実は私は 第1話 告白しよう! と 第2話 秘密を守ろう! △(+)
おんなのこのひみつ
「秘密」ってなんだろうね、私みたいなオッサンになると
もうこの世にはないんじゃないかっていう傲慢と偏見でいっぱいになるからね
「設定的な秘密」(吸血鬼・宇宙人・オタク・腐女子etc・・・)や
「惚れた腫れた」的な秘密、いずれもうんざりするぐらい享受してきたわけで
あとはその「描き方」の問題だってなっちゃうわけで
さて、当作品がそれ程に高品質な描き方かどうかっていうと
ずばりそんなことはないわけで
ただ、ポーカーで全部の札をオープンにして次にツモる札に全てを賭けるような
そういう嫌味も衒いもないよさがあるね、「ただ視聴する」のに適している
ヒロイン陣の「実は」の秘密の開示でハナシが半分消化しちゃうから
あとはその「設定」がどう生きてくるかがせわしなくて、むずかしいとおもう
のんのんびより りぴーと 第1話 一年生になった と 第2話 星を見に行った △++
直進40km
カメラがロングになってるだけで「おっ」とか思うボク、ちょろいなあw
空間がたっぷりあるからそこを移動する時間や感覚
道に標しを残すこと、それら全てに意義が生じる
「狭い」場所だと「なわばり」とか「悪戯書き」になるそれが
こちらでは肯定的な意味になるそういう価値観の転換
れんちょんが小学生になって新しくもらったアイテムに目を輝かすとこを
描くのがすごいね、人類が「道具」を初めて手にしたときの原始的な驚きに
近いような感覚とでもいうのかなあ、そういうやつ
そして2話目ではその道具でいろいろ「遊ぶ」のがよい
与えられた「遊び」ではなく自分達でつくりだす「遊び」
ほたるんとこまちゃんの天体観測もよいね
「星座」とかにしばられないのんびりした物見
誰かと心を開いて話す愉悦、そして夜の闇のこわさ(と自販機の灯りの強さ)
当作品「ちょっとココロの深いところ」で見られる作品なのんな
うしおととら 第1話 「うしお とらとであうの縁」 △+
アニメ化が20年遅かったのか作品が20年早かったのか
まあやってくれるんなら文句もないです
しかしまああれですね「昔の作品を今の画におこす」って
やるだけでちょっと特殊な意味を有しますね
無駄を排除しまくった経済的なアニメーションの画とはちがって
「何かを籠(こ)めた」かんじの画だ。
ちょっととんがったやぼったい感じの潮が現役中学生といった感じでいいね
ナマっぽい中学生を上手に描くのって難しいからねえ
とらさんの「バカめ、解放されたら人間を喰ってやる!」とか
ぶっちゃけるのがその純朴な中学生と釣り合いがとれていてよいですw
あとは「獣の槍」ですわなあ、横文字とは縁もゆかりもない
無骨なつくりがかえって「新しい」かとおもう、そういうなるべく
「正直なところでやる」って態度がオトコノコとしてはすきです。
モンスター娘のいる日常 第1話 ラミアのいる日常 △(+)
ただの「ハーレムもの」尾ひれがついたようなハナシだわな、文字通り
「規制委員会」みたいな人がきても「ラミアですから」って言っておけばせふせふ
あとは「異人」を受け入れる時の摩擦がハナシを進めるだろう、という
ラミアらしく尾っぽで男を拘束するのがよい、精神的ではなく
物理そのもで拘束されることのいけない快感に満ちているねえ
ちなみにボクは健全なのでそういう趣味はありませんw
GANGSTA. 第1話 NAUGHTY BOYS △+
高低差のある街に抜けるような青空が異国情緒満載ってかんじで
ここなら非拳銃社会の当邦から離れてバカンス気分でバンバンできるというもの
うちの国なら「なわばり」とか気にしてこそこそやるとこを
ドラッグのチカラを借りてヒャッハーして掃除屋さんに始末されるのが
もうなんか定型化してはいるけどまあ開放感がないではないわな。
だいたい「やっちゃ駄目なこと」やってるけど吃音者を主人公に据えるのが
チャレンジだね、吃音で刑事を恫喝するシーンにおしっこちびっちゃう
加えて「電話番」を雇う理由にもなり、そういう倫理観をはじめとして
何もかもが欠けている、そういう自由がある。
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