因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、ただ、栗をのみ食ひて、更に、米の類を食はざりければ、「かかる異様の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。
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<口語訳>
因幡の国に、何の入道とかいう者の娘、かたちよいと聞いて、人多数言い渡ったけれども、この娘、ただ、栗のみ食って、さらに、米のたぐいを食べなければ、「こんな異様の者、人に見せるべきでない」として、親許さなかった。
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<意訳>
因幡の国に住む、なんとか入道とかいう者の娘は美人だと評判になって、大勢の男が求婚したのだけれど、この娘はただ栗ばかり食べていて、まったく米のたぐいを食べなかったので、
「こんな変な娘は、人前に出せない!」
と、親は結婚を許さなかったそうだ。
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<感想>
因幡の国は、現在の鳥取県。
距離的には京都に近いが、京都の人にしてみるとわざわざ行く用事もない土地である。ある意味、辺境のそんな土地のうわさ話を書きとめたのが、この第40段なのであるが、この段のヒロインである「栗食い姫」は謎が多い。
だいたい一年中、栗が食べられるものなのだろうか。栗はそんなに保存のきく食品なのか?
保存がきいたとして、栗ばかりじゃ飽きるだろうし、体だって壊しそうだ。
ただ、「栗」を、季節の果物や野菜などの総称として理解していいなら、なんとなく納得できる。「米の類を食はざりければ」と原文にあるが、穀物を食わなくても、野菜と果物を食っていれば生きていける。
きっと「栗食い姫」の父親は、経済力のある人間だったのだろう。「何の入道」と書かれる「栗食い姫」の父親は、因幡の地方権力者だったのだろうとテキストでも推測されている。
地方権力者の娘が、「栗食い姫」の正体だとすると、なんで「栗食い姫」は穀物を食べなかったのであろうか。ホクホク炊きたてのご飯はおいしいのに。
もしかしたら、「栗食い姫」は、あんまり偏食が激しいので、親からちゃんとご飯も食べなきゃ結婚させませんよとか言われちゃったのかもしれない。その為にかえって、なかば意地になって、栗ばかり食べ続けた。
わがまま金持ち娘の、自意識過剰による親への無意識な反抗心。
それに金持ちの娘なので、生活に余裕もあるから、いらない事までつい考えてしまう。
そして、自分の将来を見た。
(男と結婚して、子供を産み、やがて老いて死ぬ)
なんてつまらない一生!
家の為に子を殖やすだけが私の人生か?
なら、好きな事して、好きな物だけ食べて暮らしている方がずっといい。
結婚さえしなければ、この先ずっと好きに暮らしていて良いらしいと「栗食い姫」はなんとなく悟った。
因幡の国の「栗食い姫」は、親の希望を無視して栗を食べ続ける事をわざと選んだのかもしれない。
家の為に子孫を残す事を当たり前としていた当時の女性からは、完璧に外れてしまっている。
京都の貴族社会での出世をあきらめて出家した兼好も、貴族社会から外れた人間だ。同じはぐれもの同士、「栗食い姫」に感情移入しながら兼行はこの段を書いたのかもしれない。
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<受け売り>
『因幡国』
現在の鳥取県。砂丘があると言う。
『入道』
坊主なんだけど、頭丸めて仏教に入門だけして、生活は変えずに妻子と暮らしているオジさんなどを「入道」と呼んだ。
『言ひわたり』
漢字で書くと「言い渡り」。
言い続ける事。
この段では、結婚を望んで言い寄り続けるの意。
『かかる異様の者』
かかるは、かくある、こんなであるという意。「異様(ことやう)」は現代語の異様(いよう)と、しても意味が通じるが現代語の異様よりやわらかい表現だったようで、「変な」ぐらいの意味だろう。
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