私は死神に言った。
「なんか、もう終わりも近い事だし。
本題のストーリと関係ない言いたい事なんかがあったら今のうちに言っとくと良いよ。
どうせ、ウチらはネットの闇にじきに消える運命だしね」
死神は言う。
「なら、俺はぜひニーチェの言葉を伝えたい。
『おまえは誰を劣悪と呼ぶか?
いつも人に羞恥を与えようとする者を。
おまえにとって何が最も人間的であるか?
誰にも羞恥を与えないこと。
達成された自由の印とは何か?
もはやおのれ自身に対して羞恥を覚えないこと。』
『喜ばしき知識』より、訳は永井均。
なんと美しく気高い思想。
人間は誰も例外なく醜い。
他人の醜さを指摘すれば、他人を傷つけるだけ。
できれば、他人の醜さをわざわざ指摘する必要はない。
それは、他人の心に重荷を負わせるだけ。
だが、ここで問題となっている劣悪とは、自分を輝かせる為に他人を犠牲にすることを平気でいる神経の事だ。
自分が偉い事を他人に認めささせようとする精神は平気で他人のプライドを踏みにじる。
ちゅーか、他人のプライドを踏みにじる事でしか自分の尊厳を確認出来ない醜い人格!
自分が『おい!』と偉そうで、相手が『はい』と遠慮がち。
そうでないと、自分が偉いと周りから認めてもらっていないと納得できない神経の醜悪さ。反吐がでる。
いちいち、今の言葉遣いは『俺様に対して失礼だ!』とか、指のつきかたはこうでないと『俺様を侮辱している!』とか言って、自分に対して尽くしてくれている他人の心をズタズタにし、自分の偉さを再確認するあさましい醜い神経。本当に劣悪な神経だ。こういう奴はぜひ死んで欲しい。死ね!
他人に恥をかかせる言動は、教育以外では行ってはならない。
教育でも、出来ることなら、子供に恥の感情を植え付けて欲しくない。
おしつけでなく、自分から自然に『おはようございます』と誰にでも言えるように仕向けて欲しい。親も子供も笑顔で。
そして、自分の醜さを自分で知っているなら、人間として最高の知性だ。
あと、『喪毒』とか、『オワター』とか言って人生を簡単に諦めるな。
自分が人間という捕食者として生きている事を自覚せよ。
自分が生きていく為に犠牲になった生命の尊さを思うなら、勝手に諦めて良い権利なんか個人には1ミリもない。
食ったら食ったなりの働きをしてから死ね。
勝手に諦めるな!
自分の醜さと直面し、醜いなりにも出来る事をしてから死ね。
それが捕食者の義務だ。
高卒とか、肉体労働者とか、ニートごときで何が終わっただ。
世の中には、もっと終わっている人間もいる。
むしろ、低所得労働者は、税金の払いが少ない分、もっと世の中に奉仕せよ。目の色変えて働け。低所得で彼女がいないからなんて理由で人生を勝手に終わらせて良い権利なんかお前らにない!
自分が醜い低所得労働者だと誇りをもって認め、死ぬまで労働に奉仕せよ!
それが、自分に羞恥を覚えないことだ。
自分のプライドが他人のプライドをズタズタにすることで成り立つ人間にはなるな。自分のプライドがズタズタでも今だ誰にも羞恥を味あわせている記憶がないなら誇りにしろ」