ちょっとピンぼけ/倉敷界隈

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今日の見もの(AVP2 エイリアンズVS.プレデター)

2013年07月26日 21時14分02秒 | 見もの

AVP2 エイリアンズVS.プレデター
Aliens vs. Predator: Requiem
2007年 94分 PG-12 アメリカ

2004年に公開され大ヒットを記録した『エイリアンVS.プレデター』の続編だそうだ。

前作での南極における戦いでスカー・プレデターの体内に寄生していたチェスト・バスターが、プレデターの宇宙船内で胎動し、プレデターの性質を受け継いだ新種のエイリアン「プレデリアン」として成長し、船内のプレデター達を殺戮しはじめる。プレデリアンを狙ったプレデターの攻撃で船体にダメージを受けてコントロールを失った宇宙船は、アメリカ・コロラド州ロッキー山脈麓の森に墜落する。

墜落した船内に保存されていたフェイスハガーが獲物を求めて外に飛び出して行くが、負傷しながらもガントレットで救難信号を発したプレデターはプレデリアンに息の根を止められてしまう。狩猟中に森に墜落した宇宙船を目撃した親子がフェイスハガーに寄生され、地球上での成体エイリアンの増殖が始まった。

一方で、宇宙船からの緊急信号を受信したプレデターの本星から、エイリアンの駆除・及び自分達の具体的な存在痕跡の抹消を生業とするプレデターであるザ・クリーナーが地球へ送り込まれる。クリーナーは宇宙船とプレデターの遺体を消滅させ、エイリアンの追跡を開始するが、プレデリアンをはじめとしたエイリアン軍団は下水道の入り口に住む浮浪者達を襲って町へ接近する。ザ・クリーナーは下水道内でエイリアン軍団をようやく捉えるが、プレデターの戦闘能力と知能を継承したプレデリアンを相手に苦戦し、両者の交戦は街中へ発展してしまう。

街中に侵入したエイリアン達は学校のプールや、一般民家など様々な場所で人間を惨殺しはじめ、パニックに陥った住民達は町からの脱出を目指し、武器を求めて銃砲店に集まった。その頃、保安官事務所からの救援要請を受けた州軍部隊が街に到着するが、すでに相当数に増殖したエイリアン軍団の襲撃を受けて全滅してしまう。

州軍の装甲車に残されていた軍用無線機で司令部と交信した保安官達は街の中心部で救出ヘリを待てと誘導されるが、不安を感じた若者達とイラク帰還兵の女性は病院にあるヘリで脱出を試みる事を決め、保安官達と袂を分かつ。保安官が誘導された街の中心部は、避難民とエイリアンの戦場と化していて、保安官達は救出ヘリの到着を信じて必死の抗戦を続けた。

一方、プレデリアンもまた病院に乗り込み、入院中の妊婦達に幼生を寄生させ、エイリアンの繁殖を図っていた。そんな中に、装甲車で乗り付けてしまった若者達は、ヘリのある屋上を目指してエイリアンの巣窟となった病院に突入してしまう。プレデリアンを追跡していたザ・クリーナーも病院へ突入し、人類とエイリアン、プレデターの3つ巴の戦いが開始された・・。※あらすじはウィキより

重い映画は見たくなかった。重いというのは主人公たちの心情の意味ね。だから何も考えずに楽しめる(この映画に「楽しい」という言葉を書くのは多少の違和感があるが)映画を探した。タイトルから、あの有名人(!)二人(二種類?)が激しく戦う意味のない映画だと思ったからだ。実際その通りなのだが、ただ単におどろおどろしい怪物たちが残虐な人殺しをする映画で、相手の数や状況から最後のシーンも予想できたし、本当に中身のない映画だった。

じゃぁと考えると、エイリアンやプレデターの映画で衝撃を受けた人なら、その二大スターが出る映画はやはり見てみたいし、ライオンと虎を戦わせたらどちらが勝つか的な興味も持つだろう。それを作ったところがこの映画の価値なんじゃないかと思う。惜しむらくは、前作はストーリーとしても成り立っていたしそれなりにおもしろかったが、この映画はストーリーなんてなく、ただ人間たち(相手も)を虐殺していくだけの場面が延々と続く。画面も暗く何をしているかわからないし、エイリアンなのかプレデターなのかもよく見えないシーンすらある。どこかに「残念な映画」と書いている人がいたが、私はもっと直接的に「意味のない映画」と書いておこう。お金を出してみる映画じゃない。無料のロードショーでも途中で止めてもいいランクだと思う。

小学校の頃、本の好きな女の子がいて、彼女はルパンのファンで、私はホームズ派だった。その彼女がホームズを悪くいい、ルパンの彼女を殺した悪人と言った。ルパン対ホームズという本があり、その中にそういうシーンが出てきたのだった。作者はルパンの作者だという。そりゃホームズのせいじゃないだろう。コナン・ドイルが書いた本ならともかくという私の言葉を、彼女は受け入れることはなかった。

こういう二大スター出演の話の度に、どうしてもあの時の彼女の言葉、表情を思い出してしまう。この映画の後やはり彼女を思いだした。徳子と書いてのりこと読んだ。もう立派なおばさんになっているはずだ。彼女は今どうしているのだろうか。彼女の引っ越し前夜、借りていた本を返しに行った時に見たのが最後だ。お母さんと二人で小さな段ボールにぎゅうぎゅうに(たぶん本を)詰めていた。他にはもう何もなく部屋は空っぽだった。みんなに会えなくなるというのに少しも悲しそうでなかったのが不思議に感じたのだった・・。