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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

中高一貫校問題⑤

2014年01月25日 | 暴走する都教委
  《尾形修一の教員免許更新制反対日記から》
 ■都立中学の教科書問題-中高一貫校問題⑤


 去年暮れに中高一貫校関連の新書が相次いで出版されたことから、この問題を書き始めたわけである。ところがこの3冊の本すべてに全く書かれていない重大問題が2つある「教科書問題」「定時制問題」である。そのことを書いておきたいと思う。まず、不思議なことは、この3冊とも、東京で初めて作られた中高一貫校である白鴎高校の中高一貫1期生の進学実績に多くのページをさいている。しかし、(知ってか知らずか判らないが)、東京都の教育行政全体の中で、この問題を考えていない。
 都教委は20世紀後半から「都立高校改革」を進めてきた。その中身は「都立高校改革推進計画」に詳しくまとめられている。都立高校の再編は3回に分けて進められてきた。その中で「都立高校の規模と配置の適正化については、平成23年度までを視野に入れて、平成9年度から平成18年度までに、統合・改編等に着手するものを計画化」とされている。西暦で書けば、1997年から2006年となる。
 この中で、都立中高一貫校を10校も作るというのは、2002年秋に発表された「新たな実施計画」(第三次計画)で明らかにされた。ところがそれ以前に発表されていた「第二次実施計画」に、都立大学附属高校を中高一貫校に再編するという計画が入っていたのである。
 その時点では、僕はこの計画はまあいいのかなと思っていたのである。各県で一つぐらい中高一貫校を作るという計画があったから、東京でも一つぐらいあってもいのかなと。(都立大学そのものも再編計画があった。それは大きな反対があったが結局「首都大学東京」になった。都立短大や都立高専も同時に再編された。)
 ところで、この「第二次計画」が実現しないうちに、つまり中高一貫校を一つ作ってその検証をする前に、それどころか、都立大附属を差し置いて第三次の計画に入った「白鴎高校の中高一貫化」が先行したのである。
 そして同時に都立高校10校を中高一貫校にするという、その時点でもまた現時点でも他県で実施されていないような計画となった。それも「進学校として知られていた高校」を中高一貫化するというのである。これが私立高校にも影響しないわけがない。
 私立を管轄するのは都教委ではなく、都知事の直轄である。(全国どこでも、大学以外の私立学校の設置・廃止・変更などの認可は教育委員会ではなく、都道府県知事の権限である。)つまり、石原知事(当時)の意向や了解などがなければ、このような「中高一貫校政策」は実施できないと思われる。
 2004年4月、白鴎高校に「白鴎高等学校附属中学校開設準備室」が設置された。前年の2003年10月23日に、かの「10・23通達」が出された。また2003年夏に、「七生養護学校事件」が起こされ、都教委による性教育の弾圧が進められた。
 また2003年度から「主幹」制度が導入され、2003年9月に「異動要項の改悪」が行われた。
 このように、都教委の権力的教育行政がもっとも「猛威」を振るったのが、中高一貫校計画が実施された時期と全く重なっている。
 であれば、都教委の国家主義的または新自由主義的教育観が、当然中高一貫校大量実施計画にも反映していると考えない方がおかしい。僕にはそう思えるし、当時都教委のもとで働いていたものとして、そのように考えていたのである。
 その懸念は、白鴎高校附属中学校が2005年に発足するに当たり、その前年の夏に使用教科書を「採択」するときに、まざまざと証明された。この時に都教委は「新しい歴史教科をつくる会」の作った扶桑社の教科書を採択したのである。(ちなみに僕は、白鴎高校の卒業生であり、白鴎の名を冠する附属中に扶桑社版歴史教科書を使うことを歴史の教員として認められないと考え、都教委への反対運動を行った。以後も、採択及び採択制度の改善に向け、都教委への運動を継続している。)
 教科書の採択制度を今ここで詳しく解説する余裕がないが、小中の教科書は「無償」になった時から、教育委員会による「広域採択」となっている。
 区立中は区教委が採択するが、都立中学は都教委の設置だから、都教委が採択できる。それ以前に、都教委は養護学校の一部に扶桑社を採択していた。(最初の扶桑社版を採択した公立学校は、東京都と愛媛県の養護学校のみだった。)
 以後、続々と開校する都立中学(都立中等教育学校前期課程)の歴史、公民教科書は、すべて扶桑社またはその後継の育鵬社しか採択されていない。他教科は学校ごとに分かれている場合もあるが、歴史と公民はすべて全校一致して同じものである。
 もちろん「現場の意向」は聞かれていない。都教委が作った調査資料からも、決して扶桑社(育鵬社)が一番すぐれているという結果は出ていない。
 では何故扶桑社(育鵬社)を採択するのかは、理由を全く明らかにしないので(公的には)判らない。どの教科書にするかを投票すると、なぜか(ほとんどすべての場合で)扶桑社(育鵬社)が全員一致(または一人他社)となる。そこで「扶桑社でいいですね」となって議論なしでオシマイ。だから理由が判らないのである。
 もっとも、はっきり言えば「理由は判っているとも言える。」扶桑社あるいは育鵬社を支持するような政治的、思想的傾向の人しか、初めから教育委員に任命されていないということである。(そもそも当時の石原知事本人が、「新しい歴史教科書をつくる会」の強力な支持者だった。)
 一番最初の白鴎の採択時は、8月の終りに採択が決定された。(中学教科書は4年ごとの採択時期に、8月までに採択結果を文科省に報告することになっている。)しかし、その翌年の採択からは、すべて7月下旬に採択している。(なお、8月上旬は都教委定例会を開会しないことが恒例となっている。)
 8月下旬でもいいのに、7月中に採択するのは、全国に東京の採択を知らせるという政治的目的があると言われている。
 中高一貫校それぞれを見ると、生徒に考えさせる教育を行おうということになっているようだけど、それを都教委が本当に推進するつもりなら、最も不適当な教科書を選び続けている。
 東京が中高一貫校を大量に作った理由は、少なくとも都教委レベルでは、この教科書問題を考えに入れないと理解できないと僕は思う。
『尾形修一の教員免許更新制反対日記』(2014年01月20日)
http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/b74a115a7450f56cb04965371786357b
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