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印刷図書館倶楽部ひろば

“印刷”に対する深い見識と愛着をお持ちの方々による広場です。語らいの輪に、ぜひご参加くださいませ。

「富士山と浮世絵・瓦版」

2013-05-14 14:36:48 | エッセー・コラム
「富士山と浮世絵・瓦版」  久保野和行





日本人のアイデンティーにおいて霊峰富士は欠かせない風景である。それがユネスコの世界遺産の登録が実現する。初めは自然遺産を検討されたが、環境管理(特にゴミ問題)で困難になり、日本人の信仰対象として、日本最高峰富士山(3756m)の文化遺産13箇所目で認められた。


つい最近の出来事の中で、私たちの忘れられないことは東日本大震災であった。その中で陸前高田市の津波被害で、7万本の松林が流失したが、奇跡的に樹齢270年の松の大木が、毅然として残った。自然の猛威に耐え生き残った姿は感動的であり、どこかに日本人の自然に対する謙虚な受容の精神が、山岳信仰の象徴である富士山に代表される。


その富士山を題材として、多くの文化人が参加して絢爛豪華に花を咲かせた。最も有名なのが富嶽三十六景を描いた葛飾北斎に尽きる。多様な絵画技法で大胆な構図や遠近法に加え舶来顔料を活かして藍摺りや点描を駆使して、世界的に注目される、夏の赤富士を描いた「凱風快晴」や、荒れ狂う大波と富士を描いた「神奈川沖浪裏」などがある。同時代の安藤広重も「東海道五十三次」で富士山を多く題材にしている。


「凱風快晴」 葛飾北斎画


「神奈川沖浪裏」 葛飾北斎画


この当時の江戸時代の構成は、膨大な都市国家を形成していた。当時の人別帳(現在の戸籍謄本)によると、最盛期の人口は128万人以上が生活していた。比較できる都市ではロンドンが約90万人程度であり、“花の都”と謳われたパリが60万人であり、同じ花でも“花のお江戸”の半分程度しか生活ができなかった。多くの人々が暮らすには働く市場がなければいけない一方で、環境面での安心・安全な社会仕組みが出来上がっていなければ、膨大な需要と供給のバランスを維持していくことが困難であった。


当然ながら情報機能も併せ持っていなければ都市構成を維持運営できない。時代がどう変わろうとも情報の根幹であるコミュニケーションは欠かせない。今の時代の新聞やテレビやインターネットであるように、当時の情報手段が瓦版(紙の大きさが瓦サイズから)であり、それが庶民のニュースソース源であった。


浮世絵が高価な代物で、なかなか庶民の手には届かなかったそうです。しかし、ここに労働市場という面では、雇用が生まれている。版元は現在流にいえば出版社であり、浮世絵師は作家であり、それを大量生産する刷り師集団は、現代流に言えば印刷企業になる。


一方の瓦版は、現代流に言えば新聞や週刊誌の類いのもので安価なので多くの江戸庶民が手の届くところにあったわけです。


世界の陸地面積のわずか2.5%しかない日本の国土でありながら、自然災害である地震は6M以上の規模の20%近くが、日本列島を襲っている。
それでいながら他の国と違うのは、壊滅的な崩壊が起きていない。有史以来都市国家を滅亡に襲ったのは、ベストとかコレラなどの病原菌で衰退する場合がある。それは農村地帯でも言える。バッタやイナゴの多量発生で痛めつけられる現象である。


日本民族は自然崇拝の根底には、自然の猛威に耐えて、健気に根気良く自然と対話する習慣が、里山を作った。自然界と人間界の境目に、人手で加えた人工林をメンテランスする風習ができあがった。最初は燃料として山から樹木を切り出したが、いつか禿げ山になり、土砂が崩れ風水害のしっぺ返しに会い、気づいた村人達が作り出したのが里山であり、そこに植林をして、成長に合わせ下草を刈り、間伐をして風と光を入れる環境にした。虫や鳥、あるいは小動物が集まり、快適な空間にバランスよく成り立つようになった。


江戸といえる都市国家も神田川用水、多摩川用水などの水道施設が整備されて生活基盤ができ、その一方では排泄物類は汚わいやさんという職業人が、江戸の周辺部へ堆肥として流通する職業が生まれ、そこで農産物の生産があり、需要と供給の絶妙の境地に達した。  今回の世界遺産になった富士山が日本の象徴であると同時に、日本人の奥ゆかしさも同時に評価されたのではないかと、勝手に思っているが、嬉しくなるニュースであった。




桜(さくら)と暦(こよみ) -久保野和行

2013-04-15 09:25:19 | エッセー・コラム

(京都 醍醐寺のしだれ桜)


桜(さくら)と暦(こよみ)   久保野和行(2013年4月12日)


日本人の慎み深い自然志向と象徴が、四季折々に出会う草花との語らいが、短歌に多く出てくる。その中でも最も多いのが桜を題材にしたものだ。私たち日本人は日常的に桜の景色を、春に彩る白色や、薄紅色か濃紅色の花を咲かせる『春爛漫』で表現している。
特に桜の開花が、新年の事始の時期とつながる。今年の第85回選抜高校野球大会で、選手宣誓で鳴門高校、河野祐闘斗君が力強い言葉で…全国の困難と試練に立ち向かっている人たちに、大きな勇気と希望の花を咲かせることを誓います…と花に例えてメッセージが伝えられた。桜に思いを込める民族は、約600種以上の桜を誕生させた。その代表が「ソメイヨシノ」。江戸末期から明治初期にかけて、江戸・豊島区染井村の造園師や植木職人によって育成された。始めは「吉野桜」として売られたが、奈良地方の吉野山のヤマザクラと混同される恐れがるというわけでネーミングが「ソメイヨシノ」に落ち着いた。ソメイヨシノは種子では増えない。そのため各地にあるソメイヨシノはすべて人の手の接木(つぎき)で増やしたもので、現代流に言えばクローン技術で広がった。





「散る桜、残る桜も、散る桜」。これは我々がよく知っている人物、子供戯れる姿で連想される良寛和尚の作であるが、日本人の情感を端的に表している。
もともとが桜の原木は日本各地に自生していたもので、それを使って天城山中からの桜木材を利用して版木に使用したのがある。それは鎌倉時代の初めから明治時代まで使われた「三島暦」である。季節の祭事記物で、人々の暮らしのリズムを作り上げていた。その中でも一般的には漢字一色の暦が京都、奈良の中心に、本格的な男性の読むものとして栄えた時代、仮名暦の女性や子供向けのものとして三島大社から頒布された。


その三島暦が、伊豆の有力者であった河合家で作成された。私自身が三島出身で、東京に出てから、偶然に現在の当主である河合良成さんと出会うのです。意外や意外であるが同じ印刷業界で働いていたのです。河合さんは当時サカタインクスの部長職にあり活躍されていました。
鎌倉幕府を開いた源頼朝が旗揚げした場所が、官幣三島大社でした。武家社会の構築のために、わざわざ京都から離れて鎌倉に幕府を開いた。当然ながら既得権権者は抵抗勢力となって阻害したでしょう。他聞、暦類も重要な既得権であり、同時に権威の象徴でもあったと思います。


そこに暦のイノベーションが起きたのですから既存組織は面白くないでしょう。仮名文字で平易に、分かりやすく、誰でもという広がりが祭事物の印刷物が、それも地元の資材である天城山中の桜の原木を、ふんだんに使って作成された。これが、今のところでは仮名文字での印刷物では日本最古と言われている。
一般大衆とは懸け離れた既得権益者とは、エリート集団であり、同時に庶民からは一番遠い場所にあったのではないでしょうか。だから祭事記物の情報が仮名暦で広める政策を。あえて鎌倉幕府が後押ししたのではないかと、歴史ロマンに夢想している次第です。
2013年4月12日 久保野和行

「大地震と源氏物語」 久保野和行

2013-03-22 16:56:58 | エッセー・コラム
「大地震と源氏物語」 久保野 和行


2011年(平成23年)3月11日14時46分、宮城県牡鹿半島の東南東130kmの海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。地震の規模はマグニチュード9.0で、日本周辺における観測史上最大の被害になった。
あれから、もう2年の歳月が経つ、そして日本人の粘り強さや、きめ細かい優しさ協調性などが世界中の称賛を得た。


昨年の国際ブッフェアーで瀬戸内寂聴さんが講演した。その中で「代受苦(だいじゅく)」という仏教の教えを述べていた。自然の猛威に人間は何の力も発揮できない。しかし受けた傷を互いに癒しあう力は持っている。日本列島は、もともとは自然災害の坩堝にあるからこそ、ヒトの痛みが分かる社会ができている。


時間をさかのぼること平安時代初期の貞観(じょうかん)11年5月26日(西暦869年)に、やはり東北地方でマグニチュード8.3以上の貞観地震がおき、地震に伴もない津波の被害も甚大であった。この地震の内容が原子力発電所の津波検証の論点であったが、いつのまにか安心・安全神話で覆い隠された。


一方、平安時代当時の、日本の生活風習でのパワフルなエネルギーを兼ね備えていた。大震災が起きても、その後の平安中期に向ってエネルギッシュに国家を作り上げた。その代表的なのが源氏物語を書いた紫式部のウーマンパワーと言えるかもしれない。


物語の年月がおよそ70年間の時間空間がある。おおむね100万文字で構成されている。これは現代流でいえば原稿用紙で約2400枚に及ぶ。登場人物は500名余が参加して、800首弱の和歌が綴られている典型的な王朝物語である。物語のフィックションは絢爛でおわれ、登場人物の心理描写の巧みさ、ストーリーの上手さなど、その文章の美的な感覚の美意識の鋭さが、しばし「古典の中の古典」であり、同時に女流作家としての日本文化史上最高の評価を受けている。同時代には「枕草子」清少納言という良きライバルも存在していた。


最近良く女子力という言葉が聞かれるが、もともと日本大和撫子のDNAが、現在でも継承されている。そのもっとの成果が女子ワールドサッカーでの「なでしこジャパン」活躍である。その存在を世界中に証明した。


源氏物語は現代語版として、与謝野晶子が生涯に3度現代語訳を試みている。エピーソードがある。2回目の原稿は1923年9月1日の関東大震災により文化学院に預けてあった原稿がすべて焼失したため世にでることはなかった。


さて先ほども登場した瀬戸内寂聴さんが、やはり源氏物語の現代語版を出している。東北の中尊寺の大僧正の今春聴(作家今東光)の得度を得て。現在は京都の嵯峨野で寂庵にて尼僧で「青空説法(天台寺説法)」の活躍している。自然が猛威を振るう時の、その反動エネルギーが、もしかしたら潜在的にあった女子力を点火する要素かもしれない。と考えると日本社会の本当の復活は女子力が必要不可欠かも知れませんね!!






初詣と“カミサマ”の因縁 

2013-01-17 15:21:02 | エッセー・コラム

『初詣と“カミサマ”の因縁』  2013年元旦 久保野和行



(初詣でにぎわう柴又帝釈天)


新年の事始は初詣で賑わう。明治神宮や成田山新勝寺が多くの人が参拝する。しかも日本人の寛容な心が表現されている。

明示神宮は神様を祭っているが、一方の成田山新勝寺は仏様を祭っている。日本語にも神社仏閣の熟語が存在する。日本古来の神様は八百万の神と言われ自然信仰の風習があった。
「日本書紀」によると仏教伝来が欽明天皇(552年)朝鮮半島の百済から伝わった。それから約60年程度で日本風土の融合し、聖徳太子の「十七条の憲法」(604年)に反映されている。


世界の歴史の見ればわかるが、血にぬられた宗教戦争の悲惨さが各地で起きており、安らぎを求めて平和のひとときを過ごしたい民衆に、自宗教の主張が、醜い争いごとにつながり究極の暴力支配を呈する。
地続きの国境では政治でも宗教を手段で使うし、それだけ犠牲も多かった。しかし日本は島国のガラバゴス現象で共存共栄の進化と遂げた。

一方で、我等の印刷業界での“カミサマ”いえば、自ずと知れず『紙さま』に尽きる。紙の歴史も、紀元前300年ごろエジプトでパピルス草という植物の茎を薄く切って絵や文字を記録した。




このパピルスは英語の“ペーパー”の語源になっている。中国の後漢時代に蔡倫が和帝へ紙を献上したと『後漢書巻106』に記載されている。歴史の長さからの知恵も多く知見が伺える。


私が最も興味があるのが、紙のサイズ設定である。紙にはAサイズ、とBサイズが存在する。それも究極の叡智でもある。例えば、A0(エイゼロ)サイズは、1メートル×1メートルの面積比であり、それが6:4の黄金比で割られていきA6サイズが世界共通のハガキサイズに収まっている。もう一方のB0(ビーゼロ)サイズは、1.5メートル×1.5メートルの面積比で構成され、同じく黄金比6:4で並んでいる。


日本の浮世絵はBタイプ主流のサイズで構成されている。ふっと不思議に思うことがある。太古の昔から使われた測定法が、フラン革命後の1790年3月国会議員であるタレーラン・ペリゴールの提案で、創設することが決議した。それを受けて1791年に、地球の北極点から赤道までの子牛線弧長の1000万分の1として定義される新たな長さの単位「メートル」が決定された。


その後、1867年のパリ万国博覧会で世界的に広がった。メートル法の設定のプロセスは良く分かるが、それと別の視点で見れば、太古で使用された測定法が、現代の論理的な根拠になっているが、そもそも、その昔の人々が北極点から赤道までの距離の1000万分の1が、イコール1メートルになるとは、これこそ神(紙)のみ知る神秘の世界といえる。


日ごろ印刷業界にいながら、こんな些細な現象に気づかないのが普通であるが、たまには“カミサマ”(紙さま)の霊験あらたかな教えにしだがうのも一興かもしれない。最近のニュースで王子製紙が10月1日をもって王子ホールデイングスになった。

実は今手元にある書籍は「紙の知識100」~知ればもっと楽しい~(編集:王子製紙 発行所:東京書籍)がある。




中味は平易に書かれているので発行当事者に聴いてみたら、対象が小中学生向けに編集したそうです。これは学校等で工場見学に来た生徒達が、多く興味を引いたことが中心になって書かれたそうです。分かりやすい説明文で十分に印刷人も参考になると思った。“紺屋の白袴”にならぬように。(終)



「AKB48と“印刷”」 -久保野和行―

2012-12-28 11:24:27 | エッセー・コラム

「AKB48と“印刷”」  -久保野 和行―


日本古来の芸能に落語があるが、その中でも「風が吹いたら桶屋が儲かる」。荒唐無稽のこじ付け話のストリー展開であるが、妙に納得する、だから落語と言えるのかもしれない。これと似た話をこれからするわけだが、その主人公はAKB48である。


つい最近、ギネス世界記録に認定された「最も多くのポップシンガーがフィーチャーされたビデオゲーム」がある。これで思い出されるのが2009年に出版された「もし高校野球の女子マネジャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(作家:岩崎夏海 ダイヤモンド社)が大ブレイクしました。




私自身、これまで多くのドラッカー本は読んだことはあるが、書店に並んだものは、表紙がアニメタッチのマンガ本スタイルに腰が引けたが、購入し一気に読みきってしまった。著者の岩崎氏の、その後のインタビュー等での発言で、AKB48そのものにプロジェクトに関わってきた体験がベースになっている。登場人物が、現実のアイドルに結びつく面白さが共鳴してベストセラーになった背景が良く分かる。


ここでチョットしたエピソードをご紹介します。
お正月に孫(小学校6年生)が来た時に、「もしドラ」を間違えてマンガ本と勘違いして、私の本棚から取り出したが、表紙のアニメから想像していないほどの活字の羅列に驚いて止めるかと思っていたら、あにはからんや最後まで読破してしまった。

感想は面白かったの一言である。本当かなァーと、チョット疑問に思い尋ねると、ドラッカーもマネジメントは良く分からないが、ドラマのストリーは理解したようだ。


岩崎氏が最初に手にしたドラッカー本、「エッセンシャル版マネジメント基本と原則」(P・F・ドラッカー著 上田惇生訳 ダイヤモンド社)。ビジネス界に最も影響力がある思想家として知られる。東西冷戦の終結、高齢者社会の到来をいち早く知らせるとともに「分権化」「目標管理」「経営戦略」「民営化」「顧客第一」「情報化」「知識労働者」「ABC会計」「コアコピタンス」など、主なマネジメントの理念と手法を考案し、発展させた人です。そのような偉大な人物の書いた本からヒントを得て、分かりやすい内容に脚色して展開した物語が「もしドラ」本です。





幾つかの著作物の中で2002年5月に出版された「ネクスト・ソサエティー:歴史が見たことのない未来が始まる」(ダイヤモンド社)がある。





興味を引いたのが政治にコントロールが利かなくなる。国民がダイレクトに情報キャッチできる環境が現出されると表現している。そのドラッカーが自らの出時目を語る文章がある。


私の名前のドラッカーはオランダ語で印刷屋を意味する。先祖は1510年ころから1750年ころまで、アムステルダムで印産業をやっていた。印刷業では長い間何も変化がなかった。16世紀始め以降19世紀にいたるまで、印刷業ではイノベーションといえるものは何もなかった。


偉大な経済学者のロジックの原点が、もしかしたら印刷業の発想DNAの起点かも知れないと考えると、妙に印刷人としてワクワク感を抱いてしまう。同床同夢の勝手な感覚に陶酔して、流行のアイドルAKB48に私自身が親近感を感じた。(終)