中二病でも恋がしたい!
全12話+TV未放送1話
京都アニメーション、中二病でも製作委員会制作
アニメはタイトルで決めることも多い。このアニメはタイトルで決めたものの一つだ。仕事柄、若い人たちの見るもの、特に有名どころはどんなものかぐらいはわかるようにしている。ただのドタバタラブコメ+ちょいエロみたいなのには辟易するが、高品位なものもあるから侮れない。見やすいのはワンクールもの。人気が出てツークールとか、プリキュアみたいに1年間やるのにはなかなかしんどいと感じてしまう。
富樫勇太は元中二病。中学の卒業と共に『中二病』を卒業はしたものの、彼にとって闇に葬り去りたいほどの忌まわしい記憶となった。『闇の炎に抱かれて消えろっ!』 その時の決め台詞も今となっては悶え死にそうに恥ずかしい。順風満帆な高校生活が過ごせるよう、入学当日「生涯封印!」と中二病との決別を誓ったその矢先、一人の少女に出会ってしまう。その少女とは、現中二病の小鳥遊六花(たかなしりっか)だった・・。
中二病とは、中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」を自虐する語のこと。ラジオ番組『伊集院光のUP'S 深夜の馬鹿力』内で伊集院光により作られた。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。「病」という表現を含むが、実際に治療の必要とされる医学的な意味での病気、または精神疾患とは無関係である。とはウィキからの転載だ。
同じくウィキから、典型的な「症例」として以下6点が紹介されている。
洋楽を聴き始める。
旨くもないコーヒーを飲み始める。
売れたバンドを「売れる前から知っている」とムキになる。
やればできると思っている。
母親に対して激昂して「プライバシーを尊重してくれ」
などと言い出す。
社会の勉強をある程度して、歴史に詳しくなると
「アメリカって汚いよな」と急に言い出す。
で、発現性は人によって様々かもしれないが、『自己愛に満ちた空想とそれに源を発する発言』は、実際に言うか心に秘めたままかはともかく、若い頃には必ずあるものでもあろう。昔のことを思いだして、「恥ずかしい。消してしまいたい」ってことは全ての人にあるはずだ。なければ、自分に対しての嘘つきかまだ継続中のまま歳だけ大人になった人と言うべきだろう。ちょっとニュアンスは違うが、昔なら「若気の至り」とでも表現したはずだ。だから中二病とは揶揄するものの、私は特別に攻撃しようとも馬鹿にしようとも思わない。全ての若者+最近の馬鹿大人は中二病なのだ。
アニメに戻るけど、最初は中二病的振る舞いに辟易していた。痛いと言うより鬱陶しかった。4話、5話あたりは見るのがおっくうで、途中でめんどくさくなって寝てしまったこともある。しかしそれは伏線で、本当の物語は9話ぐらいから展開される。若者風に言えば神展開する。
六花が姉に連れられ祖父母の家に行くところ、いたたまれなくなって一人で帰ってしまうところ、、その辺からなぜ彼女が中二病に逃げ込んだか、不可視境界線を探しているのはなぜかがわかっていき、最後に勇太でないとどうしていけなかったのかがわかる。それは、自分では抱えきれないぐらいの大きな悩み、苦しみで、前に書いた化物語と同じにおいがする。私は悲しみで胸がつぶれそうだった。正直、こんな物語になるとは思わなかったので途中で見るのを止めなくて良かったと思っている。
残念なのはTVバージョンしか見てないので、未放送の1話を見てないことだ。ブルーレイやDVDの最終巻に入っているらしい。レンタルにも入っているなら借りて見てみたいと思っている。
原作の本があるらしいが、こっちは『原作じゃなくて原案だね』と書いている人がいるぐらい、アニメ版とは違うらしい。と言うか、アニメ版を作る時にいっぱい書き加え、新しいキャラを追加しておもしろくしたようだ。逆に本を気に入った人にはアニメ版は不評なのかなと想像した。私はもう目が悪くなったせいもあって本を買おうとか読もうとか考えてない。アニメ版の方が気楽だからね。
『小鳥遊六花・改 ~劇場版 中二病でも恋がしたい!~』
好評なのだろう、映画化されるみたいだ。
期待したいところだが、「イベント見てきた人によると映画は総集編+一部新規カットの構成らしい」と言う情報もあるから、あまり期待できないかもしれない。ちょっと「旬なうちに儲けちゃおう」的なやつなのかなぁって感じた。違っていたらいいんだけどね。
と言うことで、ワンクールで見やすいしDVD(7枚らしい)借りて一気見することをお勧めします。気に入ったらあるうちにグッズも手に入れておきましょう。