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印刷図書館倶楽部ひろば

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日本人の知恵「豆腐」と「納豆 -久保野和行ー

2012-12-17 14:32:19 | エッセー・コラム

日本人の知恵「豆腐」と「納豆」 

久保野 和行 (2012年11月23日 記)

 降って沸いたような総選挙が始まった。息が詰まる、今。日本の社会情勢の背景には、政治の混迷か、経済の停滞か、原発の環境問題化か、あるいは国境のないインターネット社会のグローバル化と、どれをとってもそれなりのロジックは成り立つが。間違いなく日本人が、自らの国家に閉塞感に覆われていることに嫌気が差している。

 一方では東日本大震災で示した「絆」のキーワードが、まだ捨てたものではない人情の機敏に触れ、安らぎと同時に誇りに思えてきたことは多くの国民が感じた。海に囲まれた島国の独特の文化と伝統を築き上げてきた。別の見方をすれば頑固で閉鎖的で保守的な民族と誤解される面も無きにしに非ず。しかし日本発の言葉が世界共通語で評価されることも見逃せない。「MOTAINAI」がナイロビの女性が発信して環境フラッグになりノーベル賞を受賞することになった。

 しかし最もポピュラーなものが「SEIRI」「SEITON」「SEIKETU」「SEISOU」「SITUKE」の5Sのキーワードこそ、モノ作りが行われている世界のどんな場所には根付いた。

 これの生みの親がトヨタ自動車工業の大野耐一氏である。最初の著書「トヨタ生産方式」(ダイヤモンド社)に出てくる内容が一般化したことで知られる。驚いたことに今でも売り続けている。1978年5月25日第一刷発行から2012年11月12日第108刷発行の隠れたベストセラーになっている。

 しかしこの本の中で私の気に入っている部分は、最後の締めくくりの文章が、最も印象深く記憶に残っている。その一説を列記すれば・・・・・

○古人の柔軟な頭に学ぶ
 話は思わぬところに飛ぶが、「納豆」と「豆腐」とは本来の意味からすれば、お互いに逆なのだそうである。江戸中期の儒者である荻生徂徠がその使い方をまちがえたのだとか、わざと入れかえたのだとか、諸説がある。東北や水戸の名産の「なっとう」は、本来は「豆腐」と書くべきである。豆を腐らしてつくるからである。いま私どもがいっている「とうふ」というのは、「納豆」というのが本来である。豆からつくって四角に納めたものであるからだ。しかし、「豆が腐った」と書いたのでは、だれも「なっとう」を食べたがらないにちがいないが、「とうふ」ならば、白くてきれいだから、「豆腐」と書いても、だれもまさか豆が腐ったものだとは思わないだろう。ということで、両方を反対に用いることにしたといわれる。日本の命名法には、そのほかたくさん面白い例が見られる。これは古来からの日本人独自の発想法でもある。・・・・・・・


 今流に言えばマーケッティングそのものであり、同時にネーミングのセンスのよさが見える。本来日本人は慎み深く、しかしどこかに粋を感じる洒脱な遊び心がある。
大野耐一氏は故人となっても、本というエキスから得るエッセンスは心地良い時間を作り出してくれ、これからも多くの人に語りつがれていくでしょう。