goo blog サービス終了のお知らせ 

地球へ ようこそ!

化石ブログ継続中。ハンドルネーム いろいろ。
あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

 なぜ 出雲へ?

2010-08-04 12:18:39 | かみさまワールド  &   不思議世界
こんにちは~。こちらあやかし@。

明日より、勝手に( →結構強引に )お盆休みにはいります。5日・6日出雲、7日以降は実家の広島で骨やすめしてきます。( 結婚以来 あまり帰省したことがない・・・ような気がする。ちょっと恨みにも似た気持ちを持っていたので、人生取り返すべく帰る。)

ブログ友達のてつ兄さんの質問、( されたわけじゃあないけど )
なぜ、出雲にでかけるのかということ ちょっと書きます。

最初は、神迎えの儀式(大体11月)のお話を聞いて、興味津々で出かけた。
”何?竜神様が海よりおあがりになるとな?”
(→単なるミーハー 、興味本位と言ってもあながち間違いではない。)

八百万の神々が、全員 出雲に集まるわけでしょ。目には見えないわけだけど、わくわくしません?

都合、この儀式には2回?だっけ?出かけた。これは一般の人も参加可能。だけど、二年目だったかな?こちらも素人なんだから偉そうに言えないんだけれど、観光客って、儀式っていう意識が乏しくて、げんなりした。礼儀知らずで、厳かな儀式に 893さんみたいな輩が参加して、土足でふみ荒らしていった というような印象を受けた。

( だけど・・・きっと罰あたりだよ。あの笹って 皆でわけあってこそなんで、ごっそり1本どり~!みたく持って帰った日には 頂きすぎなんだそうな。)

パートの仕事との兼ね合いもあって、去年からは夏の大祭に切り替えた。実はこの儀式は一般の人は、よくはわからないけれど、参加できない(?)。つまりは ワタシは”もぐり”ってわけ。無理言って参加させていただいている。(→連れて行ってくださる方が おこころの広い方なんです。)

二日間にわたる、お祭り、一日目の夜は大層幻想的で、神迎えの儀式以上に厳かな儀式である。いわゆる 日本人の”お祭り”のイメージではない。明かり一つない、月夜の境内をめぐる。鈴を振って、鈴を鳴らして、祈る。願い事がかなう。( ・・・はず。神様の意にそうているならばね。)

次の日、真夏であるから、ひたすら 暑い。正座もきつい。祝詞、ワタシは当然ながら、もごもご状態。まともに唱えられない。まるで修行道場のよう。あたりまえだ。願い事をかなえていただくのであるから。

>出雲おでかけ、二年目の時だったかな? タクシーに乗った時、タクシーの運転手さんから聞いたお話。
伊勢神宮の偉い人がご夫婦で出雲にいらした。
 「 そろそろ大黒様を おこさなければ ・・・( 日本が 危ない )」
>大黒様・・・
1、大黒天(だいこくてん)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ(サンスクリット語:Mahaa-kaala、音写:摩訶迦羅など)のことである。
2、密教の大黒天 - マハーカーラが元になり出来た密教の神である。
3、仏教の大黒天 - 密教の大黒天が元になり出来た仏教の天部に属する神である。(本来の仏教[要出典]では神及び多神を否定している[要出典]。現在でも神や多神を認めない仏教宗派もある)
4、神道の大黒天 - 密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神道の神で、七福神の一柱としても知られる。

< 今年 庚寅 ( かのえ とら )>
春の岩 という意味。荒涼とした冷たい岩山と寒々とした樹木。という意味。この一年をどのように乗りきるか?によって、来年、陽の気がまわってきた時に、その陽の気を受けられるかどうかが決まるらしい。一人一人にとって、分岐の年。

庚(金)は刀の意味ももつ。間違っていることは、正していかなくてはいけない。( とワタシは理解している。)

しかしながら 何が間違っていて 何が正しいのか?そのものさしは、各々の人の理解で異なる。世の中には信じられない感性のヒトが存在する。

生きるためにお金は必要だ。だけど、それは、人が寝るまもなく働いたお金であったりもするわけで、例えば若い時に、学ぶことなく、働くことなく、何の展望もないまま、ぶ~らぶ~ら遊び呆けていた人が、はたと気づけば、老人になっていて( そこまでいくかはわからないけれど、単なる極端な例え話 )病気も頂いたりして、そのヒトの介護の為に使われたんじゃあ 「 冗談じゃあ ないわよ。」 って思ってしまう。

うちのとうちゃん、暑かろうが 寒かろうが 眠かろうが、熱があろうが、気持ち悪かろうが 食欲がなかろうが、この30年間、家庭を、ある意味犠牲にして ずっ~~っと働きどおしで、ちゃんと税金も納めてきたんだ。
病気だらけで支えてきたワタシだって「 やってらんないわよ。」っていうのが正直な気持ち。

>例えば、偽装離婚して 生活保護をもらって、ぬくぬく( 表現が不適切かもしれないが)生きる家族。
20~30年以上も、いなくなった親の年金で暮らしても、何ら不自然さ、もっというなら罪悪感を感じない神経。

各々、様々な理由はあるのだろうけれど、そのような人達にお金が使われていったんじゃあ気分が悪い。
間違っていることは間違っているっていわなくちゃあいけないんじゃあなかろうか?それを放置してきた行政にだって文句を言いたい。
 まあ、とはいえ・・・
このところ、ちょっとトーンが落ちた。つまり、言っても無駄なことには目くじらを立てないようにしよう。怒る(いかる)だけ無駄と思うようになった。

それより、国民としての義務をはたしたら、あとは、『  自分ち家族を 守る 』ことに専念することにした。

出雲には、家族の健康を頂く為に出かける。そう 祈るのだ。それ( 健康を頂くこと )だって とても難しいこと。
ワタシは、このごろ  まずは「 自分の”いのち”は 自分で守る。 」べきだ。 と思うようになった。

それには、占いの星を動かしていくという方法がいいと思う。そのヒトの持っている星がそのヒトの使命とされているから。
半分しかとれないことだってある。
その場合はその半分に感謝して生きるのだ。その半分を補ってくれるヒト、もの、記憶、情け、思い出、そういったものに感謝して”いきる”のだ。
> もう 一つ ・・・
 出雲で何をするのか?それはもうひとつの祈り。私達が、この国にあるただいまは、先人達が、身を挺してくださった「 平和 」のお陰さまだ。
とりあえず、今は、大きな爆弾も焼夷弾も落ちてはこない。このことに まずは感謝したい。 だから祈る、まだ異国の地に放置されたまま、何ら感謝されることなく、今から考えると無駄死にとも思える屍の為に 「 浮かばれますように!」 


一人くらい こんな化石みたいなおばはんがいたっていいじゃない? 八月だけは、戦争のこと考えるんだ。忘れないようにね。

追伸・・・姉さんに、「 子ども達の縁結びのお願いに行くんじゃろ? 」と言われた。そういった発想は持ち合わせていなかったが、折角、出雲にでかけるのであるから、八百万とまでいかないまでも、神社に、何名かは、縁結びにかかわっている神様も避暑?にいらっしゃっているかも知れないから、
しっかり、頼んできま~す。

姫「 まずは ジャパンに、賭けごとをしない、オンナ遊びもしない、タバコ吸わない、酒ほどほど、DV 絶対位やらない、真面目に働く、伴侶をお願いします。」( そんなヒトいるかな? しかもこっちは ひもの・仙人 オンナだし。)
そうそう、マンマミーヤに、○○を治してください。ってお願いするように頼まれていたんだっけ。

じゃあ みなさま、行ってまいります。
アクセスしてくださっている、みなさまのことも 覚えていたら祈っておきます。皆様の健康とご多幸を! 

次回おあいするのは 7日あたりになると思います。では ごきげんよう!

>たぬきちへ・・・豆ふりで、100% の確率ででたものを送りますのでまっていてくださいな。
>写真は地元の神社で頂いた、お人形を天に還す為のお札と袋。昨今はこれに入れて、ごみとして焼却する。
義母にたのまれた、妹のお人形をいれて天におくった。そのお人形も家族と共に生きたんだ。ありがとう!

>曲は フォーク・クルセダ―ス 「 戦争は知らない 」
http://www.youtube.com/watch?v=xuqBOePNV_w











ニコライ堂にでかけた  1

2010-03-04 07:05:43 | かみさまワールド  &   不思議世界
< 1日 >
マンマミーヤと映画を観に出かける前に、折角の都会だからというので、前日に見た「 龍馬伝 」の山本琢磨( のちの沢辺琢磨 )が建設に尽力したという、お茶ノ水にある「 ニコライ堂 」を訪ねた。

この聖堂は、聖ニコライによって、1884年(M17)~1892年(M24)の7年の歳月をかけて建てられた。

説明・・・ この教会は、キリスト教の教会なのですが、カトリックでもない、プロテスタントでもない、エルサレムで生まれた初代の教会”正教会”なのだそうです。
ロシアでは、ロシア正教会と呼び、ギリシャではギリシャ正教会と呼び、日本では、日本正教会と呼ぶようです。

>龍馬に命を助けられた、山本琢磨は流浪の末、函館に渡り、そこで神社の婿養子となり、沢辺琢磨を名のる。 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E8%BE%BA%E7%90%A2%E7%A3%A8
ニコライ(・カサートキン)は函館のロシア領事館付属聖堂の司祭として来日。
琢磨は領事館員の子弟に武術を教えるために、領事館に出入りしていて、そこでニコライに出逢う。

攘夷派だった琢磨はニコライをロシアの密偵だと思い、刀を帯び殺害も辞さない覚悟でニコライに会うも、「 キリスト教を知ってからでも遅くはないと。」諭されニコライにキリスト(=この教会ではキリストをハリストスと呼ぶ。ハリストスはギリシャ語でキリストを意味する。)教を学ぶ。
キリスト教禁制下、洗礼を受け信徒となる。

その後、神官の座を捨てて、布教、投獄・・・。
のちに、日本初の司祭となる。(・・・すみません。ずいぶん端折りました。)





ニコライ堂に出かけた  2

2010-03-04 04:32:06 | かみさまワールド  &   不思議世界
 ニコライ堂(=東京復活大聖堂)は1923年(大正 12年)関東大震災によって鐘楼が倒壊、その時ドームも倒壊しました。
今の聖堂はその後6年の歳月をかけて復興したものです。
日本有数のビザンチン様式建築で、1962年、国の重要文化財に指定されました。

入口で献金(と呼ぶのかな?)300円(→修繕費になる。)をすると教会の中に入れます。黄色いろうそくも1本いただけます。明かりを灯してもいいし、記念に持ち帰ることも可能です。壮年のご夫婦が3組、おじさま 一人、シングルの女性 二人来ていました。

堂内は、荘厳な感じ。ステンドグラスが美しいです。S37年頃のステンドグラス。当時の第一人者が作ったそうです。
入口入って右のステンドグラスの聖人は、サンタクロースのモデルとなった聖人。
左は、ファヌリオス、(ギリシャ人みたいないでたち)この方は多くの異教徒を救った人らしいです。

正面の祭壇には黒い布がかけてあります。只今、4月4日の復活祭にむけて40日間物忌(ものいみ)をしています。
食事制限・・・肉・魚・乳製品はもちろん、オリーブオイルもダメ。骨のない貝類・いか・たこは食べてもいいそうです。
 この教会では、歌(カトリックでいうところの聖歌)を歌う時に楽器を使用しません。いわゆる”アカペラ”のような感じだそうです。
マリア様は信じるけれど、アベマリアは歌いません。
< 十字架 >
この教会の十字架の形はちょっと変わっていて、
 写真の左側、手前にご覧いただけます。(=ご覧いただけます?未だに写真を大きくできないあやかし@化石ブログ人 )

これは八端十字(はったんじゅうじ)、または、ロシアン・クロスと言います。
電柱のような形の下の部分に、もう一本板が斜めに渡してあります。

一番上の板には、キリストの罪状が書かれています。
二番目の板には、キリストが磔られました。
三番目の板は、その体がずり落ちないように足を支える板ですが、この板には他にも意味があります。
斜めに渡した板は、天国と地獄を意味します。キリストと共に処刑された二人の罪人の一人は、悔い改めることによって、天国へかえることができましたが、もう一人の罪人は、一度温情によって、天国につれて行ってもらったにも関わらず、また同じ間違いをして、とうとう地獄におちたそうです。

教会の入り口の壁画、ヨハネが聖書のようなものを持っていますが(聖書→正式名を忘れた)そこには次のように書かれています。
「 太初に言有り 言は神と共に有り 」( はじめにことばあり ことばは かみとともにあり )このように日本語で書かれた聖書を持っている壁画はなかなかないそうです。(他にはない。だったかも知れない?)

++++  +++++

 言葉は言霊であって、やはり 出来る限り、光を発する言葉を口にしたいものだと思いました。
 あとは・・・やはり お天道さまに恥じない生き方をしなくちゃあいけないな~と思います。神も仏も我が内にあると思うのでね。
ハレルヤ。(アレルイヤ?)
 ご説明くださった、おじいちゃん信者さん、どうもありがとうございました。楽しかったです。
 >その2はですます調になってしまいました。悪しからず。

節分  気 を いただく

2010-02-03 11:17:54 | かみさまワールド  &   不思議世界
おはようございます。本日もアクセスありがとう!
実は明日から 「 庚(金)寅(木) 」の 気が始まる。

こんな年で~~す。って報告できるような、喜ばしい、穏やかな年ではなさそうだから、今一つ書く気になれない。
気が滅入るってほどじゃあないけれど、まあ じっと耐えて、春を待つしかないかな~って感じですかね。

時間が許して、気がのれば、今年まわる 「 庚寅 」について書くかも知れませんけど・・・。?
・・・ たぬきちのHPから 頂戴してきた記事 ・・・( 一部 省略させて頂きました。)
今日は新暦の節分。毎年書いていることですが、日本古来の発想では、どうも「鬼」は悪者ではなかったようです。
「家内安全を祈る」「商売繁盛を祈る」と帰り際に宣言して去っていく・・・まさに折口民俗学でいう「まれびと」(神が客の形でやってきて幸いをもたらして去っていく)の形です。(この形の名残が ウルトラマン や 水戸黄門 などに残っています)

実際に古来は新春にこれからの農作業を前にして厄や穢れを祓う神としての位置づけで、祓った厄などをついでに持ち去って頂く・・・それがいつの間にか「鬼」そのものが悪者のイメージになって「鬼は外」となってしまったらしいのです。だから私は毎年、小声でささやかに豆まきをする際にも「出て行け!!!」という気持ちではなく、「持ち去りをよろしくお願いします」という気持ちでやっています。

< あやかし@鬼ばばの考える鬼 > は・・・結局のところ、ワタシにとっての鬼の一つは、「 病気 」
自分の人生、これまで病気を沢山いただいて、それを越えながら、自分自身を考えつつ生きてきた。とまあ、大げさにいうと言えるんじゃあなかろうか?ト思う。つまり病気は自分を変化させるために必要であったと思う。

だけどこれでもか、これでもか ってやってきたからね~。
・・・まあね、占い的には それって、”死ぬまで続きますわよん。なかなか簡単にお墓にはいれませんわよ。”って書いてあるんですよ。・・・(やだな)
だとしたら、”それを逆手に取って闘ってやろうじゃないの!”みたいな所が、どこかワタシにはある。(=ベルデンラモの気質か?)

まあ、実際には、「 姫にはできませぬぅ~」みたいなかわゆい感じで逃げることもありんすが(→ 何でここで花魁やねん。)
っていうか、バカバカシイことで犬死はしないように、つまらない所で喧嘩は売らないようにしなくてはいけないとは思うけどね。

結局のところ、家族一人一人が、自分自身との闘いをしていくしかないんじゃあないかと思うんだ。闘いに出かけては、おうちで休む。また出かけては 休む。その繰り返し。だから家庭を休むことのできる「 場 」にすることはとても大事なことだと思う。

病気になったら、自分の何か(性格とか、こだわりとか、生活習慣とか、生き方とか・・・)を変化させて、自分を変えていくしかないんだろうな~。
ある意味、病気もありがたく頂戴する。病気はいただきたくはないけど、人間、痛い思いしないとわからないことって沢山あるものね。

>写真は あやかし@の絵手紙。ちょっと 鬼かくれとります。ようござんしょ。

>殿、お仕事。
>ジャパン弘明寺さんへ。節分の護摩木申し込みに出かける。
>マンマミーヤ、地区センで勉強。
>あやかし@ 占い学校
>ららこさん・・・おこたの中、ぬくぬく。

本日 横浜 暖かくなりました。



 

神さまからのプレゼント

2009-11-22 21:44:04 | かみさまワールド  &   不思議世界
おばんです。
昨日は いちょう街のライブハウスに出かけた。
やっぱり音楽はいいね。元気をもらえるし、考えるヒントもいただける。音楽とともに生きているのがとても羨ましかった。

もう一度人生をやり直せるとしたら・・・音楽とか踊りとかをやってみたい。受験勉強なんか”くそくらえ!”って感じ。

多分、今までどこか我慢してきたものを取り返しているんだと思う。
ううん、違うな~やりたかったけれどできなかったことをやってみたい!と言う方がより近い感じかも?

でも、両方の人生はとれなかった。どちらかの人生。二つに一つ、って感じだとは思う。あっちも、こっちも自分の思いどおりにうまくいくなんてことはあり得ないからね。

だけど、もうここから先は、ぶつくさ、ぶつくさ 文句言って生きるのはやめたい。
< 22日 早朝 >
ららこさんが、またも病気。ワタシが思うのには、家族の病気をかわりに受けてくれていると思う。

嘔吐と下痢。

ずっと、薬師如来のご真言とともに治るように意識を集中している間に、いつのまにか自分も眠ってしまった。
このあとサプライズ・・・何と表現してよいのか?伝える言葉を知らないんだけれど・・・
 温かい、意識はあるが 空の世界 静寂の世界が広がった。息をしているようで、していないような・・・いえ、かすかにしているのだけれど・・・。しなくても生きられるんじゃあないか?と思えるほどのゆったりとした呼吸、安らかな気持ち・・・。
で また 眠りに落ちていった。

意外と、こんな時に、魂って体からするりと抜け出ることができるのかも知れない。勝手な想像だけれど・・・金縛りと対極にある境地なんじゃあなかろうか?
何だかね、これって神さまからのプレゼントのような気がするんですよ。”お誕生日おめでとう!”ってね。

今日はたぬきちが来た。忌憚のない意見交換のあと・・・最後、めちゃくちゃ笑ったことは、『 ももいろクローバー 』 マンマミーヤとお腹を抱えてわらいころげた。すみません、これって三人だけにわかるお話なんで・・。

楽しかった~~~

さッ また 明日から元気に働くべ。

とうちゃんは この日、例の”電気キンカンリコーダー”を ぷ~ぷか ぷ~ぷか やっていた。とうちゃんもまた いろいろなものを我慢して生きてきたからね。

>写真はららこさん。犬を飼うなんていうことはワタシの生きていく選択肢の中にはなかったし、一緒に寝るなんて想像もできなかった。

幼いころ、子犬を拾ってきて、父親にこっぴどく叱られたことがある。天国のとうさんなんだか、神さまなんだか知らないけれど、自分がほしくても、我慢して、封じ込めてきたものって、ある時、ひょんな形でプレゼントされるんじゃあないだろうか?って思うんだ。



鏡の池  ( 八重垣神社 )

2009-08-21 18:59:55 | かみさまワールド  &   不思議世界

 昨日お話した 不思議な池、八重垣神社の 鏡の池です。

         

地元の二十歳代のお姉さんが二人できていました。 占う白い紙が浮かんでいますが、その上に十円玉を乗せて池に浮かべるのです。 15分以内に沈めば、”良縁近し”と占うそうです。

この池は周囲は直径 5メートルくらいでしょうか?( ちょっとわかりません ) 

この占う紙は、実は池の手前に浮かべたのです。何分たったのかはわかりませんけれど、突然風が吹いているわけでもないのに、占いの紙が動きだして、丁度池の中心から 90度位( 時計と反対まわり )動いた場所に移動して、そして沈んでいったのです。

この写真の水面下に沢山みえるのは、すでに沈んでいる紙です。 この紙が手前に沈めば、近くに嫁ぎ、遠くに沈めば遠くに嫁ぐというお話もありました。真向かいの、180度まわった場所( 人はいくことができない )にも結構な数の紙が沈んでいました。

 ( あ~遠くにお嫁に行ったんですね。) 感慨もひとしお。

          

          写真は 池を見下ろせる場所にある祠( ほこら ) 

                                  

      鏡の池の説明・・・ 拡大しなくてごめんなさい。虫めがねでみるとみえますかね?

深い緑と、蝉しぐれの中、何となく、神様が本当にいらっしゃるように感じました。お若い方 お時間許せば、おでかけください。

< 社殿後方には「奥の院」が鎮座し、「鏡の池」と呼ばれる神池や「夫婦杉」と呼ばれる2本の大杉、「連理の椿」がある。「鏡の池」は稲田姫命が、スサノオノミコトに勧められ、この社でヤマタノオロチから身を隠している間、鏡代わりに姿を映したと伝えられるもので、良縁占い(銭占い)が行われる。社務所で売られている薄い半紙の中央に、小銭を乗せて池に浮かべると、お告げの文字が浮かぶという手法。紙が遠くの方へ流れていけば、遠くの人と縁があり、早く沈めば、早く縁づくといわれる。このため、軽い1円玉を使うのを避け、縁起をかついで5円玉(御縁につながる)を使う人が多い。また、紙の上をイモリが横切って泳いでいくと、大変な吉縁に恵まれるという。1970年代ごろに、この「鏡の池」に賽銭泥棒が出没して以来、池の底には目の大きめな金網が張られるようになった。>

そういえば、金網はってありましたっけ。 いもりが横切る大変な良縁ってどんなご縁で、どんな家庭を築くことだできるのだろう?と思いました。はい。

               


あやかし姫@の あやかしワールド

2009-06-17 07:59:51 | かみさまワールド  &   不思議世界
おはようございます。

昨晩は雷雨の中、ずぶぬれになりながらお菓子工場から帰宅。お疲れさま~~。
子供たちが作ってくれた夕食をおいしく頂く。ありがたいな~。主人になった気分。

何をしている訳でもないのに、時間の過ぎるのは早い。

占い学校のお友達に今の勉強(因縁法)が終わったら、学校を休学することをつげる。
その際、霊能者のNさんの話になる。霊能者を沢山知っている、その占い学校のお友達によれば、Nさんと別の霊能者(=仮にチャクランと呼ぼう)との意見が色々と違ったらしい。
 
 日本にも霊能力を持った人は沢山いるわけで、その力がどれくらいなのかは、素人のワタシには知るよしもないが、日本には 八百万の神様 が存在していて、どの神様がついているかわからないから?霊能者によって意見がいろいろとわかれるのは、当然なんじゃあなかろうか?と思った。キリストだっているわけだしね。

いろいろと話を聞いた。(ふむふむ)

そのチャクランさんは、いわゆる  人間に七つ備わっているといわれるチャクラ  というものが全部開いているらしい。だから、病も癒せる。天?の声も聞こえる。( →ここから、らしいをつけながら読んでください。)

”チャクラ”については名前くらいは聞いたことがある。頭のところにあるのは、確か”白色”だっけかな?たしか人体の七つの場所に各々”色”があるんだよね?緑とか赤とか青とか・・・?

黒はなかったような?それって、いろいろな色を混ぜれば”黒”になるわけで混ぜればいい。ってことですかね?
でも、黒は悪魔の色だったりもするから、元々備わっていないんですかね?( この辺、適当な発想、いつものあやかし@レベル )

普通の人は、このチャクラが二、三個?開いているらしい。

なんじゃら かんじゃら・・・。

姫「 じゃあ そのチャクラって どうやったら開くの?」
友「 それがね、普通のことを 普通にやればいいんだって。
 たとえば ”うそ ”をつかない。とか 他人をおとしめない。とか・・・。」
 過去にもどる・・・ そういえば、思いだした。(前も書いたけれど)ジャパンが中学生のころ。首の骨がずれて、全身痛みの中にいた時・・・。

霊能者らしきタカ先生(=ジャパンの学校の先生)が体直してくれたんだよね。(あと酔っ払いの整体師のおじいさん。)
そのとき、
タ「 〇〇さん、悪い気 たくさん溜まってますよ~。」って言われたんだ。

あの頃は、とうちゃんの事やら、子供たちのことやらで、まあいろいろあったからね。

結局のところ、どんな状況下に置かれても、悪い「 気 」を発しない。とか、平常心でいるとか、まあそういったことに勤めればいいんでしょうけれど・・・。
そんなことが難なくできれば、あの世に”おもどり”になっちゃうんじゃないかな?。

+++ 百人一首 占い +++

これはたぬきち(= 呼び方 いろいろ。たぬき先生のこと )に教えてもらった 占い方。

目をつぶって、百人一首の本を開く。そこにあるのが、自分の置かれている状況、または状態、そしてメッセージ。

久々 やってみたら、恋の歌が出た。
姫「 はあ~? 恋してるヒマなんてないし、大体 そんな歳じゃあない。」
たぬきちに用があって、電話をしてこの話をしたら・・・

そのまんま、詠むわけじゃあないんですよ。・・・つまり こういうこと。
姫の引き当てたお歌 
   難波潟 みじかき芦の ふしの間も
     逢はでこの世を過ぐしてよとや  ・・・ 伊勢

「 歌意 」・・・難波潟(なにはがた)の、芦の、その短い節と節の間のような、ほんのわずかな間も逢わないまま、私にこの世を終えてしまえというのでしょうか?   という実ることのない恋の歌ともいえるが・・・

>別の解釈・・・
注目すべき点・・・
 みじかき ふしの間 ・・・ 節の間。 人生の節目と考える。
 実は占い学校の友達と話す機会があった。(試験後)そこで話された内容、及び同級生たちとの会話の中で、実感したことがあるんだ。

それは、 「 ひとは やっぱり 一人なんだ。」ということ。

人という字は、お互いが支え合って成り立っているんだよ。ということは世の中でよくいわれていることだけれど、それは、まず、一個人が自分の足で立って一人立ちしてから初めていえることなのだと思う。

自立もしていないで、相手によっかっかっていることは自立とは言わない。

占い学校の人達はそれぞれ人生の荒波を乗り越えてきた人が多い。苦労したのはワタシだけじゃあないんだ。

占いの勉強も、生き方も、ここにきて、もう一度考え直し、生きなおしをしようと決断したところだった。( 歌を引き当てたときとどっちが早かったかは忘れた。)

> この世を終えてしまえと あなたはいうのでしょうか?

過ぐしてよとや。 の最後の「 や 」の字は 反語。
・・・いや そうではない。

もっと いい感じに生きなおすわ。じゃあね。
今から お肉半額セール。 それから 占い学校。頑張ってきます。








あやかし@ 皐月のおみくじをひく

2009-05-24 07:29:04 | かみさまワールド  &   不思議世界
わすれないうちに、おみくじを記録しておこう!
ワタシがいつもお知恵を頂く神社。( →占い学校の近く )
 < 第拾五番 大吉
四方の海の 波も静かに 島山の
    松の 緑に 朝日かがやく> 

いつもながら まつられている方の この御歌が 大好き。
++++ 運勢 ++++
波静かな海に朝日の輝くように 心配ごとなく する事なすこと幸の糧となってよろこばしい運です。
 一心に自分の仕事を大切に励み我儘を起こさず 身を慎んで酒食に溺れてはなりません。
< 願望 >神様におすがりし、辛苦に耐えれば必ず叶う。
< 進学 >怠け心に負けないで心乱れず専念せよ。叶う。
 おみくじは・・・大吉とか凶とかが、問題なのではなく、書かれてあることの何をとるのかが問題。
これは自分が一番よく分かるのだと思う。こころで読まなくてはね。

マンマミーヤは 川崎大師でひいた”おみくじ”で 凶 を引き当てた。
心配はいらない。ここの おみくじの1/3は凶なのだ。ただいまの落ち込んだ状態が、凶 なのだから それ以上悪くはならない。という風にとらえる。

それより大切なのは、書かれてあることで、自分が思いあたるところを改善していくことだと思う。
>写真は いつもお知恵を頂く 神社。桜はちょっと時季外れだけど・・。




祝詞  あなたも神社で!

2008-12-19 23:51:27 | かみさまワールド  &   不思議世界
神社・仏閣めぐりの好きなワタシですが、神社では何と言ってお参りしたらよいのかをしらないので、知人に聞いてみました。

もうすぐお正月ですので、覚え、唱えてみたいと思います。
よろしければ、あなたさまもどうぞ!

祝詞といっても山ほどありますが、例えば「はらいたまえ~ きよめたまえ~」で有名なあれは
*唱詞(となえことば)
「祓い給え、清め給え、守り給え、幸え給え」
 (はらいたまえ、きよめたまえ、まもりたまえ、さきはえたまえ)

*一切成就祓
極めて汚も滞無れば穢とはあらじ(きわめて きたなきも たまりなければ きたなきとはあらじ)
内外の玉垣清淨と申す(うちとの たまがきき よくきよしともうす)

*六根清浄大祓い ろっこんしょうじょう おおはらい

>六根清浄
六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは、人間に具わった六根を清らかにすること。
六根とは、五感と、それに加え第六感とも言える意識の根幹である

眼根(視覚) 耳根(聴覚) 鼻根(嗅覚) 舌根(味覚) 身根(触覚) 意根(意識) のことである。

[編集] 概要
六根は人間の認識の根幹である。それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道(八正道)を往くことはかなわない。そのため執着を断ち、魂を清らかな状態にすることを言う。そのため不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つことが行なわれた(山ごもりなど)。

かつては登山の際に掛け声としても用いられ、落語の「大山詣り」などにもその様子が描写されている。戦前までは富士山への登山の際にも掛け声として用いられたことが知られている。



二月 の  神社のお言葉

2008-02-01 23:07:54 | かみさまワールド  &   不思議世界
お一日 神社においてある 神奈川県神社庁の言葉

二月
清く 明るく 素直で 正しい心をもちましょう

二、初午と お稲荷さん

二月の最初の午の(うま)の日を「初午」といい、全国のお稲荷さんで神事がおこなわれます。

和銅四年(711),初午に京都伏見の伊奈利山に、宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ 食物の神)が降りてきたことが稲荷信仰のはじまりです。伊奈利は稲生(いねなり)の転語で、神が稲を背負っている姿から稲荷という字が生まれたと伝えられています。

平安時代に、稲荷信仰は真言密教と習合します。お稲荷さんのお使いは狐ですが、これは密教の影響です。密教の中には、茶キ尼天(だきにてん)信仰というのがあり、この茶キ尼天は、狐に乗っているという伝承と結びついたものです。以上

>写真は 以前ワタクシが うどんやに勤めていた頃に気合いをいれて作ったいなりずし 結局のところ、どなた様も召し上がらず ワタクシが殆ど一人で食ろうた品。味はいまいちだった。