墨汁日記

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産まれてすぐ母乳さえ吸わずにに捨てられた赤子でさえ、産まれるまでには母体に世話をかけている。他人の手

2007-10-05 19:03:17 | 駄目
 当たり前の事なんだけれども。

 金を払って、何かを買うと言う事は、他人の手間を金で買うということ。
 金という価値で、商品の製作や運搬という手間を買っても、他人の手をわずらわせている事には変わりない。

 人間より以下と思われる生命(肉や魚だけなく、野菜や果物も含む)を弱肉強食したり、他人の手をわずらわせて人間は成長する。
 当たり前なんだけど、誰の何の犠牲も無くして、人間は育たない。

 弱肉強食は仕方ないとしても、誰の手もわずらわせずに生きようと、あなたは無人島で自給自足するとする。
 そうしたとして。
 誰のおかげで、自給自足できるまであなたは大きくなれたのだろう?

 階層・階級・差別は、絶対に無くならないだろう。

 明らかな能力差の無い限り、他人は必ず馬鹿に見える。

 自分より劣ったモノなど、遠慮なく食い物にしないと生きていけない。

 自分が生きる事に遠慮していたら死ぬ。

 全ての人間は加害者だ。
 それを、被害者ヅラして、自分は可哀想なんですと悩んでウジウジしていても他人から見たら可笑しいだけだ。
 頭悪いんじゃないのと思う。

 生きるなら遠慮するな。
 生きる事に遠慮したり、被害者妄想に凝り固まった連中を見ていると、あぁ根本的に頭が悪いんだなと、つい思ってしまう。

 例えば。

 本気で、いじめを無くしたいなら、いじめる側の心理を知るべき。
 差別の理由は、差別される側でなく、差別する人間の中にある。

 本気で差別のない社会を造りたいなら、まず自分の中の差別を根絶すべきなんだが、そんな事は絶対に出来ない。

 分ける事、区別する事でしか、人間は行動できないし理解できない。

 食べられる物。食べられない物。
 排泄する所。排泄をしてはいけない所。

 というような分け方をしているかぎり、差別は絶対に無くならない。

 また、このように分けられないと、なんでも食べてどこでも排泄してしまう。

 人間に理性あるかぎり、差別は無くならないかもと思う。