丸森町から! 一條己(おさむ)のほっとする丸森

15頭の乳牛と田に30羽の合鴨。畑に特産ヤーコンを作っています。訪れるだけで「ほっとする町」丸森町の様子をつづります。

令和2年10月7日に父富男が亡くなりました。思い出を残したいので、少しずつ書いていきます。

2020-11-10 04:50:11 | 日記

亡くなる間際まで大変元気な父でしたが、大腸の緊急手術の麻酔で

眠りながら亡くなってしまいました。

葬儀にはたくさんの方に参列して頂きまして、ありがとうございました。

昭和5年12月25日に一條家の3代目として生まれました。

そして90年

生まれたときに満州事変

小学校入学時に支那事変

昭和16年12月8日、小学校5年生の時に第二次世界大戦がはじまり

昭和20年8月15日の敗戦。

世の中がそうだったように

小学校のころから炭運び、山菜取り、縄ない、いなごとり、落穂ひろい

田畑での農作業、開墾などをしました。

それでも、子供だから、野原を駆け巡って遊んだようで、

一日で草鞋が壊れてしまうほど近所の子供同士で

草鞋を履いて毎日サッカーをして楽しかったとか

農業増産隊で栗原郡の農家に仕事の手伝いに行ったりもしました。

時々、町内の大内の方が訪ねてきたりして

思い出話などしていましたが

その時におなじ農家に泊まって農作業したかただといってました。

その方は2年ぐらい前に亡くなりましたが

今頃、笑いながら思い出話などしているかもしれません。