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『 あとかくしの雪 』  上原輝男先生の 20年目の命日に・・・ ( その1 )

2015-04-11 19:27:15 | 上原輝男先生の てるてる ワールド



本日は 亡き恩師の 20年目の命日です。

児言態の仲間のたぬきちとお墓参りにいく行かないで ずい分 迷ったけれど結局のところ 行くのを取りやめた。

私個人としては 何だろう?
ただいまは 勝手に 部外者・落ち武者であると認識しているのだし・気力や体力( 主に気力 )低下、などなどの理由で 行くのをやめた。

誰のせい ってわけじゃあないのだけれど、たぬきちが行くんだったら 行こうかな~と思っていたのも事実だが・・・。

主として女性たちの 団体さんでうろうろ的な、金魚のふんみたいにくっついて行動している人達が一番嫌いだったのに、( たぬきちが行くんだったら・・・) というような選択をしている自分に驚いてもいるんだ。
それとともに もうひとつ理由はある。お墓の中にいらっしゃるもうお一方のことを考えると胸が痛むのだ。

( な~~~んだ 結構 だらしないじゃん )

たとえお墓に参らなくたって 自分がそのひとに想いを馳せるとき そのひとは必ず我とともにあるのだ。という考え方を今はしているのでまあ 良しとしよう。

で 今日もたぬきちとメールをしていて ちょっと心を動かされた。
たった 一人のひとのために 本日のつたない記事をUPすることもいいんじゃあないだろうか?と思ったんだ。

つたない っていっても それは過去の自分がつたなく不甲斐ないだけで、上原先生のお言葉は 何十年たとうとも 確かにその通りであると思うのだけれど・・・。

恩師の20年目の命日に まあ ちょっとした思いつきだけどUPさせていただこうと思うのだ。

この 数日間のあいだに恩師に言われた言葉を思いだした。

前後が流れがまるで思いだせないのだけれど・・・

『 君は 一人で やっていなさい。』 

ん~~~ん。なんだったかな~???思いだせない。 だけど・・・ま、いいや、そのうち大事なことがらであれば 思いだすでしょう。。。


これは S57年 12月 17日に 私が 6年生の授業をした時の教材である。
 
テーマは「 素直なこころを育てる。」そこを目指していたように記憶している。

教材に何を使うのか? 何ヶ月かかけて検討をしたけれど、最終的にはこの童話を恩師が選択してくれた。

「 人間の行為を決定させるものは何か?」という副題がついている。

      
   ++++++あとかくしの雪++++++

 あるところに、なんともかとも貧乏な百姓がひとり、住んでおった。
 
ある冬の日のもう暗くなったころに、ひとりの旅びとが、とぼりとぼり雪の上をあゆんできて、
 
「 どうだろうか、おらをひとばん、とめてくれるわけにはいくまいか 」というた。

百姓は、じぶんの食べるもんもろくにないぐらいのもんだったが、
 
「 ああ、ええとも。おらとこは貧乏でなんにもないが、まあ、とまってくれ 」というと、

旅びとは、
「 そうか、それはありがたい。おら、なんにもいらんぞ 」というて、うちにあがった。

けれどもこの百姓は、なにしろなんともかともびんぼうで、何をひとつ旅びとにもてなしてやるもんがない。それで、しかたがない、晩になってから、となりの大きないえの、大根をかこうてあるところから大根を一本ぬすんできて、大根やきをして旅びとに食わしてやった。
 
旅びとは、なにしろ寒い晩だったから、うまいうまいとしんからうまそうにしながら、その大根やきを食うた。

 その晩さらさらと雪はふってきて、百姓が大根をぬすんできた足あとは、あゆむあとからのように、すうっとみんな消えてしもうたと。


>写真は 2013年 Bさまの成人式の日の写真だと思う。この日、Bさまはどこにも行かず、自宅でゆっくりと過ごした。雪は夜にはかなり積もった。

  下につづく 順番をいれかえました。 

『 あとかくしの雪 』  上原輝男先生の 20年目の命日に・・・ ( その2 ) 

2015-04-11 17:38:46 | 上原輝男先生の てるてる ワールド

・・・授業内容等は ほとんど 割愛  上原先生のお言葉を書き記したい。・・・
@@@  @@@
恩「 盗むか 盗まないか そうだったね。ごめんなさい。」
 
 盗む ・・・    24人
 盗まない ・・・  12人
 わからない・・・   1人  他 1名 数え間違えたみたいだ。( 在籍数 38名 )

恩「 今日は 色んなことを考えてくれて、?私もね自分では一生懸命考えてきたつもりだったけども、もうみんなのことを聞いているとね、頭の中が本当に一杯になりました。

で、これからね、いろんな場面できっとこんなことに出合っていくと思うの。その時に、今日 同じようなことに遭遇した時に、盗むと答えたひとも、盗まないと答えたひともね、ぜひ今日のことを頭のすみに入れといて、そしてその時に、自分が一体何をするのか?何をしてしまったのか?その後自分はどうなったか?ということを考えてみてください。
では終わりにしましょう。

じゃあ 先生のほうから・・。

 上原 「 おじさん(=授業では 恩師は 自分のことを”おじさん”と言った。)から最後にね、みんなに今日の授業をみせてもらって静かに一生懸命みんなが考えたっていうのを感心してみておりました。

そして、おじさんはやっぱりね、恩からこんな授業をするっていうのを聞いていたから どんな風にみんなが答えるだろうか?っていうそういう想像もしていた。
でもね、想像していたような答えと違う答えがずい分でてきてね、おじさん自身も大変勉強しました。

で、あのね、今日の授業はこれでおしまいになったんだけども、今日の授業の一番最初、恩が皆に出した課題というのは、人間の行為を決定させるのは何か?という問いかけだったでしょ、そして色々勉強していってね、盗むって答えた人達のほうが多いわけでしょ?

普通みなさん小さい時だったらね、盗む、そんなこと僕は絶対にしない、って僕(=上原)は 言っていたはずだと思うんだよ。それがね、六年生になったら さあ、どっちをやるか?って言ったら ”私は盗む ” というほうをみんなとったんだもの、大変なことだね。

これは お巡りさんがその辺にいたら、
「 あ、6年 4組は危ない 」って言うかもわからないよ。
「 これは みんなしょっぴいて行こう。」って言うかもわからないよ、そうでしょ。そういう大変恐いことを発言して?。
それでも " 盗む ”っていうことを言った方が多いんだものね、そうでしょ。
それでも " 盗む ”と言う方を みんな採ったのね。それがみんなの行為を決定させたの。

何か、普通だったら、盗むというのはまずいし、盗んじゃあいかん、と思っているのにね、私はやっぱり”盗む”の方をやるだろうと思わせたものが、その盗むと答えた人達の中にはあるわけでしょう。

それから、また いや そんな場合においてもやっぱり盗まないだろうと言うのは、その人の行為を決定させたんだろう、そうでしょ、自分の行為を決定させるものは 一体何なんだろう?ということが今日一番みんなが勉強してほしいと 恩が考えたことだったんですよ。
そこのところをよく考えなくちゃあいけない。まだ勉強は半分くらいまでできたでしょうね。これから考える所だね。そう思いました。
おじさんの感想です。

# 今でも 思い出す。
いつもは ぐちゃぐちゃの めちゃくちゃの、学級崩壊と呼べそうなくらいのクラスなのに・・・この日の子供達は全く違っていた。
そうしましょうね、とか 頑張ってね、とか ちゃんとしてねとか と言ったわけでもないのに、背筋をぴ~~~んと伸ばしてきちんとこちらをむいたのだった。

それを見たとたん ガタガタガタと私は崩れ落ちたのだった。
( やられた~ )そう思った。
剣道などやったことはないけれど、もしもやったとしたら、おそらく相手の最初の構えをみたとたん、負けた!と感じるのとにているのではないだろうか?と思う。
その気迫というのか意気込み そして静けさ それに私はたじろき 茫然自失状態に陥ったのだった。

正直もうして その時にいたるまで、ずるいワタシは ”ウルトラマンのおじいちゃんがやってくるよ ”と言って ある意味子供達を えさでつっていた感がある。

 みんなのあこがれの ”ウルトラマン”をつくった人を育てた先生ですよ、そりゃあ はりきりますでしょ?

思うに・・・
大体 授業案は 今考えてみると上原先生がたてたような気がするのだ。

上原「 あ~ できた。できた。」
恩( 何が できた できた なんですか?)

わけのわからないまま自宅にもどり・・・

確か 授業案は 当日の朝に出来あがったように思う。ほとんど寝ていない。児言態の授業は だいたいいつもそうだ。

頭の中は ぼ~~ッとしたまま ワタシは教壇にたったのだった。そこにもってきて この背筋ぴ~~~んで もう完敗!

そこからは 頭は真っ白で、声は蚊のなくような声で、混乱している頭の中は 交通整理( =意見の整理が先生の仕事と考えている )どことろのさわぎじゃあなくて・・・
わけわからん状況に陥ったのであります。( 折角の時間を申し分けない )

もっとね、「 あなたの意見は これこれ こういうことでいいですか?」で「 あなたの意見は こういうことでしょうか?」と子供達の意見を、他の子供達に にわかりやすく簡潔にまとめ、言いなおしができていれば もっともっと子供達は思考をきもちよく展開させることができたに違いないと思う。

まあ 仕方がない。ワタシは頭が悪いし、緊張しいなのだ。#


『 あとかくしの雪 』  上原輝男先生の 20年目の命日に・・・ ( その3 ) 

2015-04-11 05:09:38 | 上原輝男先生の てるてる ワールド



今でも 忘れられない映像が頭をよぎる。

授業が終了した時 子供達が どどどっと恩師のまわりに駆け寄った。
上ちゃんは たった一言 言っただけなのだ。

”盗むのか 盗まないのか?”を尋ねただけなのだ。

もう一度 テープを聞きなおして ここの記事をきちんと仕上げたいとは思うが、
くだくだと混迷の中授業を続けていて なんていうか ぱっと眼が覚めたというか そんな印象をもっているのだけれど・・・。

( あ~ そこでしたか~ )

そのあと まことにまことに すっきりとしたのだった。交通整理ということはこういう事だったのか~と感じた瞬間だった。
多分 子供達もすっきりしたと思う。

上ちゃんに最後を救っていただいてよかったな~と思う。

@@@      はなみち      @@@ 

研究授業の検討会のあとだから、どれくらい時間がたったのかはわからないが、小一時間はたっていたのではないだろうか?女の子たちはまだ学校に残っていて、上原先生を見送るべく手でアーチをつくり、先生はその花道の中をお帰りになって行ったのだ。

そりゃあ ウルトラマンのおじいちゃんっていうこともなくはないだろうけれど、ひとの器というのか、ひとの魅力っていうのを子供というのは 一瞬で見分けることが出来るのだと思う。

「 素直ないいこたちじゃないか~。」 恩師は私にそう言ったのだった。

あれから 私は 一体何をみてたのだろう。
何をきいてきたのだろう。

あの日から何十年もたっているのに、なんら気づかず、投げやりで、適当で、くさくさしながらやけ食いをし、太り、世の中を憂うことだけはいっちょまえで、批判することもいっちょまえで・・・。

だけど・・・
やっぱり・・・

自分が まず 何かをかえなくてはならない。

何をしたらいのかはまだわからないのだが・・・
ちょっとがんばってみたくなったのだ。