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山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

色麻町愛宕山のあじさい園 7/1撮影

2009年07月04日 | ドライブ
「おかっぱさま」で知られる色麻町。
愛宕山公園の「あじさい園」は今週、満開を迎えています。



背丈ほどのあじさいが咲き乱れるさまは、感激です。
本当に、きれい♪



いつもドライブがてら横を通っていたのに、今回が初めての来園でした。
園内には1万7千本のあじさいが咲き乱れ、感激しました。

園内は広く、6月は10,000株もの芍薬の花が見事なのだそうです。
また、平成13年には全4コースのパークゴルフ場がオープン。
平日にもかかわらず、クラブを振っているご夫婦の姿などあり、楽しそうでした。



色麻町にはこんなお話が残っています。 


 昔、このあたりに住んでいた河童がお姫さまに一目惚れしてしまいました。
河童はお姫様の気をひきたくて、お姫様の住む屋敷に通い、魚やキュウリを毎夜届けていましたが、お姫様は河童が毎夜嫌がらせに来ていると思い込み、気味悪く思い怯え眠ることができませんでした。
これを聞いた若侍は「私がその河童を退治しよう」といい、姫の着物をかりて、館の前で待ち伏せをしました。
そうとは知らない河童は姫に会いたい一心で館に忍び込んできました。
その瞬間、侍は河童の腕を刀で切り落としました。

 あわてた河童は、「もうお姫様に会わないから、どうか腕を返してほしい」と一心にたのみました。
侍は切られた腕を返せとは、どういうことかと不思議に思い河童に尋ねました。
すると河童には河童膏という秘薬があり、それを塗るとたちどころにどんな傷も治るというものでした。侍はこの河童膏を受け取り、腕を返しました。
 その後、侍はこの河童膏のおかげで戦にでてもすぐ傷が治るので、大変活躍し多くの手柄をあげたそうです。


 今から1200年前、坂上田村麻呂将軍が、東夷征伐の折、その先導をつとめた河童東右衛門という男が町内の一の関地区に永住しました。
その後、子孫たちによって祀られた磯良(いそら)神社は、一名河童大明神と呼ばれています。
 神社のうしろを流れる河童川から東右衛門の家に、河童が挨拶に来たそうです。
河童様にあげないうちには、キュウリは食べてはいけないといって、初物キュウリは必ず川に流す風習が、現在も続けられているとか。
 河童が挨拶にきたという東右衛門の子孫は、代々河童川の姓を名乗るお河童さまの神主さんです。
 今も、河童川は鳥居のあたりから西に流れ、河童邑も残っています。




愛宕山には、神社がありました。



5月~11月の土日祝日には、地元でとれた新鮮な野菜や花卉などが販売されているようです。
またレストラン「ふるさと」では、ステーキが食べれますが、メニューを見たところ、残念ながら、地元の牛肉とは違うようでした。



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