ちょっとピンぼけ/倉敷界隈

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今日の見もの(アナザー プラネット)

2013年08月15日 09時19分54秒 | 見もの

アナザー プラネット
ANOTHER EARTH
2011年 93分 アメリカ

名前からSF物、太陽系に10番目の新惑星が見つかって、そこに行くと実は地球人の・・と言うよくあるパターンと思い、故に簡単に滞りなく楽しめると思って見た。ちょっと違っていたみたいだ。

17歳で名門大学MITに合格した秀才少女ローダは、ある夜、不思議な惑星が空にあるのを目撃。気を取られるあまりに衝突事故を起こしてしまい、妊婦と子どもが亡くなってしまう。4年の刑期を経て出所したローダは、謝罪しようと被害者遺族の夫ジョンの元へ出向くが、本来の目的を話せずつい身分を偽ってしまう。そして清掃会社のスタッフとしてジョンの家へ定期的に通うことになるのだが、例の不思議な惑星が、同じ人間が存在する“もう一つの地球”であることを知ってしまい、ならあそこにいるもう一人の私たちはと考えた・・。※あらすじはネットより(改)

見始めて思った。これはもう一つの地球に行って冒険なり侵略なりが起こるような単純な話ではない。どう見ても”贖罪”の話だ。で、贖罪だけならその心の葛藤が描かれて終わりなのだが、そこにもう一つの地球が出てくるからややこしい。

物理をかじった人ならわかるだろうが、存在するから認識するのではなく、認識するから存在するんだという話がある。となれば、その「もう一つの地球」を認識した時から、それは現実に存在することになる。現実が進行することになる。だから、4年前までは今の地球ともう一つの地球は完全に同期していたかもしれないけど、認識された時点で別の存在として現実に存在しているはずだ。ではこちらで事故を起こし服役した自分とは別に、事故を起こしていない自分が存在するかもしれない。逆に被害者の家庭は、事故などなく未だに幸せな一家として存在しているかもしれない。父親はあちらに行けば、生きている妻、元気な子どもと再会できるかもしれない。そして同じように当選したあちらの私は、チケットを譲ることなくこちらにやってくるかもしれない・・。これが最後のシーンだと解釈できる。が、それを一回見ただけで謎解くのは難しい。結局、不思議で難解、いったいどういう意味なんだろうとミステリアスなまま終わってしまって、何となく「よくわからないけど名作なんじゃない?」的な映画になっちゃっている。

●2011年サンダンス映画祭審査員特別賞、アルフレッド・P・スローン賞、W受賞!

だそうだから、きっといい映画なんだろうけど、一般的にヒットする映画とは思えないな。

さて、私としてはこのもう一つの地球が本当に存在しているものなのかどうかも疑っている。目に見えているが、それは本当の存在じゃない。例えば、鏡に自分を映せば本物と全く同じものが目には見えるが、それは存在してるわけじゃない。そんな本物だけど本当に実在しない星のように感じる。あれだけ近づいてきたなら、ものすごい重力で地球は壊滅的天変地異に襲われておるはず。それが全くの平穏。映画のシーンの中でも天気の荒れたシーンがあまりない。そのしーんとしたシーンがそれを思い起こさせる。

とまぁ色々に感じられる映画ってことだろうか。

どう見ても低予算で作られたように見える。だけど妙に心に引っかかる映画でもある。こういう映画もいいんじゃないかな。DVDを借りて見るのもいいと思います。勧めます。

一つ引っかかるのはタイトル。何でこんな日本語名にしたんだろう。原題の方が遙かにいいし、意味がよくわかる。単にゴロの問題か? プラネットとアースじゃ全然違うじゃんか。これなら太陽系に別の惑星が発見されてそこから・・と感じるのが当たり前。なんか自分の英語力を徹底的に馬鹿にされているようで腹が立つ。こんなタイトルをつけた人に理由を教えて貰いたいもんだ。

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