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印刷図書館倶楽部ひろば

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フィルム各社が創生した懐かしの芽生えカメラ市場

2016-04-22 13:43:56 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
「フィルム各社が創生した懐かしの芽生えカメラ市場」
 
印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-19
印刷コンサルタント 尾崎 章


第二次世界大戦終了直後より軍需用光学製品の生産を担当した国内外の光学各社は一斉に民生用製品へと生産体制をシフト、国内では1947年発売の距離計連動カメラ・ミノルタ35-Ⅰ型(千代田光学精工)を筆頭にニコンⅠ型(日本光学工業・1948年)オリンパス35-Ⅰ型(高千穂光学工業・1948年)コニカⅠ型(小西六写真工業・1948年)等々が相次いで発売される展開に至っている。

続いて1950年に理研光学工業が発売したリコーフレックス(5800円)が二眼レフ市場を創生、アルファベットのAからZまで有ったとされる製品名の普及型二眼レフ製品が各社より次々と発売され国内のカメラ保有率は飛躍的な高まりを見せている。

当時、写真大国で有った米国では、新規需要開拓として1950年代より「初めてカメラを持った子供が、写真を簡単に撮影出来る・芽生えカメラ」の需要創生が注目され、主役のコダックは「コダック・ポニー」ブランドでプラスチックボディのビギナー製品展開を開始して市場創生に成功している。
「コダック・ポニー」の成功を見てアグファ、富士写真フィルム、小西六写真のフィルム各社がこれに追随、フィルム需要を創生する「芽生えカメラ」グローバル市場が形成される事になった。


コダック・ポニー135



イーストマン・コダックの「コダック・ポニー」

イーストマン・コダックが製品化した芽生えカメラの代表的機種に「Kodak Pony 135」がある。35mmパトローネ入りフィルムを使用する当該機は、Kodak Anaston 51mm f4.53群3枚のトリプレットレンズを搭載、前玉回転式・目測焦点調節、B,1/25~1/200秒の4速シャッター等々の仕様を有していた。
機能は最小限度に簡略化されていたが、沈胴式レンズを採用する等、芽生えカメラ~初級者向けのニーズを対象としていた。
ファインダーは単純構造のガリレイ式で生産後60年以上を経過した今日でもクリァーな視野を維持している固体が多く半世紀前のフィルムカメラを楽しむ事が出来る。


富士フィルムの「フジペット」


カメラ各社より遅れて1957年9月に富士写真フィルムは、同社初の35mmレンズシャッターカメラ「フジカ35M」を発売、同年にブローニー(120)フィルムを使用する少年・少女向け芽生えカメラ「フジペット」(1950円)を発売して注目を集めた。
富士写真フィルムは、1948年にブローニーフィルムを使用する6×6判・スプリングカメラ「フジカシックス1A」でカメラビジネス参入を開始した関係も有り、芽生えカメラ「フジペット」でもブローニーフィルムを採用した。


フジペット


「フジペット」は、単玉・1枚レンズにも関わらず6×6 cmの大型画面サイズのメリットもあり1950円の芽生えカメラとしては想像できない、高いコストパフォーマンスを発揮して大ヒットに至っている。
「フジペット」は、東京芸術大学・田中芳郎教授による「シンプルかつ、先進的」デザインも高く評価され、後継機「フジペットEE」(1961年3800円)及び35mmフィルム仕様「フジペット35」と合わせたシリーズ販売台数は当時のカメラ販売台数記録を更新する100万台超を記録している。
「フジペット」の設計は、印刷業界とも関連深い甲南カメラ研究所が担当、シャッターチャージとシャッターリリースの2アクション操作と緩曲構造のフィルム面で単玉レンズ特有の像面湾曲収差を合理的に補正する等、性能及びシンプル操作面で高い評価を得ている。また、黒、赤、青、黄、緑、グレーの5色レザーバリエーションも時代を先取りした仕様として注目を集めた。


フジペットのフィルム室


「フジペット」の大ヒットで市場規模を再認識した富士写真フィルムは、2年後の1959年6月に上位機種として35mmフィルムを使用する「フジペット35」(4100円)を発売して中学~高校生向けの需要開拓を開始している。


フジペット35

「フジペット35」はフジナー45mm f3.5(3群3枚)トリプレット構成のレンズを搭載、B,1/25,1/50.1/100./200の4速シャッター等、「Kodak Pony 135」に対峙する性能を有していた。デザインは「フジペット」同様に東京芸術大学・田中芳郎教授が担当、黒・赤・緑の3色カラーバリエーションが用意された。
「フジペット」「フジペット35」は、団塊世代にとって懐かしの想い出カメラである。



コニカの芽生えカメラ「コニカ スナップ」


小西六写真工業は1953年に普及型カメラ「コニレット」を発売してカメラ需要拡大を図っている。5500円の当該機は専用パトローネ入り35mm無孔フィルムを使用、画面サイズ30×36mm、12枚撮りであった。


コニカ スナップ 


小西六写真では、「コニレット」を芽生えカメラでは無く普及型・サブカメラに位置付けており、1956年に改良型「コニレットⅡ」1959年にはセレン露出計を搭載した「コニレットⅡ・M」を発売、3機種合計のシリーズ販売台数は16万台弱と報じられている。
小西六写真では、当時のライバル富士写真フィルムが「フジペット」の大ヒットに続いて35mmフィルム仕様の「フジペット35」を発売するに至って対抗機種による当該市場への参入を決定している。

小西六写真は「35mmフィルム仕様・芽生えカメラ」として1959年12月に「コニカ スナップ」(4950円)を発売、「フジペット35」より850円高い「コニカ スナップ」は当時の協力会社・大成光機(後の山梨コニカ)が1957年末に発売した入門用カメラ「ウェルミー35M2」をベースに短期間で製品化を行ったカメラで、45mm f3.5のレンズにB.1/25.1/50.1/100.1/200の4速シャッターを搭載、ダイカストボディで「フジペット35」よりも大人びたデザインであった。
しかしながら、「ペット~ペット♪、フジペット♪、僕のカメラはフジペット、兄さんペット35,フジフィルムのフジペット~♪」のCMソングまで登場させた富士写真フィルムの「芽生えカメラ」ビジネスに対抗出来ず、「コニカ スナップ」は数年で市場から姿を消す展開に至っている。



アグファの芽生えカメラ・クリック

海外カメラ市場では、コダックの芽生えカメラ「コダック・ポニー」「コダック・ブローニー」に対抗してアグファ「クリック」(Click)が健闘した。


アグファ・クリック


富士写真フィルム「フジペット」と同様にブローニー・120フィルムを使用する画面サイズ6×6cmのプラスチックボディのカメラである。
搭載レンズは、72.5mm f8 固定焦点の単玉1枚レンズ、シャッター速度は1/50秒単速、2.5~4mの近接撮影を可能とするクローズアップレンズを内蔵、専用フラッシュガンもラインナップされていた。
1959年に発売された当機は1970年頃まで欧州で広く販売され、現在でも欧州各地の中古カメラ店で見かけるケースが多い。国内でも新宿の中古カメラ店で6000~8000円程度で販売されているアグファ「クリック」を見かけるケースが有る。



富士フィルムのキャラクターカメラ

富士写真フィルムは、東京ディズニーランドの開設に合わせて1983年頃より「ミッキーマウス」のキャラクターカメラを芽生えカメラとして数多く発売している。


フジ ハイ!ミッキーマウスMD

一例としては、「フジ ハイ!ミッキーマウス」(1989年5800円) 「フジ ハイ!ミッキーマウスMD」(1995年6300円)があり、1994年にはジャイアンツ、タイガース等の人気球団マークをプリントした「フジスマートショット ジァィアンツ」(3800円)に代表される「スマートショット」シリーズを発売、何れも33~35mm f8~9.5の広角レンズ、固定焦点、1/100単速シャッター、ストロボ搭載を基本仕様としていた。
当該製品は、レンズ付きフィルム「写ルンです」(1986年発売)とのオーバーラップも有り短期間で姿を消しているが小学生の「芽生えカメラ」としてニーズを満たしていた。
ジャイアンツ仕様の「フジスマートショット ジャイアンツ」阪神タイガース仕様の「スマートショット タイガース」は、巨人・阪神ファンにとって「垂涎の存在」となっている。


フジ スマートショット ジャイアンツ

(以上)










[印刷]の今とこれからを考える ≪月例会報告2016年3月度≫

2016-03-28 13:15:19 | 月例会
「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成28年3月度会合より)


●出版物の減少は果たして図書館のせいなの?

 出版業界が「新刊本の売上げが減っているのは、図書館による大量の貸出しが一因だ」と、一定期間の貸出し制限を申し入れた件は、「出版文化の根底に触れる問題だ」との“反発”が巻き起こって、未だに尾を引いているようだ。反発の理由をみてみると、①誰もが自由に書物から情報を得られるようにするのが図書館本来の役割、②部数の出ない専門書などでも購入しているのは図書館であり、出版業界全体を支えてくれている――に集約される。図書館が購入する本の冊数は、予算の削減もあって減少傾向にある。長期の景気低迷、消費性向の変化、さらにはオンライン通販や電子書籍の普及が重なって、図書館の利用者数、貸出本の冊数自体も減っている。しかし、それ以上に出版業界からの発行部数が落ちているのが現状である。 図書館を利用しない圧倒的多数の人たち(そのなかには書物愛好家もいて、必要とする本は自分で書店で購入している)が、出版物に対して高い評価をしていないことに原因があるのではないか?


●出版業界と図書館はこれからも手を携えて……

 図書館がもつもう一つの大きな役目は、書物に接する機会を設けることで本好きな人を増やすことにある。読書習慣を付けてもらえれば、そういう人たちは自然と書店に行って本を買うようになる。延いては出版部数が増え、出版社の売上げも高まる――このような視点を、出版業界はもつべきなのではないか? もし貸出し制限を強いるなら、それだけで本好きの人を育てる機会を奪うことになる。将来的に出版市場を縮小させかねない。出版文化を末長く保ちたいなら、出版業界は図書館を責めるのではなく、協力し合って真に本好きな読者市場を育てる努力をしていかなければならない。対立したまま読者を奪い合っている場合ではない。共存できる出版ビジネスの確立が急務だ。その前提として、出版社はベストセラー信仰から目覚めて、少部数であってもいいから多様な読者にとって価値のある本を発行し続けていく必要があるだろう。キメの細かいマーケティング志向が根底になければならないのはいうまでもない。


●印刷会社の「競争優位性」は思っている以上に強い

企業の「競争優位性」は、しっかりした事業領域の確立、製品やサービスの差別化、市場における独自のポジショニング、あるいは経営資源の効果的な展開、組織能力の向上などで発揮される。経営戦略、なかでも競争戦略の中心的な要素とされているが、製造業においては、抜きん出た技術、品質、生産ノウハウが優位性の根拠になることが多い。印刷会社は、果たして何をもって競争優位性としているのだろう? そのヒントとなる「印刷会社に対する顧客の認識」と題する論文が、アメリカの印刷産業団体PIAから発表された。その論文によると「印刷メディアと印刷会社(=プリンター)は、ビジネス・コミュニケーションのきわめて重要な要素として存続し続ける」といたうえで、印刷発注者である顧客企業でビジネスあるいはマーケティングを担当する経営幹部が「印刷会社のサービス提供能力は(自社の)社内印刷部門のそれをはるかに上回る。カラー印刷の製品品質、デジタル画像処理などの技術的能力が印刷会社の競争優位性を維持している」と評価する調査結果を紹介している。


●印刷会社の能力はあらゆる要素で社内印刷を凌ぐ

 調査した対象企業のほとんど全てが、この1年間に業務用もしくはマーケティング・コミュニケーションのために印刷メディアを活用したが、その86%は印刷会社に発注し、社内印刷の全面的利用は14%に過ぎなかったという。そして、社内印刷部門をもっている企業であっても、業務用の印刷メディアに関しては相変わらず外部の印刷会社に大きく依存しているのが実情だとしている。その理由は、主なものから順に製品品質、量的対応力、コスト問題、カラー品質の安定性/再現性と、ほとんど差がなく続く。印刷会社が社内印刷部門に比べて複数の優れた能力を合わせもっていると、顧客が認識 (規模の大きい企業ほど重視) していることを物語っている。実際にこれらの項目に関する問題の発生は、印刷会社の方が少ないという。さらに顧客は予算内納品、納期管理、コーディネーション(作業に必要な調整)といった印刷メディア製作のプロセスに関する対応でも、印刷会社の方が優れていると判断している事実がわかった。


●競争優位性を武器に、どのようなビジネスモデルを築くか?

最重要な競争優位性とみなされている技術力に関しては、「(ネット発注が可能な)クラウド印刷対応力」「先進的なカラー印刷技術」「先進的なデジタル画像処理技術」、そして「デジタル資産管理」が上位に並んでいる。製作プロジェクトへの献身的なサポート(取り組み姿勢)を見せてほしいと望んでいることも注視しなければならない。この論文は「印刷メディアはいまだに盤石のポジショニングを築き、社内印刷に対して明確な競争優位性をもっている」と繰り返し言及するとともに、「印刷会社にとって技術的能力はかなり重要な競争力の要素だ」と指摘してくれている。日本の印刷会社は、こうした調査分析をいかに受け止めて、自社の事業戦略=「競争しない競争戦略」に反映させていったらいいのか。紙メディア製作の強みを活かしながら、顧客ニーズに応えるマーケティング機能を組み込むことが肝要だとされるなかで、どのように自社のビジネスモデルを設計していくべきか――まずは土台づくりの再考を迫られる。
※参考資料=「FLASH REPORT」Jan. 2016, PIA; Dr. Ronnie H. Davis(Senior Vice President)


●デジタル資産管理で「コミュニケーションサービス」を

 デジタル化とネットワーク化が進展するにつれ、製品の品質は均一化する一方、サービスの内容は多様化の度を強めている。印刷メディアについても、サプライチェーンでの品質-コスト-納期の管理だけでなく、オンデマンド処理やクロスメディア対応も含めたバリューチェーン全体での管理へと、サービスの領域が広がってきている。価値を創造してくれるサービスや管理が、顧客が求める機能、提供してほしいソリューションとなっているのだ。デジタル資産管理により最適なサービス品質を供給することが、主要な課題となってきたことがわかる。顧客からみた有用な(意味づけの伴う)情報の加工/流通サービスにまで、管理の幅を広げる必要がある。印刷業における「情報コミュニケーションサービス」を再定義したところに、自身の存在意義を見出せるのではないだろうか? このコミュニケーションは、印刷会社と顧客との双方向の対話処理がなされて初めて成立する。アナログの特性とデジタルの特性を相互補完させ、新たな価値を提供できて初めて、印刷会社は「コミュニケーションサービスプロバイダー」になれるのだ。


●顧客と連係して価値を協創する「コソーシング」体制を

その価値は、顧客との協働・協創を通して、顧客へのマーケティングと社内のビジネスプロセスを一体化させることで生まれるものでなければいけない。顧客のシステムと印刷会社のシステムが連係し合い、顧客にとってあたかも自社の印刷業務部門であるかのように、印刷サービスを受けられる「コソーシング」の体制を築く必要がある。アウトソーシングで委託された情報加工処理、編集デザインで良しとしている場合ではない。高度なデジタル資産管理によって、顧客に知識と知恵をもたらす情報リテラシー、メディアリテラシーの先導者にならなければいけない。「顧客を起点に顧客の声を聞き、それに応える製品・サービスを創造して提供する」を実践している身近な例として、オフセット印刷とデジタル印刷の両方式を、さまざまな技術的手法によってハイブリッド運用している印刷会社が日本にある。小口分割印刷という新たなサービスを生み出し、1枚のムダもない適正在庫、極少部数の追刷り、掲載製品の仕様変更、特定ページの抜き刷りなどに自在に対応し、顧客から非常に喜ばれている。このような考え方、取り組み方こそ「印刷メディアの価値向上につながる」といってよい。

(以上)

ナショナルカメラから始まったパナソニックのカメラビジネス 

2016-03-23 15:22:47 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
ナショナルカメラから始まったパナソニックのカメラビジネス 

印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-18
印刷コンサルタント 尾崎 章


我国を代表する電機大手の松下電器産業は、2006年に1926年より使用していた歴史的ブランドである「ナショナル」を廃止、コーポレートブランドとして「パナソニック」への統一と同時に社名の「パナソニック」変更を行っている。
松下電器産業当時は、国内家電ブランド「ナショナル」、家電海外ブランド「パナソニック」、オーディオ製品「テクニクス」の3ブランド運用を長期間実施していたがブランド統一によるビジネス拡大等を目的にブランド統一を図っている。
「ナショナル」ブランド全盛の1978年に松下電器が「ナショナル」ブランドのフィルムカメラを発売してカメラ業界参入を開始、今日の「パナソニック・デジタルカメラ」の基礎を築いた事を知る人は少ない。


AMラジオ付ポケットカメラが最初のナショナルカメラ


1978年に松下電器はAMラジオ付きポケットカメラ「ナショナル・ラジカメCR1」を発売、カメラ業界への参入を開始した。


ナショナル・ラジカメCR1とフジ110ポケットフィルム


「ナショナル・ラジカメCR1」は、コダックが1972年に発売した110カートリッジフィルム(ポケット インスタマチック フィルム)を使用するポケットカメラで、110フィルムは17×13mmの画面サイズにも関わらずキャビネ判程度迄の拡大プリントが可能であった事より市場が拡大、コダックに続いて富士フィルム、アグファ、コニカ、キャノン、ミノルタ、旭光学 等々が様々なタイプの110フィルムカメラを製品化して市場ニーズに応えている。
なかでもAMラジオを搭載して突然に市場参入を開始した松下電器「ナショナル・ラジカメCR1」は、カメラ業界はもとより消費者を驚かせた。
松下電器は山形にレンズ生産工場を有しており、得意とするストロボ生産技術とラジオ生産技術を組み合わせて小型・高性能AMラジオとストロボを内蔵した110フィルムカメラの製品化を行っている。
松下電器は、1980年に改良型「ナショナル・ラジカメCR2」とフィルム自動巻き上げ機能を搭載した「ナショナル・ラジカメCR3」を発売してラインナップ強化を行っている。
カメラへのラジオ搭載は、1959年に興和㈱・電気光学事業部からカメラ付16mmフィルムカメラ「ラメラ」が発売されているが、松下電器「ラジカメ」の約20年前に発売された製品の為にラジオ自体のコンパクト化が難しく、更にサイズが制限される状況下では16mmカートリッジフィルム「ミノルタ16フィルム」を使用する16mmカメラの搭載が限界であった。


ナショナル・ラジカメCR1とフジカポケットカメラ 

「ナショナル・ラジカメCRシリーズ」では、本格的なスピーカーを搭載した事より一般的な110フィルムカメラよりもボディサイズが大きくなったが、ラジオ付という事で市場は受け入れた模様である。
松下電器では、ポケットカメラの主要需要層である若い女性、高校生・大学生をターゲットに設定、1970年にラジオ生産工場として建設された福島工場で月産1万台ベース(販売当初)の生産が行われたと報じられている。


ナショナル・ラジカメのラジオ部  


35mmコンパクトカメラ「ナショナル チャンス」

松下電器は「ラジカメ」に続いて1983年に35mmコンパクトカメラ「ナショナル チャンスC700-AF」を発売して35mmレンズシャッターカメラ市場への参入を開始した。


ナショナル・チャンスC700AF


本体価格44.390円と普及型MF一眼レフに近い価格の当該カメラは、撮影枚数、フィルム感度、電池消耗度をコンパクトカメラとして初の液晶表示を行う等、「電器メーカーらしい」特徴を有し、更にはLSIセンサーによって内臓ストロボが自動的にポップアップされる機能も設けられ、このストロボのアップダウンに超小型モーターによる電動駆動を採用してカメラ他社を驚かせた経緯がある。
レンズは、山形工場(天童市)製のオリジナルブランド「ナショナルレンズ」を搭載、35mmF2.8のテッサーテイブレンズ(3群4枚構成)は「なかなか」の描写性能を有していた。


ナショナル チャンスの液晶表示部 

松下電器は、1985年にデート機能を搭載した「ナショナル チャンス・クオーツデートCD-700AFS」(50.000円)と普及型「ナショナル チャンス・ジュニアC-500AF」(29.700円)を発売してラインナップ拡大を図っている。
松下電器・山形工場は、ガラスモールドの非球面レンズをプレス生産する世界トップレベルのレンズ生産技術を有しており、球面収差・歪曲収差等のレンズ収差を複数レンズで補正する光学設計を不要とする非球面レンズを一貫生産する事が出来る。
現在では、光学各社への非球面レンズ供給ビジネスも活発化しており、このレンズ技術と液晶、LSI,超小型モーター技術を組み合わせたカメラが「ナショナル チャンス」であった。


ミラーレス一眼レフ市場をパナソニックが創生


2008年10月にパナソニックは、世界初ミラーレス一眼レフ「パナソニック・ルミックスDMC-G」を発売して注目を集めた。オリンパスと共にデジタル一眼レフのフォーサーズ規格をミラーレス一眼レフ向けに改良・変更を行いレンズ・フランジの短いレンズによりコンパクト性に優れたミラーレス一眼レフの製品化を実現している。コンパクト性とコストパフォーマンスに優れたマイクロフォーサーズ・ミラーレス一眼レフは、女性需要を中心に短期間に市場創生が行われた事は周知の通りである。


パナソニック・ルミックスGF1 2009年度グッドデザイン金賞受賞

パナソニックとオリンパスよるマイクロフォーサーズ・ミラーレス一眼レフ発売を契機に各社よりミラーレス一眼レフの新製品が次々と市場投入される状況に至った今日、ミラーレス一眼レフの立役者・パナソニックのカメラ事業の原点が数機種の「ナショナルカメラ」にある事はカメラ史からも忘れ去られている状況にある。
ピーク年に年間650万台のデジタルカメラを生産・販売したパナソニックのカメラ事業はスマートフォンカメラ機能の影響によるコンパクトタイプ・デジタルカメラの市場失速の影響を受けて2016年3月決算期で年間180万台への減少を余儀なくされているが、高付加価値のミラーレス一眼レフへのシフトにより「シェアを追わず、採算重視の徹底化」が図られている状況にある。

 
CP+カメラ展のパナソニックブース 
 
 
(終)

月例会報告2016年2月度 (2016年2月18日開催)

2016-02-24 16:22:27 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 

        「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成28年2月度会合より)

●経済の成熟期における印刷産業の景気は?

 経済動向との関係で印刷産業の今後を展望してみようというユニークな視点の論文が、アメリカの印刷産業団体PIAから発表された。最近の米国経済は6年を超える長い間、好況裡に推移してきた。2015年次における経済成長率は約2.2%になると予測され、これは、2009年中頃に景気後退期が終わって以降の平均値にほぼ等しい数値である。それだけ長期間、好調を維持してきたことになる。世界経済が減速する気配を見せ、米国においても「景気回復から7年後には成熟期を迎える」という過去があるなかで、例え成熟期に入って弱含みになったとしても、成熟により獲得した体力(寿命)で「積極的な弾力性」(粘り腰)を見せられるはずだとしている。これまでに得た歴史的な経験を根拠に、そう分析する。印刷産業もその恩恵に預かって「20年間も待ち続けた最良の成長」を享受している。「印刷市場は驚くほどうまく機能している」そうである。


●Sweet Spotのメリットを享受できているか?

米国のGDPが2.0%増(2015年1~9月)に止まっていたとき、印刷産業の出荷高は3.5%の伸びを示すことができた。また、同国の製造業18業種のなかで、印刷業は出荷高、新規受注額、生産高、雇用者数の各指標で堂々1位を占めた。なぜ印刷産業は好調を持続できているのかについて、PIAは「経済の成熟期は印刷産業にとって“Sweet Spot”に当たるから」と分析する。製造業でありながら消費動向に左右されがちな生活産業の性格をもつ印刷産業の出荷高は、つねに経済動向に遅れるかたちで好不調を繰り返してきた。後退し始めるときは比較的遅く悪くなり、景気が回復するときは最後に良くなる。つまり、景気が落ち込まんとする時期(成熟期の最終段階)に、印刷産業の成長率がGDPを上回る期間がある。これをSweet Spotと称した。


●産業用印刷物はもちろんのこと、書籍まで!

 実際に、産業用資材であるパッケージ、ロジスティックス用印刷物、ラベル/包装紙は、GDPに追従して成長性を支える典型的な印刷品目となっている。また、販促用、マーケティング用の媒体となる商業印刷物も、その効果を発揮して成長性を保持している。製品ライフルサイクルの成熟期には、市場シェアの確保と利益の最大化、ブランド差別化のために広告宣伝に力が注がれるが、そのとき積極的に使われるのが印刷媒体である。そう考えると、経済成熟期の後半に印刷産業が潤うのも理解できる。さらに「印刷された書籍が元気を取り戻して、相対的にうまくやっている」という事実も、景気の良さから懐と心に余裕ができた消費者が、本を読んでみたいという気持ちを抱いてくれたことと無縁ではないだろう。 


●低成長になっても印刷産業はGDPを上回れる?

それでは、印刷産業はこれから先どうなるのであろうか? PIAでは、2~3年後の経済動向として①ムラのある低成長の持続(確率50%)、②平均的な穏やかな景気後退(25%)、③成長が加速する(25%)――という3つのシナリオについて考察し、「低速だが着実な成長」という可能性を、経営予測計画の基本にすべきだとしている。そして、もしも経済が低成長に終わったとしても(これがもっとも実現性が高い)、印刷産業の出荷高はGDPの成長率を上回る2%の成長を確保できると読む。しかし、悲観的軌道として景気後退が著しく深く進行するなら、それに引っ張られて恐らく年率でマイナス4~6%に下落してしまうだろう。そして、楽観的軌道だが、経済が何らかの方法で3~4%の範囲で成長し続けられるなら、印刷産業の出荷高は依然として年率3%、もしくはそれ以上の拡大を維持できるはずだと予測する。果たして……。
※参考資料=「The Magazine PIA」Jan. 2016; Dr. Ronnie H. Davis(Senior Vice President, PIA)


●印刷会社は「競争しない競争戦略」に取り組め


 アメリカの著名な経営学者であるマイケル・ポーターは、自著のなかで「競合企業と同じ市場を相手に同じような製品を販売しているかぎり、コストダウンや生産性向上によって対抗度を高めるしかない。やっと勝ち得た利益も、売り手の交渉力をもつ資機材の供給業者、買い手の交渉力をもつ顧客サイドに(取引価格を通じて)奪い取られてしまっている」と警告している。事業領域の特化、製品機能の高度化、顧客価値の追求など経営戦略の重要性を鋭く説いた指摘なのだが、印刷人として素通りさせてならないのは、その典型として印刷会社を事例に挙げている点である。こんな話を持ち出すまでもなく、印刷会社は今ほど「競争しない競争戦略」に取り組む必要がある。「ニッチビジネス」を掴んでいくしか生き残る道はないのだ。


●顧客価値を徹底的に提供する印刷ビジネスへ

「クラウド・コンピューティング」なるIT用語を、よく耳にする時代になった。しかし、「クラウド」の意味を深く理解している人はなかなかいないだろう。その意味には「雲」と「群衆」の二つがあって、前者は本来のコンピューティングに伴う意味、そして後者にはビジネス参画の拡がりを表す意味があるという。少額の資本をできるだけ多数の人たちから集めて開業資金にするとともに、事業にも参加し続けてもらう。もちろん、獲得した利益は配当のかたちで返してあげるのが大原則だ。今の若い人は誰でも、このような新しい“金儲け”の仕組みを知っている。実際に後者のかたちで事業を展開している若手の経営者から「印刷業こそリピーター(固定客)を相手に仕事をしたらよい。ムリに新規開拓する必要はない」といわれたことがある。その真理は――特定の得意先に有益な顧客価値を提供できるよう徹底的にサービスせよ、ということになる。ここで、ポーターの提言がつながってくる。


●「ニッチ」を掘り下げるためのビジネス設計を

印刷業はようやく、従来の受注産業から自ら仕掛ける産業へと変わろうとしているが、どうやってマーケットをつくっていくか、いかに顧客のお役に立つべきかといった具体策となると、なかなか進展しないのが実情である。課題は、紙メディアがもつ特有の機能とグラフィック・コミュニケーションを基本とする独自のサービス機能を、いかに結びつけるかにある。これらはいずれも他の産業にはない強みであり、いわば「ニッチ」である。しかし、両者を的確に結びつける方策=ビジネス設計が見当たらないところが悩ましい。プリプレスは情報加工と印刷工程をつなぐ重要な結節点ではあるが、顧客から「まだDTPをやっているの?」といわれている間は、ダメなのだ。DTPを売り物に、それ以降の製作を受注しているだけでは、まさに利益(付加価値)を奪い取られるだけである。競争は水平に位置する同業者とするのではなく、垂直関係にある取引先としなければならない。ポーターはまさにこのことに言及している。


●印刷メディアを基盤とする“ルネッサンス”を

大手広告代理店は旧来の事業内容に新しい形態のサービスを加えて、実に広範なビジネスを手掛けている。印刷産業はいつまでも“受注産業然”としていないで、産業全体でこうした方向をめざすべきである。一社々々はもちろん、それぞれの得意技を活かした領域に特化してニッチ市場で生き残りをはからなければならないのだが、バリューチェーンのなかで上流工程を狙った方が付加価値を獲得しやすく、得策だ。印刷生産技術だけを頼りに製品をつくろうとすればするほど、逆に立場を弱くしかねない。電子メディアという代替品が出てきても、印刷メディアの特質とノウハウを自ら開示して、顧客の協力を得ながら、その顧客を支援しながら一緒にやればいい。電子メディア×印刷メディアのハイブリット型の「情報」を、マーケティング視点で提供していきたい。「紙」を土台とする印刷メディアが不動のビジネス基盤であることは否定しようがない。せっかくの素材を手元に確保しながら、印刷の“ルネッサンス”を巻き起こすことを期待したい。そのとき異業種の参入を許して席捲されていないことを……。

ピッカリコニカ・コニカC35EFが創生したストロボ搭載カメラ市場

2016-02-17 15:25:16 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
『ピッカリコニカ・コニカC35EFが創生したストロボ搭載カメラ市場』 

印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-17
印刷コンサルタント 尾崎 章



1974年にコニカ・小西六写真工業(現・コニカミノルタ)が民生用としては世界初のストロボ搭載カメラ「コニカC35EF」を発売して注目を集めた。


コニカC35EF
 

コニカが1968年に発売したコンパクト35mmカメラ「コニカC35」は、カメラ携行性問題解決と簡単撮影を実現した自動露出機能により「手軽に撮影できるカメラ」として女性需要層を核とした新規需要創生に成功し販売台数62万台のヒット製品になっている。
「コニカC35」ヒットの背景には、当時の国鉄が企画した旅行キャンペーン「ディスカバージャパン」効果による女性旅行ブームに伴う小型カメラの需要増が有り、更に当時の流行語にもなった人気のグループサウンズボーカリスト:井上順さんによるTV・CM「ジャ~ニ~ コニカ」効果、そして小型コンパクトカメラとして十分な基本性能を有していた事が挙げられている。

コニカは、「コニカC35」に続いて室内撮影需要に応えるべく小型ストロボを搭載した「コニカC35EF」を製品化、「コニカC35」同様に井上順さんによる「ピッカリ・コニカ」「ストロボ屋さんゴメンナさい」のCMをベースとした販促展開を実施、「コニカC35」を超える販売台数100万台超の大ヒットに至っている。

「コニカC35EF」は、高圧電流を使用するストロボ搭載による感電対策も兼ねてプラスチックボディを採用、ストロボ用の乾電池も含めてボディ重量340gと従来の金属ボディコンパクトカメラと比べて半分レベル迄の軽量化も実現している。
「コニカC35EF」の成功により競合カメラ他社も次々と同一仕様のカメラを製品化して追随を図り、短期間に「ストロボ搭載」「プラスチックボディ」が小型カメラの業界標準仕様となった経緯がある。


フラッシュからストロボへ


室内写真撮影用の補助光源としては、閃光電球・フラッシュバルブを使用する発行装置・フラッシュガンが1960年代まで広く使用されていた。


フラッシュガンを装着したミノルタV2  


閃光電球・フラッシュバルブには、レンズシャッター用のM級とフォーカルプレーンシャッター用の発光時間が長いFP級が有り、其々にモノクロ用のクリァーバルブとカラーフィルム用のブルーバルブが製品化されていた。
国内閃光電球メーカーは、東京芝浦電気(現・東芝)と松下電器産業(現・パナソニック)があり、当時の製品価格例としてはM-3(M級小型)5球入り・210円であった。


標準型と口金無AG型のフラッシュランプ 



閃光電球の展開は、電球の口金を省略した小型閃光電球(AG型)が開発・製品化され閃光電球・フラッシュバルブの携行性が大幅に向上、カメラ各社も自社カメラとの適合性を重視した小型フラッシュガンを製品化して当該需要に応えている。
AG型閃光電球の当時価格は、レンズシャッター用AG-1(クリア・10球入り)240円、AG-1B(ブルー・10球入り)260円で、口金型閃光電球同様にフォーカルプレーン用・AG-6,AG-6Jもラインナップされていた。



専用AG型ペンフラッシュを装着したオリンパスペン  

AG型・小型閃光電球に続く閃光電球・フラッシュバルブ展開としては、1970年に米国シルバニア社が開発した小型AG球4個を直方体の4面に埋め込んだ発光器・フラッシュガン不要の「フラッシュ・キューブ」がある。「フラッシュ・キューブ」はカメラボディに設置されたソケットに差し込むだけで4回のフラッシュ撮影が出来る簡易システムとしてカメラ各社の注目を集めた。
カメラ各社は、「フラッシュ・キューブ」を当時の初心者向けカメラとして注目を集めていたコダック126インスタマチックフィルムカメラ及びアグファ・ラピッドシステムカメラ等に採用、当該フィルムを使用するカメラの大部分に「フラッシュ・キューブ」ソケットが搭載される展開を示した。


フラッシュ・キャーブ付 コダックインスタマチックカメラ 


しかしながら、上級者向けカメラ及び一眼レフカメラへの普及は無く、グリップオン型小型ストロボ及びストロボ内蔵カメラの台頭により過渡的な存在化を余儀なくされている。



ストロボメーカーの苦戦

カコストロボ(東京・品川)サンパックコーポレーション(東京・大田)に代表される国内写真光源各社は、1963年より小型ストロボを製品化して積極的なビジネス展開を開始している。
特にカメラ上部・軍艦部のアクセサリーシューに取り付けるアマチュア向けの小型ストロボ市場が拡大、「カコストロボ」は小型ストロボの代名詞的存在となる程の展開を示した。
しかしながら、「コニカC35EF」(ピッカリコニカ)を契機とするコンパクトカメラへのストロボ搭載の標準化により一般アマチュア向け市場が一気に終息する厳しい状況を迎える事態に陥っている。


カコストロボを装着したヤシカハーフ17 



カコストロボ㈱は1970年代末に経営破綻を来たし、ストロボの主要パーツであるコンデンサを供給していた日立コンデンサ㈱(現・日立NIC)が事業継続を図ったものの1977年にはプロペット㈱に事業譲渡を行い当該市場よりの撤退を余儀なくされている。
井上順さんの「ストロボ屋さんコメンナさい」のCMフレーズが文字通りに具現化する展開に至っている。

一般用小型ストロボからプロフェッショナル・業務用ストロボへのシフトを先行したサンパックコーポレーション㈱は現在も当該市場で事業継続を図り、東京・目黒区上目黒に本社・工場を有した㈱ミニカムは、現在も当該地で㈱ミニテクノとして業務用ストロボ製品の製造販売ビジネスを展開、旧社名のミニカムはビル名及びマンション名として継続されている。1970年代には、同社の通りを挟んだ反対側には、印刷会社・㈱文星閣(東京・大田区)の本社・工場があり、㈱ミニカム社屋前を通って㈱文星閣を技術サポート訪問した経験がある。
ミニカムは大型フラッシュガンの市場で高いシェアを有し、筆者も学生当時に「ストロボは光量不足」としてミニカム製のフラッシュガンを使用しており、目黒の㈱ミニテクノ社、ミニカムビルは懐かしの存在である。


ミニカム社製 大型フラッシュガン




初のストロボ搭載一眼レフは、フジカST-F


一眼レフへのストロボ搭載は「コニカC35EF」の2年後、1976年に富士フィルムの小型一眼レフ「フジカST-F」によって実現されている。


フジカ ST-F 


世界初のストロボ搭載一眼レフ「フジカST-F」は、レンズ固定、ミラーシャッター方式を採用したコンパクト一眼レフで前述「コニカC35EF」と大差の無いボディサイズであった。
「フジカST-F」は29.800円の低価格にも関わらずフジノン40mm f2.8(3群4枚)の準広角レンズは描写力も高く、「コニカC35EF」に迫る360gの軽量性等々、価格を卓越したコストパフォーマンスを有していた。
「フジカST-F」は現在でも楽しめるコンパクト一眼レフであるがペンタプリズムが溶解した保護クッション剤によって腐食され、ファインダー視野にダメージが発生している確率が高い事が残念な現象である。
レンズ交換式一眼レフへのストロボ搭載は、1986年発売の「オリンパスOM707」がカメラグリップ部にポップアップ式の縦型ストロボ搭載を行っているが、現在のデジタル一眼レフが数多く採用しているペンタプリズムカバー部へのストロボ搭載は旭光学(現・リコーイメージング)が1987年に発売した「ペンタックスSFX」によって製品化が図られている。


ペンタックスSFX 



「ペンタックスSFX」はペンタプリズムのボディ埋没化によって生じた空間にストロボを設置する手法でストロボ内蔵を実現している。
「ペンタックスSFX」以降、普及型及びファミリーユースの一眼レフはペンタプリズムカバー部へのストロボ搭載が標準仕様となり、今日のデジタル一眼レフでも当該仕様は受け継がれている。



フラッグシップ一眼レフはストロボ非搭載が基本ルール?


「ペンタックスSFX」以降、各社はペンタプリズムカバー部にストロボを搭載した一眼レフの製品化展開を実施しているが、旗艦一眼レフ「フラッグシップモデル」と称されるプロフェッショナル向けの製品にはストロボを搭載しない暗黙のルール?が存在している。
日本光学(現・ニコン)のフィルム一眼レフ・フラッグシップモデルである「ニコンF4」(1988年発売) 「ニコンF5」(1996年発売)そして現行製品「ニコンF6」(2004年発売)は何れもストロボ非搭載である。
同様にキャノン製品も「EOS-1N」(1994年発売)現行製品の「EOS-1V」(2000年発売)共にストロボは非搭載で両社の方針はデジタル一眼レフにも共通しておりニコンのデジタル一眼レフのフラッグシップモデル「ニコンD3」,キャノン「EOS-1」シリーズ共にペンタプリズム部へのストロボ搭載は無い。
一眼レフ・フラッグシップモデルへのストロボ搭載例としてはミノルタカメラ(現 コニカミノルタ)が1998年に発売した「ミノルタα9」が唯一の例である。


ミノルタ α9




ニコンF6と専用ストロボ



「ミノルタα9」はミノルタカメラが万全を期して発売したプロユースのフィルム一眼レフでペンタプリズムにガイドナンバーG12のストロボを搭載した。この展開に対して写真業界で賛否両論の騒動が起こり、カメラ雑誌「アサヒカメラ」では「ワイヤレスストロボを使用した多灯撮影時の信号用ストロボとして有効」とのフラッグシップモデルへのストロボ搭載を支持したものの、「ストロボ撮影は本格ストロボで」とするプロ写真家の多くは否定的発言に固執した。
確かに、ストロボの高さが制限される内臓ストロボでは、ズームレンズのフードで発光が「ケラれる」問題もあり本格使用では制限を多々受けるが「有れば便利」な機能には変わりなく一部写真家の固定概念が問われる問題に至った経緯がある。