ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

『ギフト 僕がきみに残せるもの』

2017-10-01 00:21:38 | 映画

アメリカで数々の映画賞を獲得した“GLEASON”
邦題『ギフト 僕がきみに残せるもの』を、ダーリンと観たが
なかなか記事が書けず、日が経ってしまった。
この映画は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した元アメリカンフットボール選手である
スティーヴ=グリーソンが、生まれてくる子供に贈るために撮影し始めた
ビデオダイアリーを基にして制作された。
ALSとは、運動神経系が徐々に老化し、歩行や会話・呼吸ができなくなる病気である。
知覚神経系は障害されないため、患者は全てを感じながら体を動かすことができない。
アメリカにおける診断後の平均余命は2~5年と言われている。
そのため、ALSと診断された後で子供が授かったことを知ったスティーヴは
自分が我が子を抱きしめることができるのか、そして何を残せるのかを考え
妻・ミシェルの協力を得て、毎日ビデオダイアリーを撮り続けることにしたのだった。


お昼を食べた後の鑑賞時間帯だったことと、なんとなく冒頭部分が退屈に感じられ
私もダーリンも猛烈な眠気に襲われた後は、舟を漕ぎつつ観たり観なかったりで
断片的にしか覚えていない
私が舟を漕がずに観ていられるようになったのは
スティーヴが「腕がチクチクする」と言って病院に行き
ALSと診断されたところからだった。
私の場合は、病気自体のことより、病気になったことで起こる家族との確執と
医療保険制度について深く考えさせられた。
スティーヴの父親は、子供が難病になった悲しみに耐えられず
自身が信仰するキリスト教再生派の信仰治療に頼り
それをスティーヴにも強いるが、治療の成果はない。
それに対してミシェルは「こんなのはデタラメ」と憤慨する。
一方スティーヴは、母親と離婚した父親へのわだかまりを修復するため
ビデオカメラを使ってインタビューし、父親と対峙する。
スティーヴは、かつての伝説的な選手としての名声と人脈を頼りに
ALS患者のための非営利の財団・チームグリーソンを設立し
積極的に政府や社会に向けて働きかけを行っていくのだが
その一方で、ミシェルは家族との時間やビデオダイアリーが疎かになっていることで
大きな不安と不満を抱えていたのだった。
私は病弱で、病気博物館とか病気のデパートなどと言われていることもあり
病気で肉体的につらいことも経験しているが
周囲の対応や無知によっては精神的につらくなることも経験している。
また、祖母の介護や父の闘病の際、家族の経済状況や疲労度・協力者の有無によっては
かなり深刻な事態になるし、感情的な問題が起きてくることも経験済みである。
肉体的にも精神的にも経済的にも余裕があって
なんの不安もなく患者へのサポートが出来る環境が整っていることは
そうそういないと考えている。


とくに、アメリカでは国民健康保険制度が日本のように整っておらず
ALSの患者が機器を購入するにも莫大なお金が掛かることと
その症状の苦しさから、途中で治療をあきらめたり拒否したりする場合が多く
気管切開を伴う人工呼吸器の装着率は、5%しかいない。
つまり、95%の患者は、人工呼吸器を装着しなければならない段階になると
治療をあきらめるか拒否して、亡くなっているのだ。
保険の適用が認められている日本においても、人工呼吸器の装着率はおよそ30%だ。
スティーヴの闘病生活と息子へのメッセージを淡々と映し出すだけで
過剰な演出があるわけではなく、特定の考え方を押し付けることもないからこそ
ALSという病気の問題、家族の問題、経済的な問題、社会保障の問題
そしてALSに対する社会的理解度の問題など
多くの側面から深く考えさせられる映画である。
そして、生きるということはどういうことなのか
自分はいかに生きるのか、ということも突きつけられる映画である。


これから公開の劇場もまだまだあるようなので
生きることについて考え、家族に向き合い、アメリカにおける医療制度の現実を知りたい方は
ぜひご覧になることをお奨めする。



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