丸森町から! 一條己(おさむ)のほっとする丸森

15頭の乳牛と田に30羽の合鴨。畑に特産ヤーコンを作っています。訪れるだけで「ほっとする町」丸森町の様子をつづります。

小斎の奉射祭(やぶさめ)

2012-03-17 10:34:50 | 日記

 小斎の案内板がまちづくりセンターにあります

 坂を登ると

前日の清めの水垢離

先輩方は「もう少しながくはいってろ」と言いますが

あいにく寒い日でした

神殿に向かいます 

今年は天気がよさそうです

 

ことしも

とびきりの小斎っ娘

綺麗な舞いでした

準備万端

えい

 帰りは

わたあめを買っていがぃ~ん

 

3.11から1年を迎えた「ダシュ村」の今

こんな記事があったのでhttp://www.ntv.co.jp/dash/tetsuwan_new/past/2012/0311/04/01.html

 http://www.ntv.co.jp/dash/tetsuwan_new/past/2012/0311/01/01.html

 

010

去る3月11日に放映された「鉄腕ダッシュ村」を見ました。1周年に当たる特番だけあって力のこもった内容でした。

実は私には秘かな危惧がありました。

「ダシュ村」は、農業が持つ伝統の中の「生活技術の楽しさ」を蘇らせました。それは農民の中ですら、三瓶さんのような御老人の中で細々と生き続けていたもので、一度農村では断絶してしまった生きるための技術でした。

若い農業者は、今は農業の中に「生活の楽しさ」を見いだすことはしなくなりかかっていました。

竹を編む、保存食を作る、お茶を作る、井戸を掘る、焼き物を焼く・・・そのようなことをしなくなって久しいのです。

それを、街の眼で蘇らせたのが「ダシュ村」でした。アイドルグループを農業バラエティに使うという奇想天外な発想は、驚くほどの反響を呼び、あの番組を見て就農しようと思った者も多いと聞きます。

ただし、あれは「農業」という経済部門そのものではありません。いわば農業から経営という心臓部を取り除いて、「農」というひと滴のエッセンスにまで濾過したものです。

私のようなひねた農業者は、「あれは農業のいいとこ取りだ。しかしその楽しさを思い出させてくれてたのはありがたい」、といった心境で見ていました。

だから私は3.11以後、日テレはあの巨大な悲劇から眼を背けると考えていました。新たな農業バラエティ企画を組み、荒れ果てたダシュ村から逃げ出すだろうと踏んでいました。

放射能という万人が恐怖するものをお茶の間に持ってくることはないだろう、と。それは私自身が、3.11以後にあまりに多くの都市消費者の離反を経験していたからでした。

しかしその不安はいい意味で裏切られました。他の放送局が3月11日の悲劇に焦点を当てる中で、この番組は計画的避難区域になってしまった浪江町の地域や人々を見守りつづけるいわば定点観測船となっていることが分かりました。

さて、この特番は、ダシュ村の現状、周辺の村人の今、そしてチェルノブイリ訪問の三部構成になっています。

今日はその中のダシュ村の現状を見ます。初めにダシュ村の位置を見てみましょう。
*上の扉絵部分参照

ダシュ村は、計画的避難区域の浪江町にあります。まさに福島第1原発事故による最大の汚染を被った地域です。現在この地域の住民は全員が避難しています。
*上図赤色地域

現状の放射線量は下図の数値でした。ガイガーカウンター計測でしたが、JAXAや元放射線医学研究所の専門家がつきそっていましたので、しっかりとこう正(*)されて、信憑性は高いと思われます。
*こう正・ガイガーカウンターの測定のばらつきを補正する作業のこと。

まず下図は、去年の夏(7月16日)に測定されてたものです。単位はマイクロシーベルトです。

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これが今年の冬にどのように変化しているのかが次の図です。
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一目して線量が低下しているのが分かります。登り窯前など15μSvから5.8μSvへと激減しています。

この原因は雪だと思われます。雪は地表面5㎝ていど蓄積した放射性物質を遮蔽する作用があります

降雪があると放射線量は減少していくのがわかるのが、この放射線量の推移表です。

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興味深かったのは次のグラフのように、母屋と井戸前の線量が降雪とともに急激に下がっていったことに対して、森林との境界にある登り窯前はさほどの低減がなっかたことです

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これは森林に降った放射性物質から恒常的に、落ち葉の形で放射性物質が供給されているために森林の際では放射線量が落ちないためだと考えられます。

一方、母屋前は、降雪がなかった1月15日には9.0μSvから、降雪があった2月4日には6.4μSvに落ちています。*上図赤い○が母屋、緑色が登り窯前。

これは森林からやや遠いこと、降雪の遮蔽効果が予想より高かったことによります。

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上のテロップにあるように農村部における落ち葉、否藁、常緑樹による森林汚染の除染が必要な面積は約1343平方キロにおよびます。

しかし、チェルノブイリ事故で放出された放射能汚染の70%の被害を受けたベラルーシでは、未だ森林除染が進んでいないそうです。

都市部の瓦礫処理と農村部の森林除染とその処分が、今後の課題として重くのしかかってくるでしょう。

ただし、予想を超えてかなり早い速度で放射施療が低減していることがわかりました

 

 

「ダッシュ村」チェルノブイリを訪問する!どっこい、生き抜いているベラルーシ農民たち

 

 

 

037

「ダッシュ村」3.11特番を続けます。現在のチェルノブイリがレポートされています。

訪問地はベラルーシです。これは、チェルノブイリ原発は所在地自体はウクライナにあっても、実は国境付近であり、なおかつ、当時の風向きによってベラルーシが放射能汚染の7割を受けてしまっているからです。

さて、現在のチェルノブイリ原発は石棺という原子炉を覆うコンクリートが1986年の事故以来26年の歳月でボロボロになって放射能の漏洩が始まっているそうです。

今も4号炉には3500名もの労働者が石棺を覆う鋼鉄製ドームを建設中だそうです。そのための町まであるとか。

そのチェルノブイリ原発周辺の空間放射線量は0.48μSv/hで、ダッシュ村の畑の13μSv2 hより低いくらいでした。

後に訪れた30㎞から40㎞圏内にある農村部のプラギン地区では0.11μSv/hといっそう低下します。暮らしていくには問題のない線量です

プラギン地区はこの位置にあります。

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プラギン地区はゾーン3と呼ばれる移住権利区域に属していますが、一部はゾーン2に入っているようです。

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ちなみに、上図でわかるように、ゾーン1の立ち入り制限区域の放射線量は148万bq(ベクレル)という高濃度汚染地域だったようです。

そしてプラギン村もかかるゾーン2移住義務区域は、55万5千bq、ゾーン3の移住権利区域は18万5千bqです。

福島県内と比較して下さい。ゾーン1、2は日本の計画的避難区域に相当します。(欄外参照)。

現状は、森林内などホットスポットは多数あるようですが(*計測では47.1μSv)、全体としてはあっけにとられるほど線量は低下しています。

この原因はやはり26年という「時間」にあります。

セシウムは134と137との合計量で見るのですが、その比率は7対3と言われており、半減期が2年と短い134のほうが圧倒的に多いのです。

134は2年で5割が半減し、10年後にはほぼ消滅してしまいます。一方、3割を占める137も26年間のうちに気象状況や自然条件によって除染をしないでも消滅・拡散していくようです

おそらく来年の今頃には、セシウム134の半減期を迎えますので、福島においても急激に放射線量が低下していくと予想されます。

これは理屈ではわかっていても、チェルノブイリ現地で測定した数値を知ると、私たちが今入ってしまっているトンネルにも出口が必ずあるのだと分かって心がなごみました。

そしてこの条件の中で、どっこい農業はしぶとく生き残っていました。

もともとベラルーシは東欧の穀倉地帯であり、ライ麦の生産高は世界3位、ジャガイモは世界10位、乳製品輸出高は世界5位という農業大国の位置を占めています。。国土の44%は農地です。

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これがチェルノブイリゾーン2(移住義務区域)に生きる農民の面構えです。なんと零下29度で素手で雪かきをしていました。

いい顔しています。彼は6歳の頃に原発事故に遭遇して一次避難していましたが、また戻って、今はたくましい農民に成長して、従業員を多く雇う大規模農業に挑んでいます。

この取材時にもトマトなどを温室栽培して、冬季も農業を続けていました。まったくたいした奴です。

彼を見ていると、「東日本は終わった」とか「福島から全員逃げろ」などという声が虚ろに聞こえてきます。

彼の自慢は、野菜が安全基準値を上回ったことがなく、30bq以下なことです。もちろん日本の新基準値にも適合します。

ゾーン2(移住義務地域)で作物が30bq以下です。これは土壌放射線量が低下してきていることと、カリウムの使用にあると彼は言っていました

農民はいろいろと知恵を絞って線量を下げたり、作物が吸わないような努力をしていることが紹介されていきます。それについては次回。

 

 

 

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Photo

 

 

 

 

 

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母乳検査が始まりました

2012-03-13 22:01:16 | 日記

町では

助言や指導などの出来る専門家の先生が確保出来たので

希望者に対して母乳検査を始めました。

30名の申込みがあり20名は結果がでました。

全員不検出だったそうです。

 

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二男の高校卒業式

2012-03-01 22:50:48 | 日記

今日はいろんなことがありました。

最初は三人兄弟の末っ子

二男の高校卒業式でした。

次は長男が就職するのでアパートに引っ越し荷物を運びました。

お母さんは朝はお化粧大工さん

午前は卒業式

午後は引越し屋さん

夜は手巻きすしでお祝いと大忙しでした。

 

明日から3月定例会です。来年度の予算を審議しますが

今回は10人が一般質問をします。

わたしの一般質問は午後3時ごろでしょうか

政務調査費について

4年間政務調査費は使わずに自費で研修等に参加し、町に全額返納してきましたが

議員研修は自費でしますが町づくりを考えるかいを『八雄館』で開催する会場費や

講演会の開催には活用することにしました。

現在は「子育て中の両親」に参加して頂きたい

「未来の子供をまもる」講演会を5月に開催したいと準備を進めています。

新しい議員の取り組みを始めたいと思います。

コメント (2)
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