丸森町から! 一條己(おさむ)のほっとする丸森

15頭の乳牛と田に30羽の合鴨。畑に特産ヤーコンを作っています。訪れるだけで「ほっとする町」丸森町の様子をつづります。

母 洋子さん

2024-02-11 06:36:35 | 日記

洋子さんは、92歳。ひつじ年生まれである

今年は辰年で、我が家の初代の名は、辰次郎。干支が名前に入っている

私の名前は、己。旧暦の巳年生まれだから

母の生まれたのは、隣町の梁川町山舟生

きょうだいの

一番上は 酉年生まれの とりさん

三番目は 猪年の いのさん

三番目は 兎年の うきちさん

四番目は 酉年の とりぞうさん

五番目は 甲年の かつこさん

一番下が 羊年の 洋子さん

私たちは 最近まで 母だけが 

干支の入った名前じゃないと 思っていましたが

暮れに 実家に行ったら 家を継いでいる姪こが

最近気づいて兄弟で話したけど

おばちゃんの名前にも干支が入っているんだねと入っていました

母も九二歳

人生百年としてもあと八年だ

「大切にしないと」と思ったのは親不孝でしょうか

もしかすると 百十歳まで頑張るかもしれませんからね

そうなったら 大ジャンプです

足は弱ってきたけど 

まだまだ元気で畑仕事もする 母です

 

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いいね!丸森「福祉の充実した町づくり」と「若者がつくる」新たな町の景色は

2023-10-03 09:39:37 | 日記

 

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若者がつくる新たな町の景色は

R5,9月の定例会 AIで藤井聡太さんのように行政サービスの名人に

町でも対話型生成AIシステムを導入!

AIを使いこなして、行政事務の効率化や新しい町づくりの取り組みが始まります。若い職員に期待がかかります。

地域公共交通推進支援

AIを使ったデマンドタクシー配車システムで、利用者の皆さんの要望に応えたより効率的な地域公共交通が実現します。

仮設団地跡地整地工事費

仮設住宅入居者全員が自宅再建や町営住宅・みなし仮設などに移られましたので、跡地を整備します。

水道未給水地区飲用水等確保対策事業補助金

今年は雨が降らないので渇水で飲用水や農地の水不足になりました。良質な飲用水確保のための補助事業です。費用の半分で30万円限度です。

今期15回目の一般質問は、一人・二人暮らしが1,177世帯に増えました。

あったかなまちづくり[高齢者の身体と心のバリアフリーの取り組を]

町の所有するバスを高齢者が利用しやすいノンステップバスにしては。

百々石公園は頂上まで道路を舗装することで、車で登れるようになる。車椅子でも移動できるバリアフリーの公園にして楽しんでもらおう。

入浴施設を充実して、閉じこもりがちな高齢者の外出を促進しよう。

いきいき交流センター大内を温泉施設のある直売所にしてはどうか。

 

いいね!丸森

福祉の充実した町

被災された方の生活再建で幸せな町に 次世代に良い故郷を残すために

町営・災害公営住宅や自宅の再建が進み、皆さん新居へ。日々の経済生活や行政区域・組織の見直しなどで地域コミュニティーの再生支援の取り組みを。

 

子供たちの可能性と夢をかなえよう

幼保小中、可能性を育てる教育の推進。

伊具高校との連携。給付型奨学金創設

 

暮らしやすい町で子育てをしよう

保育料・給食費無料の継続。

近隣市町と結婚・産婦人科対策

 

産業があり、活力ある町をつくる青年達の活動があります。そんな元気な町の発信。

畜産と環境保全型農業振興。物価対策、飼料や農業資材高騰・生活困窮者対策。

農業・商業・工業後継者の確保や新たな起業者の支援で豊かなまちづくり。

いろんな所で地域創りの活動がされています。町を支える青年交流活動の支援。

移住定住・帰って来いよUターン作戦で活気のある町づくり。

SNSなどによる、観光・産業・生活・町政の積極的発信。

ブログ 一條おさむの「ほっとする丸森」http//blog.goo.ne.jp/osamu1954 

 

高齢者・障がい者が暮らしやすければ子ども達もすみやすい町になります

障がい者の雇用・自立生活の場を希望者の実態に合わせて確保。

健康寿命を長くすることは医療や介護費用の削減にもつながります。スポーツ施設の充実や団体活動への支援強化。公園・生活道路のバリアフリーの街。

大雪・大雨は高齢者には特に大変です。生活道路や避難路確保対策の取り組み。

 

住みたいと思う買い物や交通の便利な町

町の大型プロジェクト河川防災ステーションは安全安心の防災拠点とコンビニや遊び場など、近隣の高齢者や子育て世帯が集う便利で快適な場所に。

阿武隈急行利用促進。町民のスクールバス乗車など高齢に寄り添う新たな交通手段を。

 

忘れない!東京電力原発事故

再稼働は核のゴミ処理後に

放射能汚染除染廃棄物仮置場の1か所への集約は子供や町民の近づかない場所の選定を。

核燃料の取り出しの事故にそなえて、モニタリングポストの継続。

 

 

 

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はらから福祉会前理事長 武田 元(はじめ)氏「働くことを生活の柱に」

2023-09-05 16:24:02 | 日記

はらから福祉会 40周年記念公演

       はらから福祉会前理事長 武田 元(はじめ)氏「働くことを生活の柱に」

(杖を突いている姿ははじめてみました。昨年の後半に体調を崩したそうです。200年生きようと思っていたがと言ってました。)

 40年間常識への挑戦だった。少数派の掲げる理想を一つ一つ実現して世の中が変わった。はらからは何を主張したのか。

 昭和41年、仙北の高校教員をしていた。3年たって父がガンで余命半年と言われた。

長男の私は兄弟や家族の面倒を見なければならない。

仙北から地元に移動の願いを出した。船岡の養護学校に高等部ができて、そこに移動した。

父がガンにならなければ、移動しなかった。だが、父は80歳まで生きた。誤診だった。

 当時、びっくりしたことがある。仙台の就労施設の見学に行った。薄暗い部屋で7~8人の人が椅子に座っていた。仕事が切れて、休んでいるところだった。給料は月3000円~5000円くらいと聞いて驚いた。

 船岡養護学校では、就職できない人の家を訪問してびっくりした。60歳を過ぎた人が一度も学校に行っていなかった。「外に出ていろんな人の話を聞きたい。でもやってはいけない。私は厄介者なのです。」

 今は、義務教育の義務化。みんなが学校にということで。養護学校に入るようになった。

 朝起きたときに、最初にすることは、家族の機嫌を見る。良かったら、申し訳ないがお願いをする。悪ければ、部屋に閉じこもる。

 そのころ舟形コロニー以外に就学の場所がなかった。日本全国そうだった。

 なぜ働くのか、その一つは、働くこと、暮らしを支えること。当たり前のことが、障がい者には当たり前ではない。

 働く、そして給料をもらうのは常識だが、大多数の人は誰でも働いて暮らしている。

 それでは、我々のやらなければならないことは、何か。

 多数の人は、100の力で働けば100の給料。

 障がい者の事業所は15000以上あるが、平均工賃は月16000円である。理由は、障害の重い人の身近にいる人ほど、低くて当たり前と思っているから。会社の社長がこのことを聞くと「それは日給ですか」という。身近な人ほど、行くところがあれば良いという考えである。

 めざすは工賃月額7万円以上。7万円は全員の目標 年金とあわせて暮らせる収入。 

どうすればよいか。50の力の人に100払えばよい。100の力の人に100払えばよい。そうする人が必要。

 どうすればよいか。50の人は他の人の力を借りる必要がある。どんな力を借りるか。一つは機械の力を借りる。ボタン一つで精密な仕事をする。50の力に機械の50を合わせて100とする。足りないところを補わないではダメ。1つはチームで仕事をする。分担する。得意な分野を合わせて100にする。関係者の役割は利益率の高い仕事を持ってくる。そうゆう工夫が仕事。単純作業の仕事は安い。あたりまえだ。プラス50を一人ひとりに合わせて100にする仕事を組み立てるのは大変というが、それは当たり前。なんでも大変、仕事は大変。障害の重い人は人生をかけて仕事をしている。

 障がい者はなぜ生まれてくるのか。一定の割合で生まれてくるのも意味がある。自分の一生をかけて大変なことを示している。船岡駅のバリアフリーはその成果。障がい者の生き生きしている町は誰でも暮らしやすいまち。孫などと何人もで出歩いていると、孫が弱い人の荷物を持ったりする。昔は荷物を全部大人に預けて遊んでいたのに。若い時は何でもないが年を取ってくるとできないことが出てくる。

 はらからがやるべきことは、ちまたにあふれている常識人に挑戦すること。非常識ということを実現すること。

 アイデアはある。100人で100通りあるが、アイデアはアイデアだけではダメ。

 はらから会が大きくなった理由!

はらから会員は1300人いた。今は800人位いる。研修・啓発・財政的な支援をずっとしできる。

「福祉は金もうけができない人には無理だ。できる人にはできる。」誰が言ったか?私だ。理想の夢を言った。どうなる。

運動をして、会員になってほしい。月1000円で年12000円。1250人で1500万円になる。

 無認可時代資金繰りが大変だった。蔵王の農家から、野菜を買ってきて販売した。多いときは1000万円以上になった。人間以外は何でも売った。国際障害者年。トレーナーとTシャツを販売して売れた何故できるか。覚悟である。大切なのはその金を何に使うか。

 目標と目的。何のために金は使うのか。はらから会と、はらから福祉会は表裏一体、いろんな人が集まってきてくれるのが大切。我々の活動の決め手は、いろんな人とつながること。身内で固まらない。できるだけいろんな人と巡り合った。つながった。

 令和3年、売り上げ約10億円。それは、はらからが世の中に提供した、食べて頂いたのが10億円あった。5億円は仕入れ代金・経費。人件費は新たに生み出した付加価値。

 なぜ働くかの2つ目は、社会的役割をはたすため。

 常識の人たちにそんなことはない。10億の品物を買ってくれる人たちがいる。これ以外にない。声を大にして言っても、本当の障がい者理解にはならない。なぜ働くのかそれは生活のためだ。いや、働かなくても生きていける人は、家族が面倒を見る、社会が面倒を見るとかあるが、考える前にまず、働くことである。

 はたまき作業所をつくるときに3000万円の借り入れが必要になった。私が借入れ人で、他のみんなが連帯保証人になった。その前に1つ目は、はらから作業所をつくった。この2つ、失敗したらどうする。働く場の確保。やる意味があるならやろう。20年の期限を8年で返済した。やることに意味があるなら、だったらやろう。迷ったらやろう。どうやってやろうと考えないで、まずやろう。やるにはどうするかを考えよう。

 はらからには親の会はない。当事者負担だけはやめよう。みんなのために働く。社会的役割を果たしていこう。役割が働くことだ。

 働くことは楽しいことだけではない。苦しくても働く、頑張るのが家族のためになる。そのあとに喜びがある。働くことが楽しみになる。

 障がい者は、障害があるから50%しか働けないのは当たり前という常識から脱却する。40年間その考えでやってきた。

 これからやるべきこと

ひとつは、非常にこだわりの強い自閉症の人への支援が必要。精神・身体への支援は、働くことについても沢山なされている。

2つ目は、高齢の障がい者はどうなるだろうか。親はいつまでも子供の面倒を見ることはできない。

 この2つの問題は非常に複雑で大変さはわかる。しかし、誰かがやらなければならない。この40年で解かったことがある。

 私は今こんなことで悩んでいると訴えることが必要である。その責任は当事者以外の人にある。

 社会的課題に挑戦するというふうに考える時が、今来ていると思う。

80年生きていると、いろんな人との出会いがあった。皆さんに配布したレジメの最後に、「困ったら、はらからへ」と書いたが、そういう存在でありたい想いで書いた。長生きすればいろんな世界が見られる。今生きている人間が大切である。

 最後に、今つながっている人達、事業でつながっている人達はよくぞ我々と繋がっていてくれたと思う。福祉の世界で、厳しい状況の中で、そのつながりで、新しい考えを生み出した。働くことは活力がでる。人と結びつける。必要な金を生み出せるか考えるより、まず、どうしてやるかが大切。

 

9月3日、槻木生涯学習センターに於いて。Ⅰ時間以上の公演でした。要約ですがまとめてみました。

                                        一條己

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町長さんへのお願い。高齢者の住み良いあったかなまちづくり[高齢者の身体と心のバリアフリー]

2023-08-15 23:52:42 | 日記

高齢者の住み良いあったかなまちづくり[高齢者の身体と心のバリアフリー]

 

少子高齢化が進んでいますが、住み慣れた地域で暮らしていける町になれば良いわけで、住民の皆さんは地域で安心して暮らせるまちづくり、地域で支えあう取り組みをしています。

 今はバリアフリーが当たり前になっていますが、それは、障がい者の方々の長い運動の成果でもあります。長寿社会になり、身体が不自由になっても生活していかなければならないので、公共の場や商店街はもちろんのこと、住んでいる家の中も、建て替えや、改装によりバリアフリーになっています。障がい者や高齢者にとって暮らしやすい町は全ての人にとって暮らしやすい町でもあります。

 社会福祉協議会が民生委員からの情報をもとに毎月まとめている丸森町福祉まとめている丸森町福祉世帯一覧によると令和5年月31日現在で、20年前は100人台だった一人暮らしの高齢者が565人になりました。町内全世帯4,939世帯のうち、二人暮らし以上の高齢者世帯は612人世帯で一人暮らし世帯とあわせると、1,177世帯です。人口12,108人のうち高齢者人口が5,330人。高齢化率は44.0%になっています。

 一人暮らしの高齢者に生じる問題や町の支援を調べると、

一つ目に、入院・入所や家を借りるときの身元保証が問題で、地域包括支援センターによる相談体制や成年後見人制度の支援があります。

次に、大切なのは安否確認ですが、緊急通報システムや地域での見守りがあります。

次の高齢者の通院や買い物など移動手段の確保についてはバスやタクシー・デマンド交通・自家用有償旅客運送があります。

次に食事をきちんととって健康に暮らすために、給食サービスを実施しています。

それに加えて、こんなことも必要だなと思うバリアフリーなどの取り組みについて町長に伺います。

①ひとつめとして、町が所有するバスをノンステップバスにしてはどうでしょうか。2人なら頻繁に出かけていても、1人暮らしになると急激に外出が少なくなります。それは心身的に大きな障害に結び付くかもしれません。町には町民が研修等で利用するバスがあります。国土交通省が進めている、障がい者や高齢者にも乗り降り乗車しやすいノンステップ型バスを導入して、高齢者の方に 町や関係団体主催の視察や研修に参加していただき、研修の内容なども工夫すれば、外出の機会を増やすことになるのではないでしょうか。 

②二つ目は、百々石公園は頂上まで道路を舗装することで、車で登れるようになり、車椅子でも移動できるバリアフリーの公園になるのではないでしょうか。高齢者の方々には、昔、子どもを連れて登り、 茶屋などがあった賑やかだった頃の思い出があります。再びあの阿武隈川の風景を見たいと思う方も多いでしょう。せっかく毎年きれいに管理をしている公園なのだからバリアフリーの公園にして楽しんでもらってはどうでしょうか。快適に車で登れれば若い方々のデートスポットになるかもしれません。やってみてはどうでしょうか。

 ③高齢者の外出を促進するために入浴施設を充実させてはどうでしょうか。角田市に新しくできた日帰り温泉施設が賑わっています。丸森町からも高齢者や病気療養の方がいると聞き行ってみたら、ずっと昔聞いたことのある、旅館があった場所でした。やっぱり昔温泉のあった場所からはお湯が出るのだなとなっとくしてしまいました。町の観光振興計画の中には温泉施設整備に向けた調査・検討があります。丸森町では青葉、斎川などの温泉はもちろんですが、丸森地区羽入の熱湯神社や大内の国道113号沿いに温泉が湧いたなど、噂のある場所があります。大内の活性化センターに配管して、温泉施設のある直売所としてバージョンアップすることもできます。入浴料が安いのが一番ですが、引きこもりがちな一人暮らしの高齢者が出かけたくなる魅力的な温泉施設はいかがでしょうか。

 少子高齢化が進む中、1人暮らしの高齢者が多くなりました。しっかりと自立して元気に暮らしている方が多いのですが、一方で健康面などで不安を抱えて生活している方もいます。自分の実感として歳をとればとるほど体力は衰えていくので、不安要素は増えていきます。バリアフリーは住みやすい町づくりにとって大切なことだと思い、やればできるのではないかと今回の質問をしました。所見を伺います。

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はらから福祉会 武田 元 理事長退任が会報はらからで報告されました。

2023-07-19 22:07:22 | 日記

一昨日届いたかいほうで知りました。80歳だそうです。

はらから福祉会 武田 元 理事長退任が会報はらからで報告されました。

先生の挨拶が掲載されていました。以下、それを転載します。

 

働くことを生活の柱に

 このたびの役員改選で理事長を退任いたしました、

 理事として平成8年の法人認可以来、理事長は平成18年からでした。この間多くの皆様からご支援をいただきました。お世話になりました。ありがとうございました。

 はらからは「働くことを生活の柱に」を基本理念に、働くことと暮らせる賃金にこだわってきました。働くこと抜きにして生き生きとした生活はありえないと考えたからです。障害の有無、障害の程度、障害の種別そして年齢に関係なく、他人はやりがいのある仕事をしたいと思っているし、人の役に立ちたいとも思っていると考えました。そしてこのことを証明したいと思いました。

 確かに障害があれば障害のない人と比較して様々なハンディキャップはあります。問題なのは心身の障害から生じるハンディキャップをそのまま仕事に直結させていることです。障害のない人のモデルが標準になってしまったということです。大事なのは障害が重いからこの仕事ができるだろうか、できないのではないかと考えるのではなく、どうすればできるようになるか考えることです。このことは「人はなぜ働くのか」を考えればはっきりします。

 「人はなぜ働くのか」第一には生活のため、生きるためです。働いて付加価値を生み出すことによって生活できるようになります。働くことによって自分の暮らしを成り立たせ、家族を養い、社会を維持していくことにつながります。だから働くことはつらいこともありますが喜びなのです。障害を理由に働くことを保障しないことは人間としての基本的な喜びを奪ってしまうことになります。「人はなぜ働くのか」第二には社会的役割をはたすため、第三には自己実現を図るためです。一般的に認められている考え方です。

 このように考えると働くことを抜きにして生き生きとした人生は考えられません。一見非常に困難なことに思える、障害の重い人に、働くことと暮らせる賃金を保障する取り組み、これほどやりがいのあることはありません。困難さは難しいだけです。不可能とは違います。

 はらからは、同胞、兄弟姉妹という意味です。はらからの4文字に私たちは助け合う、補い合うという願いを込めました。無認可でスタートしてから40年、法人認可以来26年多くの皆さんのご支援をうけながら、はらからは「はらから」の名に恥じない努力を続けてきたと思っています。その輪の中の一員でいられたことは私の人生にとってかけがえのないものになりました。

 皆さん、ありがとうございました。

 

以上が武田前理事長のごあいさつでした。

 

次に、はらから福祉会のホームページを見ると

この度、理事長交代が行われましたことをご報告いたします。

 

向暑の候ますますご繁栄のこととお慶び申し上げます
平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます
                   
さて、私事この度はらから福祉会理事長を退任いたしました
在任中は公私にわたり格別のご厚情を賜り誠にありがとうございました
ここに改めて感謝を申し上げます
後任には私同様よろしくご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます
                    謹言
 令和5年6月
                    社会福祉法人はらから福祉会
                    武田 元

------------------------------------------------------------------------------------

謹啓 
時下ますますご隆盛のこととお慶び申し上げます
平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます
                    
さて、私事このたび後任としてはらから福祉会理事長に就任いたすこととなりました
甚だ微力ではございますが、法人の理念である「働くことを生活の柱に」を
実現するために全力を尽くす所存です
何とぞ 前任者同様ご指導とご支援のほどお願い申し上げます
                    謹言
 令和5年6月
                    社会福祉法人はらから福祉会
                    理事長 太田 幸二
 

太田新理事長は、15年くらい前、私が障がい者の就職の場確保について町に一般質問をしたときに、大内青葉のはたまきの里に調査をしに伺ったときに所長をしていた方です。あの頃はたいへん若かったような気がしましたが、それいらい、障がい者の就労の場として大内みずきの里をつくっていただいたり、本部の総務部長になってからは、舘矢間の保育所跡に障がい者の自立のためのグループホームをつくっていただいたりしました。前理事長の意志を継いではらからをますます発展させることを願っています。

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