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地球へ ようこそ!

化石ブログ継続中。ハンドルネーム いろいろ。
あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

横井 庄一 さんの メモリー   その1

2007-09-05 12:15:58 | 平和 志向★思考☆試行 錯誤
私が この夏 グアムに出かけたときの記録です。写真は

横井洞穴 タロフォフォ 滝公園 入り口 洞窟のレリーフと思い出の写真の数々。

横井さんの簡単な 略歴

1915年 呉服屋庄七と母つるの間に長男としてうまれるも、両親は3年後離婚、その後女手一つで育てられる。1926年つる再婚によって横井姓となる。
学卒後 愛知県豊橋市の洋品店に勤務。

1935年 日本軍入り、4年間の兵役の後洋服の仕立て屋立ち上げ。

1941年 太平洋戦争に再召集 満州 を経て 
1944年 グアム島の歩兵伍長として戦地に赴き 同年グアム玉砕戦死広報届けられる。

昭和19年( 1944 )米軍 グアム島上陸 日本軍敗走。戦闘時 2万の兵は3000になり戦闘継続不能 当時の佐藤少佐は 投降を承諾。横井さんは直接の部下ではなかったので 投降命令伝わらず

以後 1972年 2月2日 グアム島で 漁民に発見されるまでの28年間 グアム島 洞穴にて 生活。


PHOTO 横井庄一さん 関連

2007-09-03 08:01:50 | 平和 志向★思考☆試行 錯誤

    さあ~ でかけよう!

          

 

          

  

          

 

          

 

          

 

          

 

          

 

          

 

   こんな 感じで どうですか? 順不同

  イメージ ふくらませていただき お楽しみ( っていう表現はどうかと思うけれど)
いただければ 幸い。

 

          

 

          


横井 庄一さん の 記事  作業中

2007-09-02 20:34:02 | 平和 志向★思考☆試行 錯誤
こんばんは~

ようこそ 我がPLANETへ!

折角おこしくださいましたのに まだ記事草稿中です。っていうよりは 写真取り込み中なんです。
 
とうちゃん パソコン直してくれました。で 写真を取り込んでいるところです。しかも色々な資料は いちょう村に忘れてきたんですよ~。

いつもの調子ね!(つまり ぬけまくり、ってこと)

では折角おこしくださいましたあなたさまのために 日本兵の生残り横井庄一さんの 写真一枚UPさせていただきますね。

>写真はよくはわかりませんが グアムで発見された頃の横井さんの写真だと思います。当時の週刊誌に使われていたような記憶があります。
 
グアムの 洞穴 壁面に飾られた写真を写したものです。

私のかなり古い記事にアクセスしてくださってまことにありがとうございます。このところ横井庄一さんがワンピースの漫画の関係で少し注目をあびているということを漏れ聞きました。せっかくおこしいただきましたので、是非とも読んでいただきたい記事がありますのでお時間の許す方 どうぞおこしくださいませ。

横井さん関連の記事は 2007年 9月 05日 その1~ その4まで書いてあります。お若い方々に是非とも 横井さんのような日本人がいたんだということを知っていただきたいと心より願うものです。 2018年6月 16日 追記

https://blog.goo.ne.jp/planet403/d/20070905


GUAM   横井庄一さんの記録 ( 予告編 )

2007-09-01 12:24:39 | 平和 志向★思考☆試行 錯誤


       予告編

      グアム   横井庄一 さんの 記録

 

         


  この夏休み  グアムに行ってきました。うちのとうちゃん、マンマミーヤのために清水の舞台飛び降りたくらいの勢いで連れて行ってくださいました。

    ワタクシ とうちゃんと 喧嘩して GETした オプショナル・ ツアー。
    当然  独り旅.

 っていうか 99人 いたツアー客のうち 横井さんの洞穴なんぞに行こう!っていう日本人は 私くらいのもの。だった。

 明日以降 少しづつ UPさせていただきたく思います。


硫黄島 ・・・ 

2006-12-10 08:19:13 | 平和 志向★思考☆試行 錯誤
みなさま おはようございます。こちら横浜 お天気曇り 気温は寒いが心地よいって感じ。

昨晩見た。硫黄島のTV。戦争を間接的に知っている私がやることがもっともっとあるはずだ、と思う。

何かかんかつないでいかなくてはやはり若くして日本国の礎になった人達に申し訳ないな。って思う。まあ家庭内さえもまともじゃあないんで偉そうなことはいえないんですけれどね。

昨晩でかけた RUNもどき( 傘さして 小走り 。行きだけ )
本日行きます!普通に。帰ったら 掃除しよう~っと。

@@@@@@@@@@@ ナイト! @@@@@@@@@@@

マンマミーヤ ただいま 試験勉強中。自力。時々 ワタクシ参加。
やはり勉強というのは 自分が自分のためにやるものであって 親がやきもきしたって始まらないと思う。「孟母 三遷」は マンマミーヤにあっさり拒否された。

このまんま 自学自習してほしいけれど・・・。

>さて 硫黄島・・・実は この島がどこにあるのかも 戦時中にどんな島であったのかも知らなかった。その島で当時の人々がどんな思いで闘ったのかというお話をきいて、泣けて泣けてしかたがなかった。過酷な労働 乏しい食料・・・。幼きものは15歳くらいの少年。

 TOPの方のお名前がどうしても思いだせないのだけれど、当時小さかった三人のお嬢様方はもうおばあさんと呼ばれてもおかしくない年齢になっていた。お父様の思い出を語るとき、また戦地から送られてきたお手紙を読むとき、六十年以上たったいまでも涙する場面をみて人を支えるものって一体なんなのだろう?って思った。

一通の手紙 思い出話 懐かしき歌 母の思い出 師の言葉 目の当たりにした人々の姿 生と死・・・。かの地に残されし遺骨。

それら一つ一つの思い出が哀しくも平和希求への力にかわったのだろうと思う。

守らなくてはならないものは何なのか?伝えなくてはならないものは何なのか?もっともっと考えなくてはならない、そう思う。

>PHOTO・・・

 ランニングコースの海。 お題 『 飛行 待つもの 』  


広島 平和 願い ★ A Mother’s Lullaby ☆ 戊戌月・キ亥日

2006-10-01 06:59:35 | 平和 志向★思考☆試行 錯誤
 本日 たぬきおやじさまより 届きました ”ある母の子守唄 ” UP させていただきます!行けるとこまで!

 横浜 曇り空 銀色のお日様のぼってきました。

 本日 お一日 当然行くでしょ 神社。只今より 氏子神社までのコース行ってきます。本日お立ち寄りくださいました、皆様のご健康とご多幸を祈りつつ、平和へのラン。

 ん、じゃあ 行ってくるね!むちゃせんと、徒歩便+ちょこっとRUN ってことで・・・。

 A  Mother’s  Lullaby  ( ある 母の子守歌 )   平和

 A big,old tree stands by a road near the city of Hiroshima.Through the years,it has seen many things.
 広島の街の道路沿いに 大きな一本の年老いた木が 立っています。何年もの間 その木は多くのものを見てきました。
 
 One summer night the tree heard a lullaby.
 A mother was singing to her little girl under the tree.They Looked happy,and the song sounded sweet.But the tree remembered something sad.
 ある夏の夜 その木は子守唄を聴きました。 木の下で一人のおかあさんが 彼女の小さな娘に歌っていたのでした。彼女達は幸せそうに見えました。そして その歌は美しい歌でした。
 しかし その木は悲しいことを覚えています。


”Yes,it was about sixty years ago.I heard a lullaby that night,too.”
 そう それはおよそ60年前のこと。私はその夜も子守唄をきいたのです。

 On the morning of that day,a big bomb fell on the city of Hiroshima.Many people lost their lives,and many others were injured.They had burns all over their bodies.I was very sad when I saw those people.
 その日の朝 広島の街に一発の大きな爆弾が落ちました。 多くの人々がいのちを失い、そのほかの人たちは 傷を負いました。彼等はやけどを負っていました。私はその人たちを見たときに 悲しみで一杯になりました。

 It was a very hot day.Some of the people fell down near me.I said to them,”Come and rest in my shade.You’ll be all right soon.”
 その日は 大変暑い日でした。数名の人たちが 私の近くに倒れていました。私は 彼等に言いました。ここへ来て私の木陰で休みなさい。すぐに よくなりますよ。

 Night came.Some people were already dead.I heard a weak voice.It was a lullaby.A young girl was singing to a little boy.
夜がやってきました。何人かの人々は すでに息絶えていました。私は 弱々しい声をききました。それは 子守唄でした。一人の少女が ぼうやに歌ってあげていたのでした。

 ”Mommy!Mommy!”the boy cried.
 ”Don’t cry,”the girl said.”Mommy is here.”Then she began to sing again.
 「おかあちゃ~ん。おかあちゃ~ん。」ぼうやは泣きました。 少女は言いました。「おかあちゃんはここよ。」そして少女はまた歌いはじめました。

 She was very weak,but she tried to be a mother to the poor little boy.She held him in her arms like a real mother.
 彼女は とても弱っていました。しかし 彼女は このかわいそうなぼうやのためにおかあちゃんになろうとしていました。彼女は 本当のおかあちゃんのように彼をいだきました。
 
 ”Mommy,”the boy was still crying.
 ”Be a good boy,”said the girl.”You’ll be all right.” She held the boy more tightly and began to sing again.
 「おかあちゃ~ん。」ぼうやは まだ泣いていました。「いい子ね。」少女は言いました。「大丈夫よ。」少女は ぼうやを強く抱きしめて また歌い始めました。

 After a while the boy stopped crying and quietly died.But the little mother did not stop singing.It was a sad lullaby.The girl’s voice became weaker and weaker.
 しばらくすると ぼうやは泣くのをやめました。そして静かに息をひきとりました。しかし そのちいさなおかあさんは 歌うのをやめませんでした。それは 悲しい子守唄でした。その少女の声は次第に弱くなっていきました。

 Morning came and the sun rose,but the girl never moved again.
 朝がきて 太陽がのぼりました。しかし その少女は二度と再び動くことはありませんでした。

 中国地方の子守歌 (mayumi) 2006-09-25 09:31:28

    ねんねこ しゃっしゃりませ
    寝た子の かわいさ
    起きて 泣く子の
    ねんころろ つらにくさ
    ねんころろ ねんころろ

         ねんねこ しゃっしゃりませ
         きょうは 二十五日さ
         あすは この子の
         ねんころろ 宮参り
         ねんころろ ねんころろ

             宮へ 参った時
             なんと言うて 拝むさ
             一生 この子の
             ねんころろ まめなように
             ねんころろ ねんころろ

  http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/chukomori.html (すみませんが ここは 自力で頑張って移動して 歌ってくださ~~い!)

 同郷 mayumi さまのお力添えをいただきまして・・・
        
      横浜から 愛をあなたに! ありがとう!