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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

大阪の減給取消裁判控訴審判決に対する抗議文

2017年09月10日 | ノンジャンル
  =減給取消裁判控訴審=
 ◎ 8.31「君が代」不起立減給処分取消訴訟高裁判決に対する抗議声明
   控訴人 辻 谷 博 子


 (1)控訴審としての責任を果たしていない
 高等裁判所の役割とは何であろうか。それは言うまでもなく、控訴人・被控訴人が提出した双方の主張すなわちそれぞれの証拠・準備書面を、合議体である3名の裁判官が憲法・法律に基づき、真摯に議論し、控訴審における判決(判断)を下すことではないか。
 本件控訴審において、控訴人は控訴理由書をはじめ、新たな論点から「君が代」条例をはじめ、大阪府職員基本条例、教育長通達の違憲性、そして減給処分について裁量権の濫用等の違憲性・違法性を立証した西原博史鑑定意見書、それに基づく準備書面を提出した。また、被控訴人からは、それに反論する準備書面が提出された。
 にもかかわらず、判決を見る限り、それらが検証された形跡はない。たんに原審判決の引用と踏襲をもって高裁判決としているに過ぎない。
 それは、判決の判断根拠が希薄であることによって何より如実に示されている。これでは、高等裁判所が、控訴人・被控訴人らの主張するところの争点について審議し、第二審すなわち控訴審としての責任を果たしたとは到底考えられない。以下にいくつかの項目に沿って批判する。
 ①憲法19条思想・良心の自由の侵害について
 控訴人は、大阪「君が代」条例ならびに大阪府職員基本条例は、その成立過程や条文からみて、一体のものであり、ともに思想・良心の直接的侵害にあたることを新たな争点として主張した。
 ところが、控訴審判決は、従来、最高裁が示してきた、いわゆる「間接的制約」を機械的に引用し、踏襲するのみで、控訴審の最大の争点である「君が代」条例ならびに職員基本条例が憲法19条で保障されているところの思想・良心の直接的制約であたるか否かについてはなんら判断は示していない。
 ②「慣例上の儀礼的所作」説について
 これまでの最高裁判例は、「君が代」起立斉唱を慣例上の儀礼的所作であるとの解釈に基づき、思想・良心の間接的制約になることは認めている。その上で、その制約と職務命令の目的及び内容並びにその制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量し、制約を許容し得る程度の必要性及び合理性は認められるとしてきた。
 しかし、本件は条例に基づき命令される「君が代」起立斉唱である。もはや「慣例上の儀礼的所作」の範疇を超えている。すなわち、「君が代」起立斉唱の性質、また外部からどのように認識されるかを鑑みても、最高裁が戒めるところの「歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結びつくもの」であることは明白である。控訴人は、西原意見書に基づきそのことを縷々主張したが、控訴審判決は、原審判決をそのまま踏襲するのみである。
 判断過程で唯一示されている点は、「式典において国歌を起立斉唱する行為が、どのような一般的・客観的意味を有するかということと、起立斉唱を命じられた者がそのことにより違和感を覚えるかどうかということと区別して認識されるべき問題であり、これを命じられた者の受け止め方いかんによって、これを命ずる職務命令につき、直ちに違憲ないし違法との評価が生ずるものではない」との認識であるが、これでは条例の直接的制約を問う控訴人の主張への応答にはならない。
 ③「君が代」条例の違憲性ついて
 控訴人は、「君が代」条例の違憲性について、鑑定意見書・準備書面により新たな論点から主張し、また被控訴人も準備書面において反論している。
 結審において、控訴人代理人は、その旨を裁判長に伝え高等裁判所ととしての判断を要請し、裁判長もその要請を首肯した。
 にもかかわらず、控訴審判決では原審判決を形式通りに引用するのみで、控訴人が求めている憲法判断に関して、なんら判断のプロセスは示されていない。これでは、控訴審の意義を高等裁判所自らが否定したも等しい。
 ④大阪府職員基本条例の違憲性について
 控訴人は、大阪府職員基本条例の成立過程、さらには、当時大阪府知事であった橋下徹氏の発言等から、「君が代」条例による教職員への起立斉唱の強制と大阪府職員基本条例27条2項における免職条項は一体として構想されたものであり、後者が前者の手段として成立したものであることを西原意見書・準備書面により明らかにした。端的に言えば、大阪府職員基本条例は、国歌斉唱が自らの信条に照らして不可能であるとする教員に対する適用を予定している限りにおいて憲法19条で保障された思想・良心の接的侵害であることを主張した。
 にもかかわらず、控訴審判決は、控訴人の指摘する「直接的侵害」には一言一句さえ触れず、その理由すら示すことなく、大阪府職員基本条例は直ちに憲法19条に違反するということはできないと結論付ける。根拠も示されないままの、理由なき判断では到底納得できない。
 ⑤教育の自由について
 原審判決は、旭川学テ最高裁判決のごく一部を引用し、それを根拠として、教育長通達による教育への介入は認められないと結論付けた。それに対し、控訴人は、原審判決は旭川学テ最高裁判決の主旨を見誤っていることを指摘し、旭川学テ最高裁判決の意義とその理解、さらには教員の責務として教育の自由があること、憲法26条により教員の教育の自由が保障されていることを主張した。
 にもかかわらず、控訴審判決は、原審における判決すなわち旭川学テ最高裁判決の一面的理解をただ繰り返すばかりで、なんら控訴人の主張には応答していない。いったい控訴審における審議とは何であったのか。少なくとも控訴人の新たな主張を控訴審において認定されないのであれば、その理由を示していただきたい。審議のプロセスは一切示されず、第一審の地裁判決をそのまま引用されたのでは、控訴人として、そもそも審議されたのかさえ疑わしいと不信感を抱かざるを得ない。
 (2)憲法が忘れられている
 控訴人が、本件裁判において一貫して求めてきたことは、「君が代」条例ならびに職員基本条例にいついての憲法判断である。そして、それは何よりも控訴人が法廷において繰り返し陳述してきたことでもある。
 条例に基づき通達が出され、職務命令が発出された。控訴人が職務命令に違反したことは紛れもない事実である。しかし、ルールは絶対ではないはずである。日本の司法では、不利益を被った者にして、初めてそのルールの不当性を問うことができる
 控訴人が減給処分取消請求の訴訟を行ったのは、命令発出の根拠となった「君が代」強制条例の違憲性、ならびに公立学校教職員の国歌斉唱義務を実際に実効化するための制度として導入された大阪府職員基本条例の違憲性を司法に問いたかったからである。
 にもかかわらず、控訴審判決は、ほぼ地裁判決を踏襲し、起立斉唱職務命令ならびに役割分担職務命令命令に違反したことをもって減給処分の妥当性を論じ認定するという、いわば憲法判断の領域に踏み込むことなく形式的論理による判断に終始している。
 憲法が保障するところの思想・良心の自由、教育における自由の観点からこそ、本件は判断されるべきである。にもかかわらず、それらはすべて無視され隅に押しやられていかのように見える。
 政治を背景とした教育行政の介入、学校教育における卒業式の意義、そこでの国歌起立斉唱の意味・役割、公立学校教員としての職務、等々、それらの問題は憲法抵触するか否か、それこそが控訴人が司法に求めた判断である。以下、(1)と重複するところも多々あるが、判決を批判し抗議する。
 ①卒業式における国歌の起立斉唱の性格
 控訴審判決は、控訴人の主張する生徒らの国歌斉唱に反対の意思表明、また「君が代」に対する疑義や起立斉唱斉唱行為に対する忌避感等が存在することを認定しながら、なお、本件は「生徒らが国歌斉唱時の不起立により不利益を被ったという事案ではな」く、「教員である控訴人に対する本件職務命令の適法性が問題とされた事案であ」るとし、生徒らがいかに「君が代」に反対や疑義の意思をもっていようが、「学校の儀礼的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱時の際の起立斉唱行為は、一般的、客観的に見て、これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、かつ、そのような所作として外部からも認識されるものであると認められるとの認定を左右するものではない」とする。
 まず第1点目の問題点として、生徒らが卒業式における「君が代」起立斉唱行為に対する数々の問題意識の事例を認定しながら、起立斉唱行為は「慣例上の儀礼的所作」としての性質を有するものと結論付けている点である。これは明らかな論理破綻を起こしていると言わざるを得ない。
 次に第2点目の問題点として、教育における生徒と教員の関係性を理解していない点がある。まず、判決で例として記載されいる、「生徒らが国歌斉唱時の不起立により」、直接的な「不利益を被る」ことが仮にあるとすれば、これは憲法19条の侵害にあたることは言うまでもない。旭川学テ最高裁判決を引くまでもなく、教員と生徒との関係は直接的人格的な接触によってなされることは言うまでもない。
 「君が代」起立斉唱職務命令を受けた教員がどのような行動を取るかは、それこそが生徒に対する直接的な人格的接触といえるのであり、教員の行動はすべて何らかの形で生徒らに教育的影響があり、両者を無関係なものと扱うことはできない。信念を捨て命令に従う教員の姿によって生徒らが何を学ばされるかは言うまでもないことである。
 ②事実認定の誤り
 判決は、職務命令で命じられた式場外役割分担としての職務を放棄したと認定するが、誤りである。原審における証拠(証言)により明らかにされた卒業式・入学式における式場外役割分担の性格、特に正門警備の役割がどのようなものであったか、目的、実態、時間等それらの事実を鑑みれば、控訴人が職務を放棄したとの事実認定は証拠に基づかない原審判決を誤ちのまま踏襲している。
 また、それ以上に問題であることは、被控訴人が「君が代」起立斉唱職務命令と同時に発出した式場内・式場外役割分担職務命令は何を目的として発出されたのか等、その問題性について控訴審でまったく審議された形跡がないことである。全国でも例のない職務命令による卒業式・入学式の式場内・式場外役割分担がなぜなされたのか、その狙い、実態などについてなんら検証することなく、「本件は、式場内での勤務を命じられた者が、国歌斉唱時に起立斉唱することを求められた場合における懲戒処分が争われた事件とは、明らかに事案を異にするものである」との判断は、行政側が二つの条例によって企図するところの、「君が代」に疑義を持つ教員の排除に加担することとなる。
 ③5度にわたって繰り返される「意図的かつ積極的」の意味するところ
 判決は、「控訴人による本件不起立行為は意図的かつ積極的に行われたものと認められる」と認定をしている。控訴人は卒業式における「君が代」起立斉唱には不参加の意思をもって着席していたのであるから、「意図的」「積極的」不起立であることは実は明白である。にもかかわらず、「意図的かつ積極的」と判決文で繰り返す。その数は5度である。
 控訴審においても原審判決通り、「控訴人が、学校行事における国歌斉唱時に起立斉唱をしない理由として主張するところは、教員として人権教育に深く関わり、日の丸、君が代が戦前の日本によるアジア侵略のシンボルとなり、それらを利用した国家主義的教育が少数者を排除し差別を深刻化させることを感じ、また、君が代の斉唱を多数派の共有する特定の価値観に基づく社会統合をするためにシンボルとして強制することは、その価値観に疑問を抱く少数派が排除されることであるとの教員としての学び、実践を積み重ねてきたことに由来するものであって、府国旗国歌条例並びにそれに基づく本件通達及び本件職務命令は、控訴人の思想・良心の自由を侵害するものであり、控訴人のこの主張は、自己の歴史観ないし世界観から生じる教育上の信念等に基づくものであると捉えることができる」と、控訴人の信念を認定している。
 控訴人の行為が信念に基づく以上、「意図的かつ積極的」であることは言うまでもなく当然のことである。にもかかわらず、判決は、「意図的かつ積極的に不起立行為を行った」と繰り返し述べ、最後には「意図的かつ積極的に命令違反を繰り返した」と、“不起立行為”を“命令違反”と断定することにより「規律及び秩序維持の必要が高いと評価するのが相当である」と結論付ける。
 控訴審においても原審通り、「控訴人の不起立によって卒業式の進行が具体的に阻害されたとの事実は、本件全証拠によっても認められない」と認定している。にもかかわらず、信念に基づくところの不起立行為を「命令違反を繰り返した」との側面のみから減給処分を基礎付ける事情とすることは最高裁判示に背くものである。
 ④累積加重処分
 「君が代」不起立処分に関しては、すでに、最高裁で、その累積加重処分は深く戒められている。控訴人は、控訴審において、西原意見書ならびに準備書面により、そのことを詳細に主張した。
 にもかかわらず、控訴審判決は原審判決と同じように、過去に「君が代」不起立で戒告処分を受けたことを理由として、すなわち「意図的かつ積極的に職務命令違反を繰り返したと認められる控訴人については、規律及び秩序維持の必要性が高いと評価するのが相当である」とし、減給処分の相当性を基礎付ける事情としている。まさにこれは累積加重処分であり、信念に基づき、不起立を「繰り返し」たことで減給処分を妥当と判断している。これは、最高裁判決をないがしろにしているといえる。
 ⑤教員の職務
 公立学校教職員の職務として第一にあげられることは、言うまでもなく最高法規である憲法を遵守することにある。
日本国憲法 第十章
 第九十七条
 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
 第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
 2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
 第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
 大阪府教職員はすべて、任用の際、憲法を尊重し擁護する義務を負うと誓約をしている。むろん、控訴人も行っている。教員の服務の根幹にあるのは憲法遵守である。
 控訴人は、かつて、「君が代」にまつわることで不当な人事評価を受け、大阪弁護士会に人権救済の申し出を行った。結果、弁護士会は憲法19条に違反する不当な評価を撤回するよう勧告を行った。憲法違反の疑いのある条例に基づき発出された職務命令に従うことは絶対的ではない。繰り返して言うが、控訴人は、懲戒処分のそもそもの根拠となっている大阪府の条例が憲法に違反していると主張し、その判断を司法に問うているのである。
 にもかかわらず、高裁においては、「控訴人は、府立高等学校の教員であり、住民の奉仕者として法令等及び職務上の命令に従わなければならない立場にあり、地公法に基づき、学習指導要領を踏まえて、森校長から学校行事である卒業式である本件卒業式に関して本件職務命令を受けた…そして地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえると、上記のとおり、意図的かつ積極的に職務命令を繰り返したと認められる控訴人については、規律及び秩序維持の必要性が高いと評価するのが相当である」ことにより、減給処分は妥当であると判断し、控訴人が提起するところの憲法上の諸問題には何ら触れていない。
 ⑥地裁判決の「添削」
 これは、高裁判決批判といいうより、地裁判決批判でになるが、控訴審判決文の中には、実に3頁にわたって原審判決の誤字脱字等の字句の補正がある。数箇所の誤りであれば許容するが、50数箇所に及ぶ。判決の重みを裁判所に認識していただきたいと切に思う。
 ⑦西原意見書
 最後に、結審の際、控訴人代理人が要請したところの西原意見書についての判断であるが、判決文の末尾にこうある。「西原意見書のうち、上記(1)及び(2)で当裁判所が認定、判断したものに反する部分はにわかに採用できない」と。
 仮にも裁判長自身が判断の約束をしたにもかかわらず、「にわかに採用できない」の一言をもって根拠も示さず切り捨てることには、控訴人としては到底納得できない。
以上

『教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク』(2017-09-08)
http://blog.goo.ne.jp/tnet0924/e/05705a13c3dd6069d35bfaa0b3f30655
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