が分からなくても前後の流れから意味が推測出来る場合もある。
 しかし、短い文章は言葉のブチ切りなので文章を書いた人の身になって考えないと意味が分からなくなってしまう。
 以外に古典は短い方が難しい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿