太郎の右に、小道が出来つつあります。これは、遠くまで草を食べに行くようになったから出来た道です。目的地がなければ道はできません。近場で間に合うのであれば、思い思いに、草を食べ歩くので、道にはなりません。
この子たちは、これ以上、道幅を広げません。大切な草だから、犠牲は最小限にしているのか、誰かが、通った後なら、そこは、確実に安全なのか。すべて、まきばにできる道は、この幅です。見るたびに、高村光太郎の『道程』を、思い出します。詩の内容は、確実に思い出せませんが、『こんな詩があったな。』と。
パイ
「ここを通ると、おなかを草で擦れるから、
気持ちいいんだよ。」
成程、食べられない草にも、使いみちがあるんだ。