甲香は、ほら貝のやうなるが、小さくて、口のほどの細長にさし出でたる貝の蓋なり。
武蔵国金沢といふ浦にありしを、所の者は、「へなだりと申し侍る」とぞ言ひし。
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<口語訳>
貝香は、ほら貝のようだが、小さくて、口のほどが細長くさし出た貝の蓋である。
武蔵の国、金沢という浦にあったのを、所の者は、「へなたりと申します」だと言っていた。
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<意訳>
貝香は、ほら貝のようだけど、小さくて口のあたりが細長くつき出た貝の蓋だ。
関東の金沢という海岸にその貝があったのを、土地の者が、これは「へなたり」と申しますとか言っていた。
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<感想>
「煉り香(ねりこう)」という優雅な趣味がある。
ようするにお香の材料をブレンドして楽しもうという趣味だ。
貴族の趣味の一つでもあった。
その煉り香にかかせないのは「貝香(かいこう)」という材料である。
貝香は、練り香の材料の一つで、ナガニシやアカニシなどの貝の蓋をすりつぶして材料とした。
この2つさえ分かれば、べつに<意訳>すら必要もない簡単な段だ。
とくべつ読解が難しい文章ではない。
『兼好法師歌集』に載る歌や、「金沢文庫」に残る書などから、兼好が金沢の土地で暮らしていたことが証明される。実際に金沢で暮らしていた兼好にとって「へなたり」という金沢の土地の言葉は、懐かしい言葉であったのかもしれない。
海岸の匂い、勇壮な漁師の様子、金沢の土地の言葉。
兼好は金沢出身であるという研究もあるが、それにしては兼好の文章はあまりに都会人であるので、やはり京都出身なんだろうなと思う。なんらかの用事で関東に下った時の回想だと考えるのが妥当だろう。
仏前でも香は炊かれる。その伝統が今のお線香なわけだけど、煉り香となると、かなりの貴族趣味だ。
そして、この段以外の『徒然草』の描写から考えると、香の薫りを兼好は、法師のくせして仏に供えるものというより、女性や高貴な人間の優雅な薫りと認識しているように読める。だから、この段にも、どこか女性の薫りがするような気がする。
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<解説>
『甲香』(かひかう)
貝香。甲の字は当て字とも言われる。煉り香の材料。
『ほら貝』
この段では、ブオゥオォーと山伏が吹き鳴らすあのほら貝を、ぜひ想像して欲しい。
『小さくて、口のほどの細長にさし出でたる貝の蓋なり』
ようするに、貝香にされる材料が「小さくて、口のほどの細長にさし出でたる貝の蓋なり」と言っている。
だが、「口のほどの」という表現は、いまいち釈然としない。
「口のほどの」を直訳するなら「口のあたりが」となる。
で、貝の口ってそもそもどこなんだよと兼好に突っ込みを入れたいが、とっくに死者な兼好に突っ込んでも答えは出ないので、俺の想像で解釈すると、この文の前に「ほら貝」が登場するので、兼好は「ほら貝で言うなら吹き口のあたりがとんがった貝の蓋だ」と言いたいんじゃないかなと思う。
ちなみに、修験道(山伏)の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ・千年以上前の人)が、ほら貝を吹き鳴らした元祖だとか言われているので、兼好の時代、すでにほら貝イコール山伏が吹き鳴らす物というイメージが固定概念としてあった可能性はある。
『武蔵国金沢』
現在の、神奈川県横浜市金沢区金沢あたり。
神奈川県は、なぜか市の中に区が存在するので、東京都民の俺には住所がくどい。
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