「すみませ~ん、この〇〇って、どうやるんですか?」
「ああ、これは、こちらの端を切り落とし…(実演)」
「は~いはいはいはい」
「全て笊にあけて…(実演)」
「はいはいはいはいは~い」
「半分にカットしてから使ってください」
「ああ!はいはいはいは~い。そうやっていたんですね」
皆さんは小さい頃、親からのお小言に対して、面倒そうに「はいはい」などと言おうものなら
「はいは1回で良いっ」
と、更なるお小言をもらったりしなかっただろうか。
え?それはぴすけが40歳代だからだって?
いやいや、この問題、必ずしも年齢だけでは語れないのではないかと感じているところだ。
上記の会話は、ぴすけのパート先である百貨店に入っている惣菜店で
同僚(同じ40歳代だが、ぴすけより6歳年上)と交わされたものを引用したのだが
この会話をきっかけにぴすけの耳にある言語選別器にスイッチが入り
「はいはいはいはい」を、拾うようになってしまったのだ
今まで、言語選別器の篩に掛けられてきたのは、いわゆる「ら」抜き言葉や「させていただく」の多用
「ですね」の多用、身内への敬語(配偶者のことを「うちの奥さん」と表現するなど)
最近では「〇〇して参る」の多用(これは政治家だ)、「召し上がれる」を「いただける」と誤用
「こちら、〇〇になります」(実際に〇〇に変化してくれるなら面白いけれど)などなど。
こう書くと、ぴすけはいちいち人の話し方や言葉尻にチェックを入れているように思われるかもしれないが
そのとおり実際に会話をしている時には、相手の一言一句を言語選別器に掛けている
そこに颯爽と登場したのが、「はいはいはいはい」だ
気になりだしたら止まらない
30歳代の店長と社員も「はいはいはいはい」、50歳代の同僚も「はいはいはいはい」
電話での保険の勧誘でも「はいはいはいはい」、テレビでもお笑いタレントが「はいはいはいはい」
18歳の娘と話していたら「はいはい」、「はいはいはいはい」と相槌を打つので
「はいは1回で良いよ」と、お小言を言う羽目になってしまった。
それ以降、娘との会話で「はいはい」が出てこなくなったので
娘に対してはある程度効き目があったのか、私と話す時だけ用心しているのかのどちらかだ。
それにしても、どうしてこう「はいはいはいはい」と相槌を打つ人が多いのだろう。
もちろん、ぴすけが言語選別器で拾い上げているのだからそう感じると言えなくもないが
そればかりではないようだ。
過日、NHKの「ようこそ先輩」という番組で
お笑いタレントのロンドンブーツ・田村淳(敬称略)が先生となって母校に赴き
人との会話をつうじて、相手の話を引き出すコミュニケーション術の講義を行った。
会話の際には相手の話に共感することが第一であるとして、「へえ~」から始まり
相手が乗って話し始めたら「はいはいはいはい」と相槌を打ち
最後には「なるほどね~」と感心する。
この、「へえ~、はいはいはいはい、なるほどね」が、相手の心を開かせる魔法の言葉だというのだ。
実際、生徒達はこの魔法の言葉を多用(乱用?)して、お年寄りや弁当屋から話を聞きだす。
こりゃ、先生から「はいはいはいはい」を推奨するようになったのだから
「はいは1回で良いっ」などとお小言を言おうものなら
「一生懸命コミュニケーションをとろうと思っているのに、どうして怒られるの」
となる時期が、そう遠くない将来やってくる可能性がある。
もう20年近く前、近所の同級生と一緒に映画を見に行った時のこと。
「はいはいはいはい」と相槌を打つ同級生に
「ああ、もう一緒に出掛けることはないな」と思ったぴすけ。
その同級生は、当時、バカボンのパパの出身大学であるバカ田大学の隣りの大学で
教師になるために教育学部で学んでおり、現在は中学校の教壇に立っている。
生徒の話を聞く時、「はいはいはいはい」と言っているのだろうか。
同級生が教鞭をとっている中学校は、相当な学力のある生徒しか入れない学校だという。
誰か、「先生、はいは1回で良いですよ。」と、言ってくれないものだろうか。
それとも、優秀な生徒ほどそんな瑣末なことは気にせずに
むしろ「はいはいはいはい」を使いこなしながら、うまく世の中を渡っていくのだろうか。
「はいはいはいはい」と相槌を打たなくても、真剣に聞いてくれているかどうかはわかるはず。
相手が真剣に聞いてくれているかどうかを見抜き、相手に真剣に聞かせる話術を磨くことこそ
教師や芸人が身につけるべきことなのではないだろうか。
え?なにもそんなに難しく考えることではないし、いちいち気にしている方が悪いって?
「はいはい」
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ぴすけさんの日記を読むと、時々考えることがあります。
それは感想というか、自分の置場所が分からなくなったりもするのです。
今回の場合、最初「そうそう、そんな人いるよね。」と思う。ぼくの勤先にも、電話でお客様に対して「お名前様頂けますか?」という人がいます。これを耳にすると、気になって集中出来ないのです。「お名前」に「様」つけますか?そして「お名前」に対して「頂けますか」って、なにも授受は無いと思う。さらに、「頂けますか?」という質問も変ですね。名前を聞かなければ仕事に成らないのだから、選択肢は存在しない。そもそも、大概電話の最初に一度名乗っていると思う。その名前を聞いてから「いつもお世話に成ります。」等の、挨拶をしたはずだ。等々。
気になり出すと、きりがなくなります。
一方別の感想は、「はいはいはい」という返答は、何かを尋ねて、教えてもらった時に多い様に思う。つまり、「分かったから、それ以上の説明は不要。」という、無礼な意思表示だとも思う。ぼくの例では、説明をプツッと終え「以上!」と一言。
また別の感想は、言葉は常に変化するというもの。慣用が昇格して、正しい言葉は生まれる。というもの。
またまた別の感想は、どんな正しい言葉でも、そこに込める思い、受け取る側の思いが大事。不快であれば、「不快なので止めて下さい。」と伝えるべきだと思う。というもの。
などなど。
ぼくの現実は何もせず、ストレスのみ溜め込むのだと思います。
私は某住宅機器メーカーで、「お2階様」という言葉を聞いたことがあります。
私も連れも「2階」という姓ではないため、なぜ私達がそう呼ばれたのか釈然としませんでした。
それとも、この社員はグリーンピアに関して黒い噂のある肝臓が悪そうな「2階」という自民党衆議院議員を崇め奉っているのではないかとさえ思いました
暫くして、やっとそれが住宅の2階部分を指す言葉だとわかり、あきれるやら情けなくなるやら。
ならば風呂場は「お風呂様」、玄関は「お玄関様」、1階は「お1階様」でなければおかしいはずです。
さあ、それからが大変
暫く私とダーリンのおふざけ会話で、「お洗面所様」、「お廊下様」、「お台所様」と言いたい放題。
昨今の傾向として、敬語の使い方がよくわからないという背景に加え、丁寧であれば無難、丁寧であるに超したことはない、という責任回避の姿勢があるのではないでしょうか。
確かに言葉は生き物ですので、長い目で見れば変化して慣用されているものが新語として認められる(認めざるを得ない)状況も受け入れねばならないと思います。
自分の身に降りかかる災難は別として、そうでなければ高みの見物、対岸の火事の姿勢で笑い飛ばす、という術もあります。
私はたいていそうかな。
「ケケッ、こんな言葉遣いしている…」と、相手を観察しつつ、個人的範疇で茶化す
最も性質が悪いかもしれません