◆ 歴史を軽んじる罪 (東京新聞【本音のコラム】)
戦前、ブラジルへの移民は、神戸から西回りでマラッカ海峡を抜け、喜望峰をまわってサントス港に入港した。それだけでも長大な航路だが、長谷川忠雄さん(85)一家十二人は、いくつかのコーヒー農園を経由したあと、第二次大戦がはじまる頃になって帰国。こんどは満州最北、佳木斯(ジャムス)の奥、富錦(ふきん)に移住した。
長崎の中国人強制連行裁判を支援する会で、ボランティア通訳として活躍している長谷川さんが最近だした『落葉して根に帰る』(海鳥社)は、月並みな「数奇な運命」と言う表現では間に合わないほど過酷な記録だ。
生活するためだけで地球規模で移動し、侵略地・満州で敗戦を迎え、混乱のなかで二人の姉を喪(うしな)い、両親が目の前で殺害された。
亡国の民だった、十二歳の著者と十歳の弟を救ってくれたのは「中国の貧しい人たちだ」と著者は書いている。
毛沢東の解放軍に入って、蒋介石の国民党軍と戦う戦車の修理に従事していた。日本人技師が大勢残って活躍していた。帰国できたのは、一九五三年の春だった。
日本の強制連行、強制労働を「民間がやった、すでに解決済みだ」というが、自国が犯した罪は潔く認めるのが正道ではないか、と長谷川さんはいう。異国に遺棄され生死の問を彷徨(さまよ)った苦難の人生の末の結論である。
「歴史を軽んずるものは将来を誤る」。それが教訓だ。
『東京新聞』(2018年11月13日【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)
戦前、ブラジルへの移民は、神戸から西回りでマラッカ海峡を抜け、喜望峰をまわってサントス港に入港した。それだけでも長大な航路だが、長谷川忠雄さん(85)一家十二人は、いくつかのコーヒー農園を経由したあと、第二次大戦がはじまる頃になって帰国。こんどは満州最北、佳木斯(ジャムス)の奥、富錦(ふきん)に移住した。
長崎の中国人強制連行裁判を支援する会で、ボランティア通訳として活躍している長谷川さんが最近だした『落葉して根に帰る』(海鳥社)は、月並みな「数奇な運命」と言う表現では間に合わないほど過酷な記録だ。
生活するためだけで地球規模で移動し、侵略地・満州で敗戦を迎え、混乱のなかで二人の姉を喪(うしな)い、両親が目の前で殺害された。
亡国の民だった、十二歳の著者と十歳の弟を救ってくれたのは「中国の貧しい人たちだ」と著者は書いている。
毛沢東の解放軍に入って、蒋介石の国民党軍と戦う戦車の修理に従事していた。日本人技師が大勢残って活躍していた。帰国できたのは、一九五三年の春だった。
日本の強制連行、強制労働を「民間がやった、すでに解決済みだ」というが、自国が犯した罪は潔く認めるのが正道ではないか、と長谷川さんはいう。異国に遺棄され生死の問を彷徨(さまよ)った苦難の人生の末の結論である。
「歴史を軽んずるものは将来を誤る」。それが教訓だ。
『東京新聞』(2018年11月13日【本音のコラム】)
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