丸森町から! 一條己(おさむ)のほっとする丸森

15頭の乳牛と田に30羽の合鴨。畑に特産ヤーコンを作っています。訪れるだけで「ほっとする町」丸森町の様子をつづります。

親父の金星は母でした。

2020-11-14 05:34:50 | 日記

祖父子之吉は梁川の山舟生村からお婿さんに来ました。

椚脇というのが屋号らしくて、山舟生や羽出庭ではみんな知っていました。

母洋子も22歳でその八巻家から嫁に来ましたから、いとこ同士の結婚です。

一つ下の母に親父は好意を抱いていましたがその夢がかなったのですから

金星を射止めたのでした。

それでも母は、バスも通ってなかったから

歩いて山を越えて実家に逃げていくこともできなかったと笑っていました。

その頃は、ラジオドラマや映画で「君の名は」が放送されていたころでした。

長男己、次男正夫、三男寿彦と男ばかりの3兄弟が生まれました。

 

 

 

 

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令和2年10月7日に父富男が亡くなりました。思い出を残したいので、少しずつ書いていきます。

2020-11-10 04:50:11 | 日記

亡くなる間際まで大変元気な父でしたが、大腸の緊急手術の麻酔で

眠りながら亡くなってしまいました。

葬儀にはたくさんの方に参列して頂きまして、ありがとうございました。

昭和5年12月25日に一條家の3代目として生まれました。

そして90年

生まれたときに満州事変

小学校入学時に支那事変

昭和16年12月8日、小学校5年生の時に第二次世界大戦がはじまり

昭和20年8月15日の敗戦。

世の中がそうだったように

小学校のころから炭運び、山菜取り、縄ない、いなごとり、落穂ひろい

田畑での農作業、開墾などをしました。

それでも、子供だから、野原を駆け巡って遊んだようで、

一日で草鞋が壊れてしまうほど近所の子供同士で

草鞋を履いて毎日サッカーをして楽しかったとか

農業増産隊で栗原郡の農家に仕事の手伝いに行ったりもしました。

時々、町内の大内の方が訪ねてきたりして

思い出話などしていましたが

その時におなじ農家に泊まって農作業したかただといってました。

その方は2年ぐらい前に亡くなりましたが

今頃、笑いながら思い出話などしているかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

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