男なんかオマケである。
男はもっと遠慮して生きるように!
男のやる事なんか全くたいしたことないと自覚せよ!
目覚めよ!
男達よ!
男なんかオマケだ。
いてもいなくてもどうでも良い。
いても迷惑なだけ。
女がこの時代を造ったのである。
男なんぞオマケだ!!
たいした事ない。
男は横暴な馬鹿。
精子以外に男の利用価値は全く無し!
で、だから、男は女に何も押し付けられない。
てか、そんな事が出来るほど賢くない。
例えば、ある男がキリスト教徒だとする。
ぜひ、聖書を自分の子供に読ませたい。
そして、男は、キリスト教にぜんぜん興味がない妻にキリスト教を暴力と圧力でもって押し付け、妻に子供をキリスト教徒にするように命令した。
それで、子供に、女は下等な生き物であるみたいな書かれ方をした聖書を、女であるはずの妻が子供に読ませる。
だが、暴力に屈するのも、ある意味では選択であると思う。
なぜ、嫌なら死ぬまで叛逆しないのか?
常に女の生き方は女自身が選択したものではないだろうか?
(妻は夫に逆らう事に生命の恐怖を感じる。だって死にたくない)
俺がこんな事を言うのは、男からの暴力を受けた事が無いからと言うなら、それは間違いで、男の方がよっぽど強い男からの暴力の洗礼を常に受け続けている。
だから、男は、自分より目上の男が怖いから平気でイヌになれる。
思うのだが、過去の女性は、男におしつけられたのでなく、自分の誇りの為に子供を育てたのではないだろうか?
夫の親の介護とまでなると、確かに押しつけだと思う。
でもだが、それは男の身勝手さでなく、過去の共同体内での、性差による役割分担であって、人間の営みなど所詮はごっこ遊びで、自分の役割が無いのがいちばん辛い。
そして、共同体の構成員の教育は女が行っていたはずである。
では、けっきょく子供は誰が育てるのか?
男なんかおまけ。
歴史は女がつくる。
いや、歴史なんて概念さえクソ食らえで、やはり、子育てこそ人間の本分だなと思う。
家庭や子育てを、単純に男からの押しつけと考えるのはやはりいかがなものかと思う。だが、こんな事を思うのは俺が男で、無責任だからかもしれない。
ともかく、男は馬鹿である。