春来たり花は咲けども戦にい出にしあ子はまみえずなりぬ 大島きく
大島欣二海軍軍医大尉の母の詠んだ歌である。
大島欣二氏は、昭和16年12月医学部卒業直後、昭和17年1月海軍短期現役軍医として入営。昭和19年7月マリアナ、テニアン島にて戦死、27歳。
従弟大島祐之氏によるとフランス・パスツール研究所への留学を夢見る若い学究であったらしい。
私には20年近くも先輩であり、もちろん面識もない。
ご母堂の歌は意味明瞭であり、付け加えるべきものは何もない。
一つの大学の医学部だけで、戦没同窓生のために一冊の本ができたということに 大きな意味があるのだろう。
付言すれば、
私が学生だったころ、1950年代には、従軍した先輩たち、戦死した先輩たちのことがいい伝えられていた。その話を聞く私たち自身も、軍隊にこそ行かなかったが、戦争中の生活の記憶を持っていた。そうして先輩たちの話を不十分ながら理解した。
学生時代、先輩たちの苦労を知り、自分たちが戦争のことを多少とも知っていたので、多くの学生が、軍隊、戦争に対する嫌悪感を持っていた。「再軍備」や「徴兵制」は、何としても反対すべきものだった。また、それにつながる「憲法改定」「小選挙制」も憎むべきものだった。
ひるがえって現代を見れば小選挙区制は現実となり、「憲法改定」もいよいよ日程に上ろうとしている。
許してはなるまい。