プラムフィールドからのお便り

プラムフィールドでの出来事などを紹介していきます。                            

牡鹿地区へ

2011-08-12 | 東日本大震災

牡鹿半島の先っぽとも言うべき場所にある、「牡鹿家族旅行村」に着きました。

東北とはいえ、真夏の太陽がぎらぎらと照りつける中、貸与式が行われました。

このプロジェクトは、石巻市長からのキャンピングカー貸し出し要請を受けて、動き出した物です。

私も、協会から通知が回ってきた時に、我々らしい支援の仕方だと思い、すぐさま賛同して参加する事にしました。

ここにプールされた車の他に、すでに数台は各地で使われています。私どもが供出したアドリア社のトレーラーも、ここでいったん待機です。

キャンプ場の管理棟内でセレモニーが行われるため、準備中です。

ぎっくり腰の役立たずの私は、なにも出来ませんけど。

当プロジェクトリーダーの増田(レクビィ)さんから、NPOキャンパーの代表の方と、牡鹿総合支所長へ純金(うそです)のキーのレプリカが渡されます。

地元TV局を始め、雑誌社などの取材陣も来ていて、パチパチとカメラのシャッターが切られます。

 

その後場所を変え、実際に使用されている現場に向かいました。

ここです。

野菜や、魚、生活用品などが売られていました。

キャンピングカーは、ここで働くボランティアの方の、休憩所件宿泊施設として使われています。

全国各地からボランティアの方が来ていて、中には北九州の教員の方も。

震災でラベルがはがれたりして売り物にならなくなったお酒も、ここで売られています。

 

復興のシンボルとして植えられたのでしょう。ヒマワリがこの市場の回りの路上に植えられています。

充分な台数でもないし、私どものキャンピングカーがどれほどの役に立つのかわかりませんが、お気兼ねなくお使い下さい。

これからも、できる限り支援を続けて行きたいと思います。

そして、真夏の太陽に顔を向けてたくましく咲くヒマワリのように、元気に復興して下さい。

 

ランキング参加中です。↓クリックよろしくお願いします。
にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへにほんブログ村


被災地を訪ねて

2011-08-11 | 東日本大震災

 9日と10日、私どもが属する日本RV協会の復興支援プロジェクトの一環としての、キャンピングカーの無償貸与の為、東北に行ってきました。

9日は松島泊まりで、ミーティングなどがありましたが、私は、一人石巻に住む、亡兄の家族に会いに行きました。

 予想していたより、復興は進んでおり、兄の家の周囲などは震災の爪痕を見る事はあまりありません。僅かに津波で被害を受けた店舗が、空き店舗のままになっているのが目立つぐらいです。

しかし、海のそばの地域に義姉に案内されると、息をのむ光景が広がります。

 見渡す限り、破壊された建物と、倒れた電柱、折れ曲がった標識、基礎だけ残った地面が。

 潮にやられたのでしょうか、ひしゃげて、赤さびてしまった建物。

 何かの施設の跡でしょうか、3階部分まで津波が襲った事が、見てとれます。

「もうこの辺りに住んでた人は戻れない。土地の買い上げの話なんか、何時からやるのかしらね。」

義姉の言葉は続きます。

「しばらくは遺体があちらこちらに放置されていて、それもむごたらしい姿でね。」

 

 

この日の泊りの『大観荘』。7時頃、石巻より帰着。

支援で来ている全国各地の警察官が、このホテルを宿舎にしていました。

早朝5時過ぎには完全装備で、ホテルを出ていっていました。御苦労さんです。

 

10日は牡鹿半島にある「牡鹿家族旅行村を目指します。ここにいったん私どもが供出したキャンピングカーがプールされているからです。

メンバーは数台に分かれて、車で移動します。

車窓からの画像。うずたかく積まれた瓦礫の山。

この船は海からかなり内陸の方に流されていました。

石巻市内と比べて、この辺りまで来ると復興の遅れが目につきます。

ここは、鮎川漁港。

まさにここは2年前に訪れたところです。

当時の面影は『ホエールランド』の施設を除いて、微塵もありません。

参照→奥の細道

(あの時は、このスタンドで燃料を入れたな。ここにあったコンビニでお茶買ったんだよな。)

すべてがなくなっていました。

ここなども、遠くに見える4階建てのアパートとおぼしき建物の、3階部分まで津波が上がった事がわかります。

車中、

「・・・・・・・・」

皆、言葉も出ません。

道路の端には、いたるところに養殖用のブイが積まれていて、養殖事業の壊滅的な様がわかります。

 

次回は、キャンピングカーの貸与式の様子など、お知らせします。

 

ランキング参加中です。↓クリックよろしくお願いします。
にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへにほんブログ村


フェリーに乗って

2011-07-31 | 東日本大震災

我が社のアドリア390DS君は、今日フェリーに乗って、東北まで旅立ちます。

先ほど門司港の東急フェリーに乗せました。

この船です↓

東京からは陸路、石巻まで運ぶ手はずになってます。

ちゃんと仕事して来いよ。後で行くからな。

 

ランキング参加中です。↓クリックよろしくお願いします。
にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへにほんブログ村


石巻へ

2011-07-30 | 東日本大震災

私どもが属する日本RV協会は、東日本大震災への復興支援プロジェクトを立ち上げています。

私どもらしい復興支援は何か、という考えのもとに活動しています。

すでに協会として、キャンピングカーの無償貸出を行ってきましたが、今回石巻への貸し出しにわが社からも、アドリアを提供することにしました。

避難所から仮設住宅への引っ越しが済むまでの、仮の住居として使用していただきます。

すでにエアコンの設置や点検も済ませ、トレーラーだけは明日フェリーに乗せて石巻へ出発する事にになっています。

私も来月の10日に石巻に伺うことになりました。

どのような方々がお使いになられるかわかりませんが、狭くてご不便をおかけしますが、どうぞ気兼ねなくご使用ください。

 

ランキング参加中です。↓クリックよろしくお願いします。
にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへにほんブログ村


姪っ子との電話

2011-06-10 | 東日本大震災

今回の震災により被災した石巻の姪へ久々電話をかけてみました。

「おう、どうや、元気か。」

「うん、元気。」

姪の家は津波にのまれ、震災当初は「もう住めないだろう。」と言う事でしたが、その後なんとか全壊をのがれていて、大変な片付け作業の後、修理にかかっているとの事でした。

「家の修理も大体終わった。」

「傾いたりしとらんやったか?」

「大工さんから測って貰って、傾いてるけどなんとか大丈夫なんだって。」

火災保険から修理費の全額とはいかなかったけど、ある程度出たらしく

「あと義援金から〇〇万円もらえるって。」

この義援金に関しては被災者への配分が遅れていると問題になってますが、とにかく迅速な対応が必要ですね。

「仕事も再開して、今は働けるようになった。」

「そうか。だいぶん、もとどおりになってきたって事か。」

被災地になかには、まだまだ水すらきてない地域もあるようですが、少なくとも、石巻はライフラインや様々なインフラの復旧と併せて、少しづつ経済活動も動き出しているようです。

 

永田町に棲む魑魅魍魎どもが自分らの足元だけを見て騒いでいる中、被災地の方々は懸命に頑張っていますね。

ランキング参加中です。↓クリックよろしくお願いします。
にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへにほんブログ村


深夜の電話

2011-04-08 | 東日本大震災

昨日の深夜1時頃、寝静まった我が家に携帯が鳴り響きます。

「・・・・?」

寝ぼけ眼をこすりながら、

「もしもし、もしもーし・・・?」

ツーツーツー

「誰?」(家内)

石巻の姪からです。嫌な予感がした私は何度もかけなおしますが、不通のまま。

11時前に床についた私は、またもや東北を震度6強の地震が襲った事など知る由もなく、不安ながらもそのまま朝を迎えました。

朝になってその事を知った私は、もう一度石巻へかけなおしました。

トゥルルル・・・お、今度は繋がるぞ。

「もしもし・・・」

「あーよかった。みんな大丈夫か?」

今回のほうがむしろ震災当日より怖かったようで、不安のあまり、深夜にもかかわらず私に電話をかけた事を詫びます。

バカ、そんなこと気にすんな。

でも、無理もないですね。あの恐怖を体験した直後ですからね。記憶がよみがえったのでしょう。

「津波がまた来るって言われて・・・。そしてまた、電気も水道も止まっちゃって・・・。」

振り出しに戻りました。

「大丈夫、今度は前みたいに長くはかからんよ。」

母親と姉妹だけの家族。色々と心細いことでしょう。

何度も久留米に来いって言ってるんですがね。住むところもちゃんとあるし。

でも、地元を離れる事が、どうしてもできないようです。

 

もう一度考え直せよ。いつでもいいからな。 

  


ご報告

2011-03-31 | 東日本大震災

先日、久留米の日本赤十字会館まで、義援金を届けてまいりました。

 

オーナーズミーティングを中止にした事は、今でも後悔してます。

しかしその事で、ある程度まとまった金額を持っていく事が出来ました。

楽しみにしていただいていたお客様方には、再度、お詫びを申し上げるとともに、厚く御礼を申し上げます。

尚、プラムフィールドでは引き続き義援金を募っています。ご来店の際は宜しくお願いします。

 

プラムフィールドオーナーの皆様方へ、ご報告まで。

 


じわりと

2011-03-22 | 東日本大震災

先ほど、石巻で被災している姪っ子から電話がありました。

この家族、被災した時点での場所の違いで、長女は市役所の避難所、母親と末娘は自宅のそばの高校と別々に避難しているんです。

長女しか携帯を持っているものがいなくて、今日初めて長女の携帯を通して他の者の肉声が聞けました。

「大丈夫?病気なんかしてない?電気や水道は?」

「電気は昨日通じて、でも水はまだ。それより暖房がなくて、毛布にくるまってる。」

この高校には暖房器具すらまだないとの事。報道では暖房器具はあるけど燃料の不安を訴えている映像はありますが、ここはまだ暖房器具そのものすらないそうです。

震災から10日以上たってますが、石巻の復興は遅れているようです。

一日も早い環境の改善を望むばかりです。

 

私どもプラムフィールドとエシマ自動車もジワリと影響が出始めています。

塗料が出荷制限がかかりました。コンビナート火災などで、石油製品全般の供給が逼迫してきているそうで、

「今のところ早めに注文してくれれば、日数はかかってもなんとかなります。」

ただこの先どうなるかは・・・。

パーツの遅れや欠品も多くなってきています。

 

しかたありません。このくらい我慢せねば。

元気を出していこう!


全員無事!

2011-03-16 | 東日本大震災

今、日立に住む姪っ子から電話があり、

「お姉ちゃんからメールが来ました。全員無事だそうです。」

「いやー、よかった。よかったなあ。」

でも、家の方は津波で駄目だったようです。

なんとか石巻は、通信が少しはできるようになったみたいです。

 

悲惨な状況が連日伝えられるなか、自分の身内の無事だけをブログに掲載する事は不謹慎ではありますが・・・

 

 

 


生きてる!

2011-03-14 | 東日本大震災

昨日の夜、日立に住む姪っ子から電話がありました。

「今、電気がつきました。」

あーそうか、そりゃよかった。まだ水は出ないとはいえ、生活の不便さの大半はこれで解決する事でしょう。

「それと、カセットガスなんかの不足品も、旦那が買ってきてくれました。」

「あー、よかったね。でも子供が風邪ひいてんだろ?部屋を暖かくするんだぞ。」

まあこちらの方は一安心といったところでしょうか。よかった、よかった。

 

しばらくして、

ルルルル。

 

また、この姪っ子からです。

「電気がつながってわかったんだけど、電話の履歴に公衆電話からかかってました。メッセージはなかったけど、きっと母です。生きてます!」

「そうか!きっとそうだな。生きてるぞ!」

 

こういう大災害の時、電気、水、ガスなどと一緒に通信という物のもろさを思い知らされますね。そしていかにそれが大事なものかも。

被災地の皆様。救援に当たっている全ての皆様。

今は祈ることしかできませんが、

頑張って!