=日弁連3000人集会、デモ=
★ 集団自衛権 閣議決定 撤回を!
日本弁護士連合会主催の「憲法違反の集団的自衛権行使に反対」し、「閣議決定撤回」を求める集会が10月8日、東京・日比谷野外音楽堂で開かれ3000人が参加、集会後銀座をデモした。
日弁連の村越進会長は「日弁連の使命は人権擁護。戦争は最大の人権侵害」と述べ、関連法案成立阻止を訴えた。このあと、元法制局長官の宮崎礼壹、社会学者の上野千鶴子、学習院大学教授の青井未帆、上智大学教授の中野晃一、NPO情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子、解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会の高田健の各氏がリレートークした。
★ ぼんやりしていられない
集団的自衛権とは何か。自己防衛権の一種と考える人が沢山いて、紛らわしい言説が増えています。しかし違います。
集団的自衛権とは、自国が攻撃されていないにも拘らず、自国と密接な関係にある他国が第三国から武力攻撃を受けたことを理由にして、第三国に対し自国が武力を行使することです。7月の国会集中審議でもこの定義を確認しています。
わが国が外国から武力攻撃を受けているかいないかの基準は決定的な分水嶺です。従来、わが国は一貫して、自衛隊が集団的自衛権を行使するのは憲法9条に違反すると解釈してきました。すなわち、先制攻撃になってしまうと考えてきました。
本年7月1日、安倍内閣は重大な閣議決定、集団的自衛権の部分容認をしました。それによれば、日本への武力攻撃がなく、他国への武力攻撃であっても、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、及び幸福追求権が根底から覆される明白な危険が認められれば、自衛隊による武力行使ができるように憲法解釈を変更するというものです。
これはいくらでも広く解釈できる基準です。現に7月の集中審議で注目すべき答弁がありました。一つは安倍首相の答弁です。ホルムズ海峡を機雷閉鎖するようなことがあれば、中東に石油を依存する日本にとって死活問題であり、新3要件に該当する可能性があるというものです。
二つ目は岸田外相の答弁です。日米同盟は死活的に重要であるから米国が攻撃された場合、新3要件の下で集団的自衛権の行使の可能性は高いと言いました。
一般的に集団的自衛権を発動するときに、必ず自国の死活的な利害に関わっていると説明します。法制化は来春以降です。関係省庁は膨大な法形成作業を始めています。ぼんやりしてはいられません。反対の声を上げていこう。
★ こんな世の中に誰がした
47年前の今日、京大生の山崎博昭君が羽田闘争で亡くなりました。私は彼の同期生、彼の追悼デモに参加し、初のデモ体験をしました。彼は19歳で時間が止まっています。
当時ベトナム戦争で、日本はアメリカの協力者でした。私たちには共犯者になりたくないという切迫感がありました。1960年の安保闘争も反戦闘争でした。戦争の記憶が生々しかった頃のことです。
あれから半世紀以上が経って、国民の5人に4人が戦後生まれになったのに、私たちは再び他人の戦争に巻き込まれようとしています。
集団的自衛権は私たちをアメリカの戦争の共犯者にするものです。来年は戦後70年、この戦後を戦前にしてはなりません。
「憲法を解釈だけで変えられる、だから7月1日は壊憲記念日」。最高裁砂川判決が集団的自衛権容認の前例とされましたが、最高裁が政治介入した判決は司法の中立を損なうものでした。
そのなかで司法の信頼を回復する画期的な判決がありました。大飯原発運転差止め訴訟の福井地裁判決です。生命の価値と経済活動の自由を天秤にかけてはならないと司法の良心を示しました。
法律家には法に対する信頼を取り戻す責任があります。今、立憲主義も法治国家も民主主義も骨抜きにされる危機に立っています。こんな世の中を望んだわけではなかったのに、いったいどうしてこうなったのか。
山崎君の死から50年たって彼に申し訳ない思いです。かつて私たちが若者だった頃、こんな世の中に誰がしたと大人たちに詰め寄りました。今、私たちは若者たちからこんな世の中に誰がしたと詰め寄られたら、言い訳ができません。あのとき、あなたはどこで何をしていたの、どうして戦争を防げなかったの、と詰め寄られて答えることができないような大人になりたくありません。
★ 憲法がなくなる
今という時代を振り返ったとき2014年は戦後平和主義の終わりだった、転換点だったと言われてしまうかもしれません。
戦争を知る世代から世代が転換する中、私たちは来し方、行きし方を語り得る残り少ない機会に向き合っています。
過去に盲目である者は現在においても盲目であるー。これは1985年、西ドイツのヴァイツゼッカー大統領の有名な言葉です。これまで人間のなしてきた蛮行、愚行を反省することなしに、私たちは未来を創っていくことができません。
憲法研究者として私が意識せざるを得ないのは、権力の統制に失敗してしまった明治憲法の問題です。
日本国憲法は権力、それも生の暴力となり得る実力の統制を課題としていました。憲法の背負った課題は、戦後政治の中で相当真摯に取り組まれてきました。
しかし、今恐れているのは日本政治の中で憲法が無くなっていくということです。
思い出してほしい。安倍首相は首相になる前、いじましい、みっともない憲法だと言いました。
また、安保法制懇の座長代理は憲法は最高法規ではなく、上に道徳律や自然法がある、憲法だけでは何もできず、重要なのは具体的な行政法だ、その意味で憲法学は不要なものだと言う議論があると述べていました。
政治には一線を越えてはならない則がある、これが立憲主義です。
権力を行使したいという欲望を抑え、則を守ることは国際標準の考えです。
しかし憲法がみっともないものであるなら、日本で権力が従う則があるのか。憲法を見失ってしまえば糸の切れた凧になってしまいます。
多くの犠牲を払いながら人間が学んできた知恵と経験を、子や孫に引き継いでいきましょう。
★ 幾世代も平和!?
私のやっている政治学はソーセージのできる過程を見るようなものです。くず肉が入っていないか、骨や添加物が入っていないか、と。
ところが今、くず肉どころか長靴が入った法律が作られようとして、そのための閣議決定がなされました。
安倍さんの言う「積極的平和主義」とは何か。北岡伸一さん(安保法制懇座長代理)が日本経済新聞に書いたものがあります。
「積極的平和主義とは消極的平和主義の逆である。消極的平和主義とは日本が非武装であればあるほど世界は平和になるという考えである」と結構、正確に定義しています。
どういうことか。「積極的平和主義は日本が抑止力を高めれば高めるほど、武装すれば武装するほど平和になるという真逆の考えである」というのです。
5月30日に安倍さんは外国のシャングリアダイアローグで演説しました。ぞっとする自己陶酔の気持ちの悪い演説です。
「国際社会の平和と安全に多くを負う国であればこそ、日本はもっと積極的に世界の平和に力を尽くしたい。積極的平和主義を掲げたいと思うから自由と人権を愛し、法と秩序を重んじて戦争を憎み、ひたぶるにただひたぶるに追求する一本の道を、日本は一度としてぶれることなく何世代にもわたって歩んできました」
正気とも思えない。
いったい先の戦争は何だったのか。
彼が大好きな靖国神社の子ども向けQ&Aにこうあります。
「日本の独立をしっかり守り、平和な国としてアジアの国々と共に栄えていくために戦わなければならなかったのです。こういう事変や戦争に尊い命を捧げられた沢山の方々が靖国神社の神に祀られています」
そこへ平和を祈りに行くのが安倍さんです。閣議決定を撤回し、我々の手に主権を取り戻しましょう。
『週刊新社会』(2014/10/21)
★ 集団自衛権 閣議決定 撤回を!
日本弁護士連合会主催の「憲法違反の集団的自衛権行使に反対」し、「閣議決定撤回」を求める集会が10月8日、東京・日比谷野外音楽堂で開かれ3000人が参加、集会後銀座をデモした。
日弁連の村越進会長は「日弁連の使命は人権擁護。戦争は最大の人権侵害」と述べ、関連法案成立阻止を訴えた。このあと、元法制局長官の宮崎礼壹、社会学者の上野千鶴子、学習院大学教授の青井未帆、上智大学教授の中野晃一、NPO情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子、解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会の高田健の各氏がリレートークした。
★ ぼんやりしていられない
元法制局長官 宮崎礼壹さん
集団的自衛権とは何か。自己防衛権の一種と考える人が沢山いて、紛らわしい言説が増えています。しかし違います。
集団的自衛権とは、自国が攻撃されていないにも拘らず、自国と密接な関係にある他国が第三国から武力攻撃を受けたことを理由にして、第三国に対し自国が武力を行使することです。7月の国会集中審議でもこの定義を確認しています。
わが国が外国から武力攻撃を受けているかいないかの基準は決定的な分水嶺です。従来、わが国は一貫して、自衛隊が集団的自衛権を行使するのは憲法9条に違反すると解釈してきました。すなわち、先制攻撃になってしまうと考えてきました。
本年7月1日、安倍内閣は重大な閣議決定、集団的自衛権の部分容認をしました。それによれば、日本への武力攻撃がなく、他国への武力攻撃であっても、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、及び幸福追求権が根底から覆される明白な危険が認められれば、自衛隊による武力行使ができるように憲法解釈を変更するというものです。
これはいくらでも広く解釈できる基準です。現に7月の集中審議で注目すべき答弁がありました。一つは安倍首相の答弁です。ホルムズ海峡を機雷閉鎖するようなことがあれば、中東に石油を依存する日本にとって死活問題であり、新3要件に該当する可能性があるというものです。
二つ目は岸田外相の答弁です。日米同盟は死活的に重要であるから米国が攻撃された場合、新3要件の下で集団的自衛権の行使の可能性は高いと言いました。
一般的に集団的自衛権を発動するときに、必ず自国の死活的な利害に関わっていると説明します。法制化は来春以降です。関係省庁は膨大な法形成作業を始めています。ぼんやりしてはいられません。反対の声を上げていこう。
★ こんな世の中に誰がした
社会学者 上野千鶴子さん
47年前の今日、京大生の山崎博昭君が羽田闘争で亡くなりました。私は彼の同期生、彼の追悼デモに参加し、初のデモ体験をしました。彼は19歳で時間が止まっています。
当時ベトナム戦争で、日本はアメリカの協力者でした。私たちには共犯者になりたくないという切迫感がありました。1960年の安保闘争も反戦闘争でした。戦争の記憶が生々しかった頃のことです。
あれから半世紀以上が経って、国民の5人に4人が戦後生まれになったのに、私たちは再び他人の戦争に巻き込まれようとしています。
集団的自衛権は私たちをアメリカの戦争の共犯者にするものです。来年は戦後70年、この戦後を戦前にしてはなりません。
「憲法を解釈だけで変えられる、だから7月1日は壊憲記念日」。最高裁砂川判決が集団的自衛権容認の前例とされましたが、最高裁が政治介入した判決は司法の中立を損なうものでした。
そのなかで司法の信頼を回復する画期的な判決がありました。大飯原発運転差止め訴訟の福井地裁判決です。生命の価値と経済活動の自由を天秤にかけてはならないと司法の良心を示しました。
法律家には法に対する信頼を取り戻す責任があります。今、立憲主義も法治国家も民主主義も骨抜きにされる危機に立っています。こんな世の中を望んだわけではなかったのに、いったいどうしてこうなったのか。
山崎君の死から50年たって彼に申し訳ない思いです。かつて私たちが若者だった頃、こんな世の中に誰がしたと大人たちに詰め寄りました。今、私たちは若者たちからこんな世の中に誰がしたと詰め寄られたら、言い訳ができません。あのとき、あなたはどこで何をしていたの、どうして戦争を防げなかったの、と詰め寄られて答えることができないような大人になりたくありません。
★ 憲法がなくなる
学習慌大学教授 青井未帆さん
今という時代を振り返ったとき2014年は戦後平和主義の終わりだった、転換点だったと言われてしまうかもしれません。
戦争を知る世代から世代が転換する中、私たちは来し方、行きし方を語り得る残り少ない機会に向き合っています。
過去に盲目である者は現在においても盲目であるー。これは1985年、西ドイツのヴァイツゼッカー大統領の有名な言葉です。これまで人間のなしてきた蛮行、愚行を反省することなしに、私たちは未来を創っていくことができません。
憲法研究者として私が意識せざるを得ないのは、権力の統制に失敗してしまった明治憲法の問題です。
日本国憲法は権力、それも生の暴力となり得る実力の統制を課題としていました。憲法の背負った課題は、戦後政治の中で相当真摯に取り組まれてきました。
しかし、今恐れているのは日本政治の中で憲法が無くなっていくということです。
思い出してほしい。安倍首相は首相になる前、いじましい、みっともない憲法だと言いました。
また、安保法制懇の座長代理は憲法は最高法規ではなく、上に道徳律や自然法がある、憲法だけでは何もできず、重要なのは具体的な行政法だ、その意味で憲法学は不要なものだと言う議論があると述べていました。
政治には一線を越えてはならない則がある、これが立憲主義です。
権力を行使したいという欲望を抑え、則を守ることは国際標準の考えです。
しかし憲法がみっともないものであるなら、日本で権力が従う則があるのか。憲法を見失ってしまえば糸の切れた凧になってしまいます。
多くの犠牲を払いながら人間が学んできた知恵と経験を、子や孫に引き継いでいきましょう。
★ 幾世代も平和!?
上智大学教授 中野晃一さん
私のやっている政治学はソーセージのできる過程を見るようなものです。くず肉が入っていないか、骨や添加物が入っていないか、と。
ところが今、くず肉どころか長靴が入った法律が作られようとして、そのための閣議決定がなされました。
安倍さんの言う「積極的平和主義」とは何か。北岡伸一さん(安保法制懇座長代理)が日本経済新聞に書いたものがあります。
「積極的平和主義とは消極的平和主義の逆である。消極的平和主義とは日本が非武装であればあるほど世界は平和になるという考えである」と結構、正確に定義しています。
どういうことか。「積極的平和主義は日本が抑止力を高めれば高めるほど、武装すれば武装するほど平和になるという真逆の考えである」というのです。
5月30日に安倍さんは外国のシャングリアダイアローグで演説しました。ぞっとする自己陶酔の気持ちの悪い演説です。
「国際社会の平和と安全に多くを負う国であればこそ、日本はもっと積極的に世界の平和に力を尽くしたい。積極的平和主義を掲げたいと思うから自由と人権を愛し、法と秩序を重んじて戦争を憎み、ひたぶるにただひたぶるに追求する一本の道を、日本は一度としてぶれることなく何世代にもわたって歩んできました」
正気とも思えない。
いったい先の戦争は何だったのか。
彼が大好きな靖国神社の子ども向けQ&Aにこうあります。
「日本の独立をしっかり守り、平和な国としてアジアの国々と共に栄えていくために戦わなければならなかったのです。こういう事変や戦争に尊い命を捧げられた沢山の方々が靖国神社の神に祀られています」
そこへ平和を祈りに行くのが安倍さんです。閣議決定を撤回し、我々の手に主権を取り戻しましょう。
『週刊新社会』(2014/10/21)
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