北村小夜さんをご存知ですか?
1925年治安維持法公布の年に生まれ、満州事変、かいらい国家「満洲国」誕生、その後の日中戦争を生き、敗戦後は東京都の教員となり、当時特殊学級と呼ばれていたクラスの担任をされた。そこで子どもたちから「分ける」ことは差別と教えられ、以降、「分けない」教育を中心に、「日の丸・君が代」の強制問題や戦争につながることには声をあげられ続けて来られた。
今回、久保敬元校長の文書訓告取消を求める応援団(ガッツせんべい応援団)主催で、北村小夜さんを囲んで、久保敬さん、辻野けんまさん、お三方の鼎談が実現した。集会のタイトルは、「元軍国少女北村小夜さんに会いに行く!忘れない、諦めない!行き合う」世の中をめざして」。
《はじめに》
小夜さん!学校における「君が代」強制に反対している者たち、また、分けない教育を目指す者たちは、親しみを込めて大先輩である北村小夜さんのことをこう呼ぶ。その小夜さんが、今年の11月には百歳を迎えられる!それならぜひお話をお聴きしたいと思い、7月21日ガッツせんべい応援団主催で小夜さんのお話を聴く会を開催した。
教育の怖さ、分けない教育の大切さ、これまでも小夜さんの話を聞くたびにはっとさせられることが多々あった。今回はガッツせんべいこと久保敬さんと北村小夜さんの対談、さらには大阪公立大学の辻野けんまさんにも加わっていただき、世代を越えた世代をつなぐ鼎談が実現したことが何よりうれしい。少しでも小夜さんに触れてほしいと、その折の感想をまとめてみた。記憶間違いもあるかもしれなが読んでいただければうれしい。
《教育は恐ろしい》
小夜さんの話から強く感じたことのひとつは「教育は恐ろしい」ということだ。時代の空気が戦争に傾き始めると、子どもは夢中になって戦争に親しんでいく。鬼畜米英をやつける絵を描いてごらんなさい、と先生に言われた子どもの小夜さんは、さて、どんな絵を描こうか考える。チャーチルが肉挽きで血をしたたらせている絵を描き、これならきっと先生は褒めてくれるに違いないと勇んでそれを国民学校に持っていく。子どもはとても素直に戦争に染まっていく。男子の海軍のかっこいい制服を見て、自分も何かやらなければと、小夜さんは日本赤十字社に志願する。そうすれば女子でも「靖国」に行けると思ったからだ。人を戦争に誘導するのは簡単なことだと小夜さんはいう。
《小夜さんは語る》
小夜さんの話の中に、戦争に行った兵隊さんの中には精神障害をもって帰って来た人もいたとあった。そういえば、かつてベトナム戦争の折、戦死したアメリカ兵より、帰国後自殺した元アメリカ兵の方が多かったという話を思い出した。今でこそ、戦争のPTSDが話題になるが、戦地での殺し殺される関係の異常性はおそらく想像を超えるものがあるのだろう。小夜さんは実際その有様をご自身で見て来られたわけだから。小夜さんの言葉はこちらに響く。
戦争に負けて、小夜さんは八路軍と1年余り行動を共にしたという。その話もきっとどこかに書いておられるだろうから読みたいものだ。小夜さんの自己紹介の後、久保さんと久保さんの友人Qちゃん(腹話術の人形)が登場する。Qちゃんはいつも人気者だ。
《正体を見極めること》
小夜さんいわく、「正体を見極めること」と。おそらく戦争について言われたのだろうが、これはいろんな場面で必要なことだ。かつて、戦争中、日本国民全体が「正体を見極めず」、まるで集団催眠にあったようにひとつの方向へ進んでいった。今はどうだ?久保さんがいう、僕は戦争中に子どもたちを戦地に送ったような教員にはならないと思っていたが、「提言」を出した後、いや自分も戦争中の教員と同じではないか、ただただ、上から来た通りに「教育」をしてきたのではないか、そんなふうに思ったと。戦争は嫌だと言いながら、どこかで戦争に加担している面が私にはないだろうか。
また、久保さんはこうも言われた、小夜さんが本に書かれている、「戦争は誰のためにするのか」と先生に尋ねた話。僕にそんな質問ができるだろうかと考えたと。いつの間にか戦争に絡め取られていやしないか、自分自身に問わなければならないのかもしれない。
久保さんは小夜さんに、戦後どうやって生きてこられたのかと尋ねる。小夜さんは、自信がないと何か資格が取りたくなる。いろいろ資格を取った。小学校の先生になった。人を信じられず、こんなことがあった、傘を取られまいと電車の中で傘を握りしめていた。気がつくと、持っていたのは傘の柄だけだったと。
傘の話は何とも皮肉な暗示を私たちにも示してくれたのかもしれない。傘の柄ばかり握りしめて、いつの間にか本質を忘れてしまうことはありがちだ。
《ちゃんと敗けてこなかった》
小夜さんいわく、戦争に敗けたってことがどういうことなのか、あの時もっと考えなければならなかった、と。それは今でも言える。敗けたのに勝っているように見える。つまりちゃんと敗けていないのではないか、と。
横浜の新聞博物館で戦争の写真の展示を見たことがあった。そこに来ていたブラジル人に今の日本を見てどう思うか聞いてみた。そのブラジル人は「日本は戦争に勝っている」と言った。小夜さんは日本は敗けたと思っていたからびっくりした。その人はいう「だって天皇が生きているじゃないか」と。小夜さんがちゃんと敗けないまま日本はここまで来てしまったのではないかと言われるのを聞いて、その通りだと私も思った。それが今の日本をつくって来たのかもしれないと思った。
久保さん、小夜さんの話を聞いて、戦争中の歌とは知らずに僕も子どもの頃「汽車汽車しゅっぽしゅっぽ」と歌っていたことを思い出したという。戦中からそのまま戦後まで変わらずにずっと続いていることは他にもある。名前を変えて今も祝日としての残る天皇制にまるわる暦もそのひとつかもしれない。
小夜さん、私は、ずっとおかしいと言い続けて来た。自分は中央に位置していなかったので外野から言い続けた、と。それが小夜さんの、何の忖度もなく核心をつく発言につながっているのだろう。
天皇制は戦後も残った。そして、それは今も機能している。
《なぜ分ける》
小夜さんのお話は続く。(勉強の)できない子どもは不当に「できなく」させられている。できない子は勉強したいのに、学校に来るなと言われる。障害のある子どもの教育が立ち上がる時、私もそこを希望した。小夜さんは、一貫して「分けない」ことが一番と言われているが、以前、それは、「勉強のできない」子どもを分けるなというばかりではなく、「勉強のできる」子どもも分けられることによって実は被害が及ぶのだと聞いたことがあった。その時、その通りだと思った。本来私たちの社会にはいろんな人がいる。それを学びの場で分けておいて、社会で共生などできるはずがない。「分ける」ことは「分けられる」子どもすべてが被害者であり、それでは共生社会など理念止まりで実際に作れるはずがない。
小夜さんは、かつて文部省が公表した「我が国の特殊教育・・」という資料を紹介され、障害のある子どもの教育が大事であると書きながら、50人学級(当時)の中に障害のある子どもがいると他の子どもの成績が上がらないから、そういう子どもは特殊学級に入れる、と書いてあった。それを見た時、小夜さんはけしからんと思った、と。そんなことを教師が率先してやるのはどう考えてもおかしいだろう、と。それで、小夜さんは未就学の子どもを考える会というのを立ち上げたと言われた。今も文科省は日本型インクルーシブ教育といって、堂々と「分ける」教育を続けている。
《会場からの質問》
辻野けんまさんも参加されて御三方の鼎談が始まる。会場からの質問をけんまさんがまとめられて小夜さんに問う。質問はおもに教育に関することと戦争に関することのふたつに分類できると。
特別支援教育についての質問があった。戦争反対は一致するだろうが、特別支援教育は意見が別れる問題だ。小夜さんがぶれないのはどうしてか、と。小夜さんいわく、日本の憲法は能力差別を許しているが、私は差別に反対している。能力によって分ける、その分け方が不公平だ。70年代から論議されているが、公立高校は定員割れしても、障害のある受験生は不合格にする、それは差別ではないかと私は思っている、と。
この問題も今もずっと続いているところが多い。大阪府では府立高校受験において「定員内不合格」つまり、定員割れすれば、受験生は全入という了解事項がある。運動の成果とも思うが、まだまだ他の都道府県には定員割れしても障害のある生徒を不合格にするところがある。現職時代から思っていたが、障害のある生徒は、通学にもハンディがあるのだから希望する府立高校どこへでも入学を認めてもいいんじゃないかと。現実は程遠いが。
小夜さんはさらに話される、私のところに直接北海道の当事者から教職員組合の集会で「定員内不合格」がテーマとして取り上げられなかったと訴えが来たが、自分は差別を許さないという立場から、この問題をずっと考えて来たと。
子どもは先生だと考えた例があるかという質問に対して、『いっしょがいいならなぜ分けた』という本を40年前に、それまでの30年を振り返って書いた本がある。つまり70年前の話だ。それが40年経って再版の話がある。分離は差別だという問題が今もあるということだ。自分が特殊学級の担当になった時、子どもから「先生も落第してきたんだな」と言われた。自分は「分ける」ことをできるだけ減らそうと思い、差別を減らそうと努力しようと思ったわけだ、、。文部省は、その当時、「交流」を進める資料を作っていた。小夜さんは普通学級と特殊学級の「交流」を進めようと努力したが、その時特殊学級の子どもから「一緒がいいならなぜ分けた」と言われ気がついたと、「交流」というのは分けるから生まれる言葉だ、と。子どもから教えられたと言われた。
軍国少女から脱することができたのはなぜ?という質問に、小夜さんいわく、脱することができたかどうか、残っているかもしれませんよ、と。残ってんじゃないですかね、そこから脱け出る努力はして来たつもりだが、まったく脱けたといえるかどうか、と。
私はここが特に印象に残った。いったん教育で刷り込まれると、何年経っても、脱けないのかもしれない。このことの恐ろしさを私たちはどこまで知っているだろうか。
久保さんが、教員評価によって現場の教員は汲々としていると言われると、小夜さん、勤評も予算減らしのためでしょ、と、ズバリ教員評価制度の本質を突く答え。考えてみるとそりゃそうだ。小夜さんは、“勤評”を闘ってこられたのだから。こうも言われた、今も給特法の議論をしていても教育の議論をしていない、と。
けんまさん、「ちゃんと敗けることができなかった」という点に関して、これから何ができるかという質問があったと。それに対して小夜さん、教科書の墨塗りをしても形だけでしょ。なぜ戦争をしたのか、について振り返っていない。一番の問題は、あまり問題になっていないが、教育勅語の問題。これは「神勅」によるものと書かれているが、そんな言葉は今ないが、それでもやはり「神勅」は生きている。それでなきゃ天皇制は続いていない。教育勅語と道徳を比較して見ると、そのまま繋がる。健康増進法も同じ問題、と。
久保さんいわく、子どもの権利としてあることが、それが子どもの責務になっているのではないか、と。小夜さんいわく、健康増進法には責務と書いてありますものね、と。
久保さん、働き方改革も同じだと思う、教員のためと言いながら教員に責務を押し付けている、と。小夜さんいわく、5歳児検診が始まっているが、これは新優生保護法じゃないかと疑うことが必要だが、そこまで国は丁寧に子どものことを考えてくれているのかと思う人がいる。どうだろうか、と。
最後に、辻野さんから、zoom参加者でドイツの学生も関心を持って聞いているとあった。海外の人の話で「日本人は、とにかく戦争をやめろ、戦争をやめれば平和が来るように思っているが、私たちは平和のためにたたかっていると思っている」と聞いたことがある。それぞれの置かれた立場から考えるとなかなか難しい問題であると思う。私は学生たちを信頼しているが、戦争をやめろというだけでは届かないだろうとも思っている。実際にそういう場面に立つとどうなるか。ますます悩みが深まったことにお礼を言いたい、と言われた。
そして、小夜さんは、何よりも「ちゃんと敗けて来なかった」ことが問題、今からでも取り返せるものは取り返していく、黙っていると、、、そこまで戦争は来ているわけですからね、と言われた。
《おわりに》
1925年生まれ、今年100歳になられる。ひょうひょうと話される小夜さんのお話は、こんな言い方をするとつまらないかもしれないが、歴史の重みが詰まっている。戦争がどんなふうに始まって、どんなふうに「だまされて」、どんなふうに終わったか、それを生身で体験された話だ。その小夜さんが言われる「日本はちゃんと敗けていない」がそのまま今のこの危うき日本を形作っているのだとしたら、私たちは、少しでも取り戻していかなければならないだろう。そして、それは、けんまさんが言われたように「戦争をやめろ」という言葉だけではなかなか届かない。著明な言葉であるが「平和は眠りを許さない」、それは日々の暮らしからしか平和は実現できないということなのかもしれない。