皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

苦悩の10年

2015-02-06 21:46:43 | 認知の歪み

まだ40年しか年齢を重ねていないのですが、その40年を10年ごとに区切ると30歳から40歳が最も苦悩した10年でした。

簡単な言葉で表しますと、現実的な問題に直面し続けてその事を思考によって乗り越えようとして挫折して、状態が悪くなったところで薬により強制的に思考停止状態に陥らせて凌ぎ、再び現実的な問題に直面する。

私は「発達障害」という言葉を与えられた時、「全ての問題は自分にある」と解釈しました。

私にとっては私の思考の癖そのものを修正しないと類似問題に直面し続ける、という点は事実だったと思います。

それは、誰かに言われて何とかなる物ではなく、自分自身で体験して考えて、納得してはじめて得られる何かなのでしょう。

私の通ったルートは、正しかったのか?間違っていたのか?

無駄な時間を費やしたのか?未だにそうなのか?

答えは見つかりませんが、答えを求める生き方に変化が与えられたような気はしています。


投薬を拒否した時期もありました。

私は基本的には急性期以外の精神障害に対する投薬に否定派です。

否定している点は、「効能は対処療法として効果的な点が多いが、副作用による疑似精神障害が発生する可能性が遙かに優性」であるということを、自分の身体では気づいているからです。

ですので、投薬によって効果が出ている方はそれでいいと思っています。

事実、私自身も否定しているのに自分自身が飲み続けていますし、確実に効いています。

今の私の場合は、暴走を抑える為に一時的にブレーキをかけるという点が一番の効能です。

ですので、現実問題を解決するのは私自身です。


この2年と数ヶ月、生きていくために仕事をしてきました。

私の年齢になると当たり前のことですが親は年老います。

もうすでに親の介護をしていてもおかしくない年齢なのに、自分の生活すらままならない稼ぎしか得ることができない自分自身の不甲斐なさを嘆いたこともありました。


私が生きていくということを、とてもシンプルに考えました。

収入が少なくて生活が苦しいなら、消費を減らそう。

 

 

私は接客業をしています。

接客業の基本は「感謝」だと思っています。
捉え方で言葉は変わると思うのですが、言葉で書くとそういうことです。

 

こんな私にも欲があります。
実は24歳の頃の体力を取り戻したいと思っています。
その頃は渓流調査の仕事をしていました。
毎日山に登って、土石流の危険がある渓流の調査をする仕事です。

目的は日々楽しく生きることにシフトしましたが、目標は持っていたいです。
今年は地元で一番高い山に登ることを目標にしたいです。

私自身が8歳の頃に登っていた山です。

この目標に向かっていきたいと思います。

 

話がまとまらなくてすみません。


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