=東京新聞<本音のコラム+>=
◆ 君が代を歌わない学校
~公立に厳しく私立に甘い文科省のダブルスタンダードを考える
前川喜平・現代教育行政研究会代表
入学式の季節だ。小学1年生は入学式で初めて「国歌斉唱」に出合う。学習指導要領には「入学式や卒業式などにおいては、(中略)国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と書いてある。
「ものとする」は「義務付ける」という意味だ。
2018年度以降は幼稚園教育要領と保育所保育指針にも「国歌に親しむ」と書いてあるので、1年生に歌わせる小学校も増えたろう。
指導要領には法的拘束力があると文部科学省は言う。
しかしそれは学校に対する拘束力だ。児童・生徒は拘束されない。
文科省も児童・生徒の内心にまで立ち入って強制はしないと説明している。
「嵐を呼ぶ少女」と呼ばれた市民運動家の菱山南帆子(なほこ)さんは、公立小学校の5年生の時から「国歌斉唱」では歌わずに座ると決めたそうだが、それは文科省の見解に照らしても合法的な行動なのだ。
菱山さんは自らの意志で私立の和光中学校への進学を選んだ。君が代を歌わない自由な学校だからだ。
「公立で頑張るべきだ」と言うお父さんを「自由を金で買うんだ」と言って押し切ったという。
確かに私立学校には君が代を歌わない学校が多い。私学には君が代斉唱が義務付けられていないと思っている人も多い。
しかし指導要領は私学に対しても拘束力を持つ。公立学校との違いは宗教教育ができることだけだ。私学にも君が代斉唱は義務付けられている。君が代を歌わない私学は指導要領に違反していることになる。
ところが、文科省は公立には君が代斉唱を厳しく指導するのに、私学は放置している。公立に厳しく私学に甘い文科省の態度は、ダブルスタンダードの謗(そし)りを免れない。
文科省には「公立は身内、私学は外様」という意識がある。私学も自主性や建学の精神を盾にとって、文科省には口出しされまいとする。加えて、私学には国会議員を動かす政治力もある。私学経営者の国会議員もいる。だから文科省には私学への遠慮があるのだ。
だとしても、このダブルスタンダードは説明がつかない。公平性を欠き、法治主義にも反する。
私学に自主性や建学の精神があるなら、自治体には憲法上の「地方自治の本旨」がある。学校教育は法定受託事務(国が本来果たす役割を法令により自治体が肩代わりして行う事務)ではなく自治事務(自治体が自ら行う事務)だ。
ならば、入学式や卒業式での君が代斉唱の義務付けまで国が決めることなのか、が問われるべきだ。事実、1989年の改訂以前の指導要領は、君が代斉唱を「望ましい」とはしていたが、義務付けてはいなかった。
文科省のダブルスタンダードは解消されなければおかしい。君が代斉唱を私学に強制できないのなら、公立にも強制するべきではない。
君が代斉唱の義務付けはやめるべきだ。自民党1強が崩れ、安倍派が中心の文教族が弱体化した今なら、文科省も議論を始められるのではないか。
『東京新聞』(2025年4月7日)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/395905
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