近事変々

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※表題の「変々」は字面の遊びです。(念のため)

わが家のお稲荷様は「女化稲荷大明神」。

2007-02-07 15:26:09 | 民俗・行事
 5日の月曜日は初午の日であった。立春の翌日というのは滅多にないことではなかろうか。
まだ農家も多いこの地区では初午を祝う風習が残っているし、近くの四葉地区にも稲荷神社がある。
 この日は赤飯を炊き、蛤と油揚げをお供えするのだが、なぜかわが家では小銭も一緒に供えることになっている。たぶん、お賽銭のつもりではないかと思うのだが・・・。
 また、普通のお稲荷様には「正一位稲荷大明神」という幟が立てられるが、これは京都の伏見稲荷大社の祭神を勧請した証で、伏見稲荷と同格の地位であることをあらわすものである。
 わが家のお稲荷様は「女化稲荷大明神」という称号で、父の晩年から染め抜きの幟を立てている。故事来歴を聞いたことはないが、茨城県の龍ヶ崎市に「女化稲荷神社」があり、女化原の「狐の恩返し」伝説があるというので、こちらから勧請したのではないかと思われるのだが、幟以外に何の言い伝えもないし証拠もない。





 
牛久観光協会/女化稲荷神社


【初午】

初午(はつうま)は、2月の最初の午の日。稲荷社の縁日で、雑節の一つとすることがある。

全国で稲荷社の本社である京都の伏見稲荷神社の神が降りた日が和銅4年のこの日であったとされ、全国で稲荷社を祀る。この日を蚕や牛・馬の祭日とする風習もある。江戸時代には、この日に子供が寺子屋へ入門した。

本来は旧暦二月の最初の午の日であるが、現在では新暦2月の最初の午の日とされている。そのため、元々は春先の行事だったのが、冬の一番寒い時期の行事となってしまった。 また今では二月最初の午の日とされるが、古来は、立春以降の最初の午の日に行われていた。

2月の2回目の午の日を二の午(にのうま)、3回目を三の午(さんのうま)と言い、これらの日にも祭礼を行う地方や、二の午もしくは三の午にのみ祭礼を行う地方もある。

初午は、その年の豊作祈願が原型で、それに稲荷信仰が結びついたものである。4月初めの巳の日の菜の花祭りの夜と初午のいづれかに雨が降らないと火に祟られるとか、初午の早い年は火事が多いとかいう俗信もある。


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