今日の HIROSIMAは 雨模様らしい。
文明の発達があまりにも速すぎて追いついていけない.
沢山の得たものと 多くの失ったものと・・・。
何が幸せで 何が不幸なのかがよくわからない。
それでも 爆弾の落ちてこない場所で眠れる事は 誠に誠にありがたい事だと思うのだ。


http://www.youtube.com/watch?v=r1AL4e4VcgI
横井さんの記念館に入る。小さな記念館だ。
入り口に入ってすぐのところに 原住民の チャモロ族の酋長の像がある。
>>>>>>> チャモロ族の 伝説 <<<<<<<<<
昔 ブンタという神様がいました。彼は空が作られるもっと もっと前に生きていました。そして彼が亡くなった時彼は自分の持っていたすべてのパワーを妹に与えました。これを受け取った妹は すべてのパワーを使ってこの世に何かを作ろうと決心しました。そして彼女は早速兄のパワーを使いこの世に様々なものを作っていきました。
彼の体は地を創り 彼の胸は空を創り
彼の右目で星を創り 左目で月を創り
彼の眉で虹を創りました。
なぜか 鹿の模型。鹿はどこでも神聖な動物なのだろうか?
1899年 グアム等のスペイン領 アメリカに買い取られる。
この絵画は なんでしょうね?
1942年 グアム 日本海軍が占領
1946年 5月 30日 アメリカ軍により奪還。1950年~ アメリカ大統領 トルーマンにより自治属領となる。
ジャングルに暮す 横井さん。下に飾ってある衣装は 自分で糸を紡いで織って作った衣装だったと思う。元 お洋服の仕立て屋さんならではの作品。
宗教画のような 壁画がこの場所にあることにちよっと驚いた。
バーニーさんと降りる。ケーブルカー内 おばはん(=姫) 唄う
「 ONE TIN SOLDIER 」
アメリカ人のご夫婦。 「 この歌を知ってますか? 」
「 もちろんですとも。」 ・・・ 。(殆ど わかっていない英会話)
「 戦争の好きな人なんていませんからね。」 (んだ。んだ。)
手を汚さずして 犠牲をはらわずして 戦いが終結することなんてあるのだろうか?
バーニーさんの言葉が しみじみと響く。 様々な国の人々が一緒に暮すときに いろいろな文化の違い 生き方の違い 様々な軋轢はあるだろうけれど、
「 尊敬 」 相手に対する 尊敬の気持ちが大切なのではないのではないだろうか?と。
家庭内 時々 勃発する争いごと。 きれいごとだけじゃあいきませんよね。(御意)
時々思うんだ。自分の父や母と 同じ人生を歩いているな~って。シチュエーションが変化してるだけだよね。
横浜 本日 雨。 今から こころの栄養をとってこよ~っと。疲れるんですよ、毎日の生活。いろいろとね。
>おまけの 一個。一応約束しましたんでね。写真は細工をして(できないですよね?)大きくしないでご覧ください。
息の吸い方が悪かったのか はたまた このメットのかぶり方がわるかったのか
昔 MRⅠ に入ったときのような 音がしまして なかなか海の中に入れませんでした。「 こわいよ~~。こわいよ~~。」
でも 魚たちが次々に 入れ替わり立ち代りやってきて 手から魚肉ソーセージを食べていく様子は仲良く共存する。っていう感じでした。
「どうぞ、あなた。どうぞ、あなた。」
ところが それはこの 「くじゃくすずめ鯛」 にいえることであって どこだったかの沖にすむ 「浪人あじ」という魚は 「俺のもの!俺のもの! どきやがれ!」っていう感じで食らうそうです。 いずこも 足るを知るってことは必要なことなんでしょうね。
今週も 仕事がんばろう!っと。じゃあね!
横井さんの洞穴の近くには 仏像があります。
立ち姿の仏像はおそらく 如来像だと思います。
真ん中の仏像は 誰でしょう? 分かりません???
やさしそうな お顔でした。
周りを 金色の 六体の仏像が守ります。こちらも釈迦如来かな?と思いますが、右手が なぜ膝の上にあるのか?わかりません。
様々な国の お賽銭が供えられていました。
仏像の左手に 洞穴のレプリカというのでしょうか?中にはいることはできませんが洞穴がありました。
洞穴を上から 見た様子。
洞穴を覆っている竹でできた 屋根。
横井さんが 実際に住んでいた洞穴は 誰だったか 中に入ったときにうっかり火をつけて 竹に火が燃え移り 消失したそうです。
この洞穴より 2キロくらい離れた場所にあるそうです。そこには今も日本の戦闘機の残骸があるそうです。
洞穴の向かい側に 横井さんの写真が飾られています。鮮明ではありませんが何枚か写してきましたから ご覧ください。
時間がなくて 説明が読めませんでした。というより 胸が一杯になって シャッターを押すのが精一杯でした。
この写真は 横井さんが実際に住んでいた洞穴の写真だと思います。
右下の写真は 恐らく グアムを離れるときか 日本に帰国したときの写真ではないでしょうか?
戦争の生き証人たちが 一人 一人と この世から去っていきます。
私はすでに 「 戦争をしらない子供達 」 であるわけで、軍人であった父が大嫌いだったわけだけれど・・・
だけど 今思うんです。広島にせよ 長崎にせよ 沖縄にせよ 沢山の人々の 「 負 」の人生があったから
ただ今生きている私達の 「 正 」 の人生があるわけで 誰かの犠牲の上に ただ今の日本の平和があるのだ、という事実にもっと もっと感謝しなくてはならない,ということを。
そして もっと考えなくてはならないことは この平和が未来永劫続くとは限らないということです。
大切なものは 一体何なのか 自分自身が考えなくてはならない大きな課題です。
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次回は グアム 記念館の記事をUPする予定です。
注) H系のコメント、興味本位の週刊誌的なコメント 及び トラックバックは入れないようにお願いします。
マンツー ・ マンで タロフォフォまで 案内してくださったのは バーニーさん、フィリピンの出身。車ででかけましょう!
タロフォフォ 入り口の看板
1997年 横井さんがお亡くなりになってから 10年がたちました。
ここ 「TAROFOFO FALLS RESORT PARK 」 も 訪れる日本人は殆どなく 外国の方にだけ出会いました。 遊園地の 展望台も 豆汽車も 回転いすも モノレールも 線路が残るのみ となっていたり 乗る人なく淋しそうでした。
唯一 やっているのは 化け物ハウス ということのようでした。
ケーブル ・ カ ーに乗りましょう! いよいよタラフォフォの滝です。
ケーブル・カー 内 団扇が4本ぶら提げてある。
右の写真は ケーブカーから眺めた 眼下
ジャングルを見下ろしながら・・・
左は 滝に続く 川 あひるさんたちがのどかに 泳いでいる。
右は一の滝 と呼ばれている場所。 さほど深くはない。
いよいよ 横井さんの洞穴に向かう。 写真は先達さんのバーニーさん。
南国の花は 色があざやかだ。 右はバナナの木。 横井さんは バナナやココナツ などを食べたらしい。