墨汁日記

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徒然草 第三段 万に

2006-03-23 21:11:19 | 新訳 徒然草

 万にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵の当なきここちぞすべき。
 露霜にしほたれて、所さだめずまどひ歩き、親の諌め、世の謗りをつつむに心の暇なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは、独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。  
 さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。

<口語訳>

 すべてにすごくとも、色好まない男は、ひどくつまらなく、玉のさかずきの底ない心地するはずだぞ。
 露霜にしたたれて、所さだめず迷い歩き、親のいましめ、世のそしりを包むのに心の隙なく、あれさこれさに思い乱れ、然るは、独り寝がちに、まどろむ夜ないこそおかしかった。
 さりとて、ひたすらたわぶれる方ではないと、女にたやすくなく思われるのこそ、あぁ望むべき技だろう。

<意訳>

 どんなに完璧でも、恋愛経験のない奴はつまらない。
 言うなれば、せっかく高価な宝石を削ってさかずきを造ったのに、最後に手元が狂って底が抜けちゃったみたいなかんじだ。

 夜露に濡れつつ、行き先も定まらないまま一晩中ほっつき歩く。 
 親の小言や世間の評判なんか受けとめる心の隙もなく、あれやこれやと思い乱れ、独り寝で悶々とするばかりの夜。
 そんな夜こそおかしいもんだよ。

 しかし、こんなふざけた男でも、思う女に並大抵の男ではなさそうだと思われたなら、まぁそれが望みだよね。

<感想>

 兼好は以外に「恋愛至上主義者」なのである。
 法師のくせして恋する心は美しいという姿勢を『徒然草』の最後までつらぬき通した。
 兼好が「恋愛至上主義者」なんてのは、あまりに『徒然草』の「吉田兼好」のイメージからかけ離れすぎていて、こいつマジかよ、ナニ言ってんだよ、アタマ悪いんじゃねーのと、突っ込みたくなる気分も分かるけど、これは以外に本当だ。

 兼好は、『徒然草』のかなり最後の方まで、恋は哀れで美しいと言っている。
 兼好の言う「恋」とは相手を恋いこがれること。相手を思いながらも忍ぶ恋こそ美しいと兼好は言う。
 まぁ、こんな事は、恋愛依存症ぎみの人にはいくら説明してもわからないだろうけど、恋は異性とイチャイチャする事ではない。
 会いたくて会いたくて仕方ないのにどうしても会えない、身悶えする程に相手を求めているのに会う事が出来ない。相手を求めて燃えるように恋焦がれる心。それこそが兼好に言わせりゃ「恋」なのである。 

 だが、この第3段は「恋心」が主題ではない。
 主題は、前段から引き続き、生まれついて持つ「望み」である。

 恋する心も、所詮は「望み」であるよなぁ。と、少々納得いかないまま兼好は、この段を結んでいる。


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