極論で言や、人間の全ての行動は個人の死という現実からの逃避に他ならない。
ま、それはそれとして。俺はいかに社会から外れた人間であるかが、今回、八王子のパン屋に就職して良く判った。そして、さらに実感する。会社や金儲けなんて、ごっこ遊びか、ガキ親父の自己満足にすぎない。そして、そんなことに真剣になったり、つきあったりするとえらいめにあう。
俺は、未来なんかどうでもいい。過去にも興味がない。目の前の事にしか興味がもてない。そんな人間だから、自分の未来なんかに少しも未練はないはずだった。
だが、30才を超えてから、子孫を残したい。女と生活を共にしたいとだんだん考え始めた。そうなると駄目だ。家庭とかいう未来を目指すと男にはプレッシャーがかかる。俺は男としての出来は普通の男以下なので俺はプレッシャーとストレスに異常に弱い。ドタバタといらぬ醜態をさらしてしまった。
去年の11月からパン屋を辞めるまでの、この数ヶ月のプレッシャーとストレスは、ただならぬものだった。パンなんて基本的にはハレの食べもんだ。この俺が無理にパン屋になんかならんでもいいのだ。だれも困らない。
全ては、女の為である。女と生活を共にしたいと考えたからこの不始末である。誰かの為とか考えるとハマるよとは知ってたが、女と暮らしたいという「自分の為」の欲望にすらはめられるとは。
どうも、すでに俺が共に暮らしたいと考えた女性は俺への興味を失いはじめたらしい。いいんだ、底が浅いもんな俺は。
このまま。このまま自然消滅的に彼女との交友は断たれるであろう。それでいい。何も望まないと決めてたから俺は俺でいられた。そんな態度に他の男に無い魅力を彼女は俺にかんじたのだろう。
ま、いいんだ。俺はこれからも、目の前の事だけを淡々とこなしていこう。それでいい。なにも望まず。なにも怖れず。俺はただの感覚機械だ。内からのプレッシャーやストレスはいらない。感覚が鈍るだけだ。
ちなみに彼女が何回かこのブログに訪れている事は知っている。この記事も彼女の目にふれるかもしれないし、このブログ自体が彼女の俺への不信装置である事も想像できる、だがあえて書きたい事だけ書いてきた。つもりだ。
ま、それはそれとして。俺はいかに社会から外れた人間であるかが、今回、八王子のパン屋に就職して良く判った。そして、さらに実感する。会社や金儲けなんて、ごっこ遊びか、ガキ親父の自己満足にすぎない。そして、そんなことに真剣になったり、つきあったりするとえらいめにあう。
俺は、未来なんかどうでもいい。過去にも興味がない。目の前の事にしか興味がもてない。そんな人間だから、自分の未来なんかに少しも未練はないはずだった。
だが、30才を超えてから、子孫を残したい。女と生活を共にしたいとだんだん考え始めた。そうなると駄目だ。家庭とかいう未来を目指すと男にはプレッシャーがかかる。俺は男としての出来は普通の男以下なので俺はプレッシャーとストレスに異常に弱い。ドタバタといらぬ醜態をさらしてしまった。
去年の11月からパン屋を辞めるまでの、この数ヶ月のプレッシャーとストレスは、ただならぬものだった。パンなんて基本的にはハレの食べもんだ。この俺が無理にパン屋になんかならんでもいいのだ。だれも困らない。
全ては、女の為である。女と生活を共にしたいと考えたからこの不始末である。誰かの為とか考えるとハマるよとは知ってたが、女と暮らしたいという「自分の為」の欲望にすらはめられるとは。
どうも、すでに俺が共に暮らしたいと考えた女性は俺への興味を失いはじめたらしい。いいんだ、底が浅いもんな俺は。
このまま。このまま自然消滅的に彼女との交友は断たれるであろう。それでいい。何も望まないと決めてたから俺は俺でいられた。そんな態度に他の男に無い魅力を彼女は俺にかんじたのだろう。
ま、いいんだ。俺はこれからも、目の前の事だけを淡々とこなしていこう。それでいい。なにも望まず。なにも怖れず。俺はただの感覚機械だ。内からのプレッシャーやストレスはいらない。感覚が鈍るだけだ。
ちなみに彼女が何回かこのブログに訪れている事は知っている。この記事も彼女の目にふれるかもしれないし、このブログ自体が彼女の俺への不信装置である事も想像できる、だがあえて書きたい事だけ書いてきた。つもりだ。