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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

思想を裁いて12人を死刑にした大逆事件の時代に逆戻り

2017年02月01日 | 平和憲法
 ◆ 邪推の認定 (東京新聞【本音のコラム】)
鎌田 慧(ルポライター)

 先週土曜日。新宿駅西口から少し離れた甲州街道沿いの正春(しょうしゅん)寺で管野須賀子の墓前祭があった。百六年前の一月二十五日。
 幸徳秋水ら男十一人が前日に処刑され、彼女だけ翌日にまわされたのは、絞首台が早朝からフル稼働で、彼女の番に到達しなかったからだ。
 天皇暗殺の「恐るべき大陰謀」と報道されたが、実際は三十前後、三、・四人の若者たちの「煙の様な座談」(「死出の道艸」(みちくさ))と管野は獄中で書いた。計画というほどの具体性はなく、実行行為はなかった。
 それでも、爆弾を作った男がいたため連座させられ、二十六人が逮捕・投獄、十二人がこの世から抹殺された。
 市ヶ谷の刑場から運ばれた管野の遺体は、正春寺に埋葬された。

 いま、寺の一郭に高さ一・五メートルほどの自然石を利用した記念碑が立っている。
「くろ鉄(かね)の窓にさし入る日の影の移るをまもり今日も暮らしぬ」
 死を覚悟した管野の短歌が刻まれてある。
   「そこで不逞(ふてい)の共産主義者を尽く検挙しようと云うことに決定した」
   「邪推と云へば邪推の認定

 とのちに検事総長になった小山松吉が語り、

 その上司だった平沼騏一郎(元首相)は、爆弾製造の密告を受け

   「事件が本当であれば秋水は首魁(しゅかい)に違いない

 として捜査に当たった(『回想録』)。

 冤罪で処刑しても出世する官僚制度。

 共謀罪の犠牲者を誰が救えるのだろうか。

『東京新聞』(2017/1/31【本音のコラム】)

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