プラムフィールドからのお便り

プラムフィールドでの出来事などを紹介していきます。                            

私が車に無頓着な訳を、若い時から振り返ってみた。

2015-10-01 | 社長のつぶやき

車には無頓着な性質だ。

 

お客さんの車は数え切れぬほど洗車をしてきたが、

私の人生の中で、自分の車を自ら洗車した事など、片手で足りるだろう。

 

昔のエシマ自動車の事務所は鉄製の重たい扉だった。

力を込めて閉めないときちんと閉まらない代物だった。

外回りに出かけようと自分の車に乗り込み、ドアが閉まってないのに気付くと、車でゴツンと閉めていたものだ。

それが買ったばかりの新車であってもだ。

 

ある時は、

遮断機が下りた踏切の一番前で踏切停車をしていたのが友人の車だと気付くと、

後ろから近づき、車で友人の車を押し、踏切に押し出そうとアクセルを踏み込む遊びをしたりした。

あ、これは先にその友人に同じことをされた仕返しである。

 

「危なかやんか!」

 

友人は烈火のごとく怒るが、お互い様である。

ただし、こいつも私と似た性分だ。

お互い、車が凹んだことについては、一言も文句を言った記憶はない。

無論弁償もしていないし、されてもいない。

 

いずれも20代の事ではある。

その後、結婚してさすがにこういう事は影を潜めた。

 

決して車に興味がなかったわけではない。

むしろ休みの日は、自分の車のチューンナップばかりしていたくらいだ。

車の価値は性能のみであると思っていた。

 

車屋としてあるまじき性分だ。

だが、

こういう性分になったのは、むしろ自動車修理を生業にした事に起因する。

 

例えば、側面の大事故を修理して引き渡したら、後日、

 

「ドアの隙間が反対側と0.3mm違う。」

 

耳を疑うが、3mmではない。

 

0.3mmである。

 

ノギスで測ったようだ。

私もノギスで測った。本当に0.3mm違っていた。

当時の車は、新車でこれ以上の誤差は普通にあったにも拘らずだ。

あれだけの事故を修理させといてよく言うぜ、と思ったが、やり直した。

 

このように過度に車の外観にこだわる人に何度も接してきた。

その事への無意識の反発だったような気がする。

 

 

長く語りすぎた。

 

そんな私が、今回初めて自分で自分の車を買った。

会社名義ではない車に初めて乗る。

 

 

 

 

きっと、過度に車を大事にするユーザーになるに違いない。

ノギスを買っておこう。

 

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