☆ 辺野古の今を語る(週刊新社会)
「辺野古バス」火曜日副担当 本村金三
☆ 沖縄だけでない全国からの抗議メンバー
毎週火曜日に「辺野古バス」で辺野古へ行く。
闘いが始まって、すでに20年以上が過ぎた。これほど長い米軍基地反対の闘いは他にない。おそらく世界でも稀だろう。
誰が闘いを支えているのか。沖縄だけではなく全国の市民運動グループ、個々の市民が座り込みの主要メンバーだ。定期的にやって来る人も少なくない。
農閑期の11月、マンスリーマンションを借りて塩川港での抗議活動に参加する北海道の農民。2週間ごとに東京から来る不動産屋社長がいる。仲間を引き連れて定期的に訪れる人、骨折してもめげずに来る愛知県の女性らなど。時には学生を連れて来る大学教員がいる。国内だけではなく、外国からも取材や抗議活動に参加する人々が来る。
ふらりとやって来て長期に滞在する若者がいる。てっちゃんは辺野古に住みついて長い。闘争の下支えだ。小冊子を発行しながら辺野古の今を伝えるうみくん。韓国からは1年の予定でじへさんが来ている。他にもそれぞれの思いを抱えた若者が、数週間から数カ月を辺野古で過ごす。
そして、60年代の沖縄返還闘争を知る老人世代(私もだが)が多いのは当然だろう。基地のない沖縄を叫んだ世代だ。
☆ 工事が止まる気配なく牛歩戦術で抵抗続ける
工事が止まる気配はない。かつては工事用資材や土砂・栗石(くりいし)の搬入は辺野古の作業用ゲートだけだったが、現在は安和港・塩川港と搬出場所が拡大している。そこでは牛歩戦術でダンプの流れを止める。
今年6月安和で警備員死亡、市民は瀕死の重症という痛ましい事故が起きた。市民の飛び出しが原因であるかのような情報が飛び交った。牛歩は警備員がダンプを停止した後に行う。動いているダンプを止めることはない。危険だからだ。事故は牛歩による抗議行動ではなく(何年も事故はなかった)、沖縄防衛局が港内へのダンプの出入り方法を大きく変更したことにあるのは明白だ。
埋め立ての土石を取り出す本部(もとぶ)半島の山々は無惨な姿に変わり果てたが、辺野古も例外ではない。埋め立てだけではない、埋め立てにともなう美謝(みじゃ)川の水路変更工事、弾薬庫の拡張工事、基地内の道路・新ゲート・検問所新設等で工事現場周辺の雑木林は伐採され、赤土の剥き出す無惨な姿に変貌した。
かつての小鳥のさえずりやセミの鳴き声が聞こえた緑豊かな場所から何もない場所になった。建設は破壊だ。
☆ 新基地が完成する可能性はほぼゼロ
安和港だけ8月下旬から警備員の大量投入と機動隊のセットで作業を再開した。しかし計画通り進まないため辺野古からの搬入が大幅に増えている。本部だけでなく新たに国頭(くにがみ)地域からも搬入している。県の反対を無視して、大浦湾では杭打ち作業など新たな工事がはじまった。
埋め立ては新たな局面を迎えている。しかし現在の埋め立て状況は予定の20%弱だ。しかも埋め立て予定地のなかに、マヨネーズ状と形容される軟弱地盤(水面下90メートル!)が広がっている。完成する可能性は限りなくゼロだが、巨額の税金が投入され工事自体が自己目的化している。判断力を失ったこの国の政治の劣化が、辺野古から見えてくる。
基地建設の現場に立たなければ、分からない現実がある。警備員より少ない座り込みは、どれほど粘っても10分足らずで排除だ。
形式的で無意味という批判もあるが、なぜ人は抗議行動に全国から来るのだろうか。
搬入車両の台数をチェックする女性はもう何年もこの行動をしている。夏は日焼けで顔が真っ黒だ。送迎車の運転、マイクの進備など抗議活動の下準備する人がいる。自然豊かな海を埋め、軍事基地建設というやってはならない工事をしているが誰もいなければ誰も分からない。しかし何が起きているか監視し抗議する市民がそこにいることで、見えない現実が可視化する。私たちはどこへいくのか。ここから始めよう。
☆ 最後に私の「辺野古だより383(2024・9・3)」から。
9月なのに猛暑は続く。座り込みは、暑さとの闘いだ。ピンチヒッターでゲート前のマイクを任されたので、皆さんに歌をお願いした。ギターを抱えた彼が「imagine」を歌った。(中略)過激な歌詞だと初めて知った。アナーキストの心を歌っている。
今日の車両数は1回目150台、2回目110台、3回目151台。
うんざりする程、長い列が続く。(中略)座り込みに若者が独り参加。18歳、高校中退。辺野古に来て長くなるが、座り込みになかなか参加できない、とポツリと言った。一緒に座り込んだが、なかなかどうして、粘りに粘って機動隊に運ばれた。
今日東京へ帰るというので、辺野古バスに同乗して那覇へ。東京では「いくさふむ(戦雲)」の上映会を企画しているという。何人集まるか見当つかない。90人で収支がトントンだそうだ。
その若さで企画するだけでも、たいしたもんだと励ました。10月にまた辺野古へ来るというので、ぜひ結果を聞かせてくれと言って、別れた。「辺野古は生き悩む若者の道しるべ」、と思う。
『週刊新社会』(2024年9月25日)
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