ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

北杜夫の死に思う ~おかしさと悲しさと~

2011-10-29 23:13:35 | 

北杜夫(以下、敬称略)の本と出会ったのは大学生の時だ。
最初に読んだのが『どくとるマンボウ航海記』で、通学途中の電車の中で読んでいて
何度吹き出したかわからないくらいおかしな本だった。

 私は今や広漠とした海の気をあびて大いに嬉しくなり、たちまちにして一つの詩のごときものをひねりだした。

  これは海だ
  海というものだ
  ああ その水は
  塩分に満ちている

ブーーーッ
という具合である
かくして私は、車内の注目の的となったのであった。
そんなおかしな「詩のごときもの」を作り上げたにもかかわらず
そこで北杜夫ははにかんでしまうのか、照れ隠しに次のように続ける。

 さすがに私はこの出来栄えに感服しなかったので、今度はもっと本物の詩を、凄愴なまでに美しいブレーズ・サンドラルスの詩の一説を口の中で呟いてみた。

  血だらけのけものの体を
  夕方
  海辺づたいにひいてゆくのは このおれだ
  おれが行くとき
  波間から無数のタコが立ちあがる
  夕日だ……
                          (なだ・いなだ訳)

エエーーーッ
なだいなだ登場
そう、なだいなだは「ぴすけの勝手に日本の知の巨頭ランキングベスト3」で
土屋賢二と並び、常に不動の位置を占めている。
北杜夫は、慶応大学病院の神経科の医局で、なだいなだと一緒だった時期があり
かつ2人は同人雑誌『文芸首都』のメンバーとして活動していたのだった。
北杜夫の作品には
『高みの見物』や『どくとるマンボウ航海記』のようなおかしさあふれる作品と共に
『夜と霧の隅で』や『為助叔父』のように、人間の悲しさを描いた作品がある。
そして、どの作品をとってみても
おかしさのなかにも悲しさが、悲しさのなかにもおかしさが同居しており
自分を笑う姿がかえって悲しくもあり、悲しむ自分がむしろおかしくさえあるという状況を描かせたら
北杜夫の右に出る者はないと私は感じている。
北杜夫の作品におけるおかしさと悲しさの同居は
北杜夫自身が、とりもなおさずおかしさと悲しさを併せ持つ人だったからで
その様子は、なだいなだが書いている物のなかにも時折見付けることが出来る。
なだいなだの長女誕生に際し、北杜夫は次のような行動をとった。

 お前がまだママのおなかに入っている頃、パパの友人の北杜夫という小説家と窪田般彌という詩人が言った。もし女の子が生まれたら心配に及ばぬ、嫁にもらってやると。(中略)二人はその頃、大分年をとりはじめていたが、まだ立派な独身であった。(中略)お前が生まれた時、感心に小説家はお前を見にやって来た。だが感心なのはそれまでであった。(中略)小説家は白いネルの産着を着て、にわとりのとさかのように赤いお前を、立ったままで、手を出すどころか後に組んで一べつした。そしてなんとも妙な顔をして「タハッ」とロボットでも出すまいというような声を出すと「これが、そのあれか」と小説家にあるまじき非常に不明確な言葉を吐き、けしからんことには将来妻となるかもしれないお前を、抱いてみようともしなかったのである。それでも帰る時に、「まあ、安心しとれ、二度目に結婚する時には必ずもらってやるから」とパパを慰めるような口調で言った。(なだいなだ『パパのおくりもの』)

北杜夫自身が、なだいなだとの出会いを書いた「なだいなだ氏の思い出」でも
はにかむ北杜夫の姿を見て取ることが出来る。

 なだ氏との最初の出会いは、慶応病院の医局の一室であった。(中略)その頃私は入局二年目で、医局長の小使いといった役をやらされていた。そして弁当を食べていると、前に坐ったフレッシュマンらしき男が、同僚とモームについて話しあっていた。医者には文学好きもあるが、慶応病院神経科でそのような言辞をなすとはふとどきものであると私は思った。そこで何か口をはさむと、その男は「何ですか?」と言って、温和な目で私を見つめた。それがいかにも余裕のある目つきであったので、私は「いや、何でもない」と言って言葉を切った。するとその男は、何事も起こらなかったかのごとく、弁舌さわやかにモーム論をつづけた。(『なだいなだ全集』第12巻付録しおり)

口をはさんではみたものの、なだいなだの温和で余裕のある目つきに気後れし
引っ込めてしまうのである。
北杜夫らしい一面だ。


よく、「少年のような心を忘れずに持ち続けていたい」などとほざく大人の男がいるが
私に言わせればチャンチャラおかしい。
そんな寝ぼけたことを言っていること自体、少年の心はその男から失われている。
少年は、自分が少年であり続けたいなどとは思わぬものだ。
おかしさと悲しさとが同居する、はにかみ屋の北杜夫こそ、私にとって永遠の少年である。

北さん、たくさんの本を、ありがとう。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
悲しいです。 (いつもの爺さん)
2011-10-30 20:03:36
私のの中にある、どことないウツ。そんな感じを表してくれた方でしたが。私は「幽霊」が好きでした
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行けばよかった (ぴすけ)
2011-10-31 18:42:01
私は興味を持った人に会ってみたいという気持ちがあります。会うといっても、講演会などで話しているのを実際に見るだけでもいいのです。同じ空間で、その人を目の当たりにしてみたいという気持ちから、なだいなだ氏や土屋賢二氏には会いに行ったことがあります。
北さんにも、会っておけばよかった。

なだいなだ氏が、北さんの死について書いています。http://blogs.yahoo.co.jp/nadashigbaka/7204173.html
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